「ハロウィンと言うのは、万聖節の前夜祭です。遥か西方に在るケルトの民達の祭りが発祥とされ、この日は彼らにとっての一年の終わり、かつ収穫に深く感謝する収穫祭の面と、死者が蘇り悪霊となって収穫物を荒らすのを防ぐ悪霊祓いの一面とを兼ね備えております」
 たしか!
 心の中で力強く付け足す。
「ふむ、しかし、それで子供らが夜更けに仮装して出歩くというのは、いささか不合理に過ぎるのではないか」
 張昭は、髭を撫でつつ疑問を提示する。
 難癖とも思えない自然な問い掛けで、は文句を言うことも出来ない。
「死者、広義を取れば悪霊達の格好を扮することで、彼らの目をくらます目的があるとも伝えられています。あるいは予言を予め実行する人々の心理の如く、か弱き子供らによって実害のない小さな『襲撃』を起こさせることで、これ以上悪しきことは起こらぬだろうという安堵、あるいは真逆に、警戒心の持続を促すことも考えられるかと」
 たぶん!
 心の中で、力強くもう一度付け足す。
 口に出して言わないのは、たしかだのたぶんだのといった推論を述べることを張昭が嫌うからだ。
 は、とにかく自信がなさ過ぎると張昭は指摘する。
 まやかしごとで綴られた物語ならいざ知らず、人に物事を説明する時にたしかのたぶんのは何事だとご立腹だ。はっきりと、『自分はこう聞いた』『自分はこう教わった』と言い切れと言う。
 不確かさが苛立ちを招く、と言うのだが、はそれ程自信たっぷりに話が出来る程自分の記憶力に自信がある訳ではない。私ゃ何処の稗田阿礼ですかと突っ込みたいくらいだ。
 ここら辺はもう、民族性の違いと言うしかない。
 は物事を荒立てない為に気を配りたい口だが、張昭は自らの義を信じて疑わず、異論を唱える相手を言い負かすことこそ是と捉えている様な節がある。
 時折顔を合わせると、のべつ幕なしで議論を吹っ掛けてくる。
 陸遜に言わせれば、これ程優しく物を言う張昭は珍しいとのことだが、にしてみれば学生時分に戻って厳しい先生に指導を受けているのと早々変わらない。
 気疲れもあるし、苦手意識に拍車が掛かるばかりだ。
 今日など、呼び止められた挙句に茶が好きだろうと張昭の室に引っ張り込まれた。
 立ち話と違い、椅子に座っての論議となれば逃げる訳にもいかない。
 最早、精神的疲労でずたぼろになっていた。
「それで、何と言ったかな、その何とやらいう挨拶は」
「あ、えぇと、『Trick or treat』です」
「で、何と返すのだったかな」
「『HAPPY HALLOWEEN』です」
 そうそう、それじゃったと張昭は席を立った。
 茶を取りに行ったようだが、張昭が背中を向けた途端、はどっと疲れが押し寄せるのを感じる。
 本当に緊張するんだ、これがー。
 孫権などは、年寄りゆえ調子に乗る、一度私がしっかり言い聞かせてやろうと意気盛んだが、の為に内輪揉めを起こさせる訳にもいかないので丁重にお断りしていた。
 元々気が合わないのだろうが、史実の中でも大人の分別とはなかなか言い難いような遣り取りをしていた二人だから、尚更熱が入るところもあるのだろう。
 ぐったりとしていて気が散っていたせいか、張昭が戻ったことに気が付けずに居た。
「ほれ、何じゃったか、そうそう、はっぴ、はろいんじゃったかな」
 の前には湯気を立てる熱い茶と、月餅が載せられた小皿が置かれていた。
 一瞬目が点になる。
「あ、えと、あ、有難うございます」
 礼を述べて頭を下げると、張昭はからからと笑った。
「たくさんある、たんと食べなされ」
 好々爺然として茶を啜る張昭に、変に敬遠していた自分が恥ずかしい。
 月餅を齧ると、ほんのり甘い餡が顔を出した。
「お好きなんですか」
「年甲斐もないがな」
 張昭が甘い物好きだとは思わなかった。お詫びと礼を篭めて、今度何か買ってこようかと考えた。
 二つあったものを平らげると、また熱い茶と共に新たに二つ出てきた。
 先に食べたものもそれなりに大きく食べでがあったもので、は目を白黒とさせる。
 出されたものは残さない主義だが、まだまだ出てきそうだ。更に言えば、甘い物が好きな筈の張昭がまだ一つも口にしていない。
 これでは、幾らなんでも礼儀に適うまい。
「あ、あの、もう結構ですので」
 こんなにくれては、張昭の分がなくなってしまうと遠慮して辞退する。
 ところが、張昭は何と言うこともなしにけろりと言い放った。
「何、わしは甘い物は好かぬでな」
「へ」
 先程好きだと言ったではないか。
 が間の抜けた顔を晒していると、張昭はさらっとの疑問に答えてくれる。
「わしが好きなのは、女子の方でな」
 こればかりは止められぬ、とのんびりと頷くので、は危うく月餅を取り落としかけた。
 と言うことは、もしかして、の気を引く為に月餅を買い込んで来たということだろうか。嫌いな甘い物を、わざわざ。
「……何か、言われませんでしたか」
 張昭ほどの高官と来れば、その嗜好も商人には知られているのではないだろうか。あるいは自分で買い求めたのではなく、家人に言いつけたのかもしれないが、それなら尚更知られていて当たり前だろう。何か言われなかったのだろうか。
 半ば嫌味で問い掛けた言葉だったが、張昭は気にした様子もない。
「お好きですなぁ、と言われたが」
 それが何かと言わんばかりだ。
 何でもないとぼそぼそ呟いて、手持ち無沙汰に三個目の月餅を齧った。
「尚香様はこの月餅がお好きでな、お一人で十個は平らげられる」
「え」
 尚香にまで目を付けていたのかと誤解し掛けたが、張昭に敏く察しを付けられて否定された。
「わしが用意したのをどこぞで聞きつけて、捷く奪りにいらっしゃるのよ。何度盗られたことか」
 それだけに味は保障付だと言いたかったそうだ。
 確かに言われるとおり、いい加減満腹になりつつあるにも関わらず、上品な甘さの月餅は、喉に詰まることもなく腹に納まっていく。
 しかし、それでも十個はないだろう。どんな胃袋なのだ。
「わしは、年ばかり若いのよりは多少落ち着いた、牀技が冴えた女子の方が好みでな」
 油断していたところに会話を引き戻される。
 咽かけて茶を煽り、熱さに悶絶しかけた。
 張昭はからからと笑っている。
 冗談とも本気とも取れず、は目の前の老人を見詰めた。
 この老獪さこそ、ハロウィンの夜を闊歩する悪霊の顕現と言って相応しいとさえ思えたが、さすがに口に出しては言えない。
 無言で月餅を齧った。

  終

Spread INDEXへ →
TAROTシリーズ分岐へ →