長い長い廊下を、は一人歩いていた。
 どこまで行っても終わりのない、また終わりの見えない薄暗い廊下だった。
 否、廊下と断じているのはの感覚であって、本当は廊下ではなかったかもしれない。
 ずっと真っ直ぐ歩いているので廊下と感じただけであり、本当はだだっ広い部屋をひたすら歩いているだけなのかもしれなかった。
 あるいは、屋内と思い込んでいるだけで、実際は外、という可能性もなくはない。
 確かめようというつもりにはならなかった。
 どうでもいい、と思う。
 届かぬ視野に、複数の誰かの気配も感じる気がする。
 しかし、それもどうでもいい。
 その点、不思議なくらい気に留まらなかった。
 は歩く。
 真っ直ぐひたすら歩く。
 そして、とある言葉を繰り返し繰り返し口ずさんでいた。
――TRICK OR TREAT.
 ハロウィン独特の、呪いのような言葉。
 ここに来て、はようやく気が付いた。
 自分は、夢を見ているのだ。
「ハロウィンの夢にしては、ずいぶん寂しいじゃないか」
「それこそ、お前の勝手だろう」
 一人ごちると、すぐさま応じる声がある。
 趙雲だった。
「……子龍、何でハロウィン知ってんの」
 それこそ、夢であるいい証拠である。
 改めて辺りを見回した。
 誰かが居る、程度の認識しかもたらさずにいた周囲の気配は、見る見る内に人型に変わり、見慣れた武将達の姿へと変わる。
 皆、黙したままで先程のと同じように、ただただ歩きすれ違っていた。
 異様と言えば異様な光景だ。
 けれども、夢だと分かっているせいか、動揺し慌てふためくところまではいかない。
 夢は人の心の鏡という説もあるが、ならばこの夢はの何を映すのか。
 そんな興味が先走り、それで恐怖が薄れるのかもしれない。
「ハロウィンの夢なんだろうとは思うけど。私の知ってるハロウィンとも、何かどーも違う気もするし」
 ぶつぶつ呟いているのを、趙雲が呆れた視線で見下ろしている。
「……イヤ、私の知ってるハロウィンて、もっとこう賑やかなのね。むしろ、子供のお祭りって感じもすんだけど。こう、ね、子供らが仮装して、家を回って、『TRICK OR TREAT』つって……」
 ふと、辺りを見回す。
 武将達は、相変わらず黙ったまま歩き続けていた。
「あぁ」
 何となく腑に落ちた気がする。
「何だ」
 趙雲に突っ込まれ、は改めて不便を感じる。
 自分の夢なんだから、趙雲にもそのまま伝わったらいいのに、と思うのだ。
「お前がそう認識しなければ無理だ」
「伝わってんじゃん」
 不条理だ。
 口をへの字に曲げるに、趙雲は素知らぬ気に目を逸らす。
 こういうところが、可愛くない。
 ゲームでは爽やか好青年で通っている筈なのに、に対してはどうしてこんななのだろう。
「私が知るものか」
「だから、伝わってんじゃん!」
 夢だとはいえ、突っ込みどころ満載である。
 趙雲は知らん顔だ。
 きりもなければ意義もない。話を先に進めることにした。
「……だから、ハロウィンの仮装って、元々は悪霊の群の中に紛れても見付けられないように、なのね。だから、そのイメージが変な風に反映してんのかなって」
 失礼な話ではあるが、要するに行き交う武将達が『悪霊』のイメージという訳だ。
 趙雲は、興味なさげにふぅんと相槌を打つと、ちらりとを見遣る。
「……何?」
 意味深げな視線に、つい反応してしまう。
 それがそもそもの間違いの元なのだと、後で必ず後悔するに決まっているのだが、その場その場ではどうにも止まれない。
 この時も例外ではなかった。
「我々がハロウィンの悪霊だというのなら、お前は何だ」
「……えー」
 武将が悪霊なら、は何か。
 の背中に汗が滲み、つっと流れた。
「わ……私は……」
「お前は?」
 如何にも分かっている風に問い詰めてくる趙雲に、は口ごもる。
 何を言っても追い込まれそうだし、追い込む気でいるのは間違いない。
 こうなったら、と生唾を飲む。
 隙を見て、逃げるしかない。
 足に力が籠もり、踵がわずかに浮き上がる。
 それが、突然引きずり下ろされた。
 どころか、体ごと沈み込み、ひっくり返りそうになる。
 救いを求めて無意識に伸びた手を、趙雲が掴んだ。
 助けてくれた、訳ではなかった。
 掴んだ手に、趙雲の唇が這う。
 指の先から股に掛けて、赤い舌が蠢く。
 人の舌の滑らかな感触でなく、まるで犬のような、じっとり絡み付く感触だった。
「あ」
 思わず声が漏れた。
 悪霊の集う夜に、人の子だと正体がばれた。
 そうしたら、どうなるか。
 趙雲自ら証してやろうとでも言いたげに、に覆い被さってくる。
「ちょ、ちょっ、子龍、ちょっ……!」
 趙雲の指が滑ると、それだけでの服は暴かれていく。幾ら夢だと言って、あんまり都合が良過ぎではないか。
 そも、これはの夢であって、の望まぬ方に都合良く流される展開には納得いかない。
 それとも、と、ふと思う。
――それとも、これは私の望みなのか。
 の膝頭に趙雲の手が置かれる。
 呆気なく開かれた足の間に、趙雲は躊躇いなく己の腰をあてがった。
 体が震える。
「……子龍、まだ……! まだ、早……!」

 ぺし、と奇妙な音が響く。
 反射的に手が伸びた先は、自分の額だった。
「……うぁ……?」
 寝ぼけ眼を何とか薄く開くと、趙雲が見下ろしていた。
 不機嫌に見える。
「いったい、どんな夢を見ていた」
 吐き出す声も冷たい。
 辺りは未だ闇に包まれ、人の気配もない。夜が明けるのは、当分先のことだろう。
 わずかな正気が現状確認に集中してしまい、惚けているようにしか見えないに、再び同じ問いが向けられた。
「えー……と……」
 こうしたものの常で、目覚めと共に内容は飛んでしまってる。
 答えたくとも答えられないし、何となく答える気にもなれない。
 思い出そうとはしているらしいものの、ぼんやりとしたの様を、趙雲はしばし根気強く見守っている風でもある。が、遂にはうとうととして瞼を閉じようとし出したのを見るにあたり、早々に強硬手段を執るよう変更したらしかった。
「んあ」
 掬い上げるように顎を取り、上向かせた唇に自身のものを重ねる。
 緩み切った唇の隙間から素早く舌を侵入させ、矢庭に蹂躙を開始した。
 半ば寝こけていたの神経も、この事態にさすがに覚醒を余儀なくされる。
「……っ、ちょ、子龍、何」
 何じゃない、とは、至極もっともな言い返しだっただろう。
 ただ、後に続いた言葉は、当のには決して理解し得ない言葉であった。
「私は、早くない」
「何が」
 理解し得ないからこそ問うた言葉に、答えが返ることはとうとうなかった。

  終

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