が呉に行くことが決まった時、まず真っ先に騒いだのは馬超だった。
「お前は、俺よりあの男を選ぶ気か」
 眉を吊り上げて辺りはばかりなく怒鳴るものだから、は、塀の外を守る兵士達に筒抜けになっていないといいが、と溜息を吐いた。
「選ぶわけないって、仕事でしょ、し・ご・と」
 強調した言い方が癪に障ったのか、馬超は口をへの字に曲げてを見下ろした。
 もともと弁が立つというわけでもない。本気で痛いところを突かれると、馬超は言葉を失って黙り込む。
 馬超とて、分かっているのだ。が物見遊山で呉に行こうというわけではなく、諸葛亮の命によって外交を担うのだ、などと言うことは。
 けれど、理屈でなく行かせたくない。
 側に自分がいるならともかく、呉はあの男の支配する地だ。
 確かに、確かにそこまで卑怯な男とも思わないが、周囲の者達がどう動くかまでは分からない。はどこか抜けたところがある女だから、あの手この手で情に訴えられれば、陥落しないとも限らない。
 それだけではない。
 と、会えなくなる。
 ようやく体を契り、甘やかな悦びを知ったというのに、当の相手が遥か遠くの地に発ってしまう。何もかもがこれから、と意気込んでいただけに、馬超の空虚は凄絶だった。
「……辞められないのか」
 愚図愚図している、と馬超にも自覚はあった。
 だが、は蜀に来てさえまだ日が浅いのだ。それで呉に出向くなど、自ら虎穴に入るようなものではないか。
「いや、却ってそっちのが言い訳がきくからって」
 を呉に、と希望したのは先方なのだ。前もって『この女は何処とも知れぬ田舎者で、中原の作法など何も知りません、それでも良いのですね』と言い含めてある。
「だから、いきなり首飛ばすようなことだけは避けられるんじゃないかって。下手に期間が空くよりは、ちゃっと行ってちゃっと帰ってきた方がいいっしょ」
 な、と馬超の肩を叩く。どちらが男だか分からない。
 まだ渋っている風な馬超に、もついに説得する言葉を失くしてしまった。
 困ったような笑顔を浮かべて、無言のまま小首を傾げ、は馬超の目をじっと見つめる。
 分かって、と言いたいのだろう。馬超はまだ、分かってやりたいが分かりたくない、という具合だった。
 深々と息を吐く。
「……行きたくて、行くのではない、そうだな?」
「うん」
 即答に気を良くして、馬超も笑みを浮かべた。少し引き攣って、如何にも嫌々なのが見て取れたが、馬超にしては頑張った方だと言えよう。
 馬超の笑みに答えて、はにっこりと満面の笑みを浮かべる。
 引き寄せられるように口付けを落とそうとした馬超の顔が、の両手でがっしり受け止められた。
「……何をする」
 はにほふふ、と耳には聞こえたが、言わんとすることはきちんと伝わった。
 は、馬超にもう一つ理解をさせねばならないことがある。
「いいかげんワタクシもお一方に決めなければと思っておったところでございます。むやみやたらと触らんといて下さい?」
 いい機会だから、きっちり考えて、蜀に戻ったら答えを出すんだ。
 の言い分は、馬超には屁理屈にしか聞こえない。
 やっと破瓜を済ませて、これからを自分に染め上げようという時にお預けはあるまい、というのが馬超の主張だ。更に付け足すなら、呉にやる前に体中に消えないくらいの痕をつけ、所有の印と虫除けにしたいという思惑もある。
 しないなどということは、馬超の予定にはまったくない。
「お前が嫌だと言っても、俺はするぞ。するからな」
 子供、と喚かれても、痛くも痒くもない。の力は非力もいいところで、最近は体もそれなり動かしてはいるようだが、馬超の鍛え上げられた腕力の前には塵も同然だ。
「強姦魔!」
 挙句、ひどい言われようをされて、馬超は完全にへそを曲げた。
「ああ、ことお前に関しては、俺はそれで構わんぞ」
 肩に担ぎ上げ、寝台に向かう。
 じたばたと諦め悪くもがく手足も、馬超の妨げにはならない。仕舞には、泣きそうな声が頭の後ろの方からする。
「ねぇ、ホントにするの、ねぇ、孟起ってば」
 よそうよ、止めようよと未練がましく縋るような声に、懸命にこらえていた馬超もついに噴き出してしまった。
 を牀に投げ出し、両手で抱き締めて拘束しながら、げらげらと笑う。
 腹に顔をくっつけられているので、は馬超の声の震えを肌で直に感じる。
 笑い転げて、ようやく上げた馬超の顔に涙が浮かんでいる。
「……そんなに笑うことないでしょ」
 何がそんなにおかしいか、とむっつりと膨れるを、馬超はおかしそうに見下ろす。
「お前は、見ていて飽きない」
 馬超の顔を間近に見ていたの顔が、急にぱっと赤くなり、視線はやり場に困ったようにうろうろと彷徨う。
「どうした」
 う、と息を詰まらせている。何だと更に顔を近付けると、は馬超の腕から逃れようと暴れ出す。無論、許すはずがない。
「……私さ、ほんとーに美形の顔って苦手なんだよ……」
 突然の告白に、馬超は一瞬毒を抜かれた。
 は、自分が美人でないという自覚がある。だからこそ、美しく整った顔を見ると引け目に感じてしまうのだ。努力してどうにかなると思った事はない。あってもほんの数瞬で、すぐに我に返ってしまう。
「こればっかりはさぁ、持って生まれたもんだよね」
 頭は努力すれば何とかなる。運動とて、頑張れば人並みにはなれる。だが、顔だけはどうにもならんよとは愚痴った。
 化粧して綺麗になったつもりでも、朝になって鏡を見ると、何だか虚しくなるのだという。
「……お前の顔は、そんなに酷くはないだろう」
「いや、それは孟起は綺麗な顔をしているからね、他の人なんか気にもならないでしょうけども」
 男の顔を綺麗だと言われても、と、馬超は内心複雑だ。
「これ、私だめなの、小さい頃からコンプレックスでさぁ……何か、覚えてるのよ、すごく小さかった頃に、誰かに『女の子なのに顔がね』って言われたこととか、友達と比べられたこととか、何か、何かね、もう全否定されたみたいな感じがして」
 内緒ね、あんまり人に言ったことないんだ、と尖らせた唇に人差し指を当てる。
 その仕草が少し可愛いと思いつつ、『こん何とか』とは何だろう、と馬超は考えていた。よく分からないが、にとって良くないことなのだろう。
「俺は、お前の顔は好きだぞ」
 馬超の言葉に、は目を伏せて、うーん、と小さく唸った。
「俺はお前の全部が好きだ。馬鹿なところも、我侭なところも、考えなしのところも併せて好きだ」
 元気付けようと勢い込んで言った言葉に、はじと目で返してくる。
「何だ」
 てっきり喜ぶと思ったのに、冷たい視線を容赦なく浴びせられる。何に腹を立てているのかまったく分からない。
「その言葉、そっくりそのままお返しする」
 けっ、と吐き出すような言葉に、だが馬超はにやりと笑ってみせた。は、馬超も腹を立てると思い込んでいただけに、意外な笑みに驚き目を見張った。
「……ということは、お前も俺の全てが好きだということだな」
 ならば構うまい、と身を乗り出す馬超に、は慌てて逃げ出そうとして叶わず、引き摺り戻された。
「わぁ、馬鹿、何でそんなおめでたいかっ!」
 ぎゃあぎゃあうるさい口は塞ぐに限る。
 舌を絡め取ると、息苦しさと点っただろう悦楽にの抵抗が止んでいく。
 さっさと服を脱がせながら(最近はこちらの着物を着る機会も多くなり、馬超にとっては有難いことだ)、当初の目的を達成するべくの肌に歯を立てた。
「これから毎晩、通うからな」
 何事か罵り声を上げかける唇を再度塞ぎ、馬超は片手で器用に己の着物を剥いでいく。
 惚れてしまえば皮膚の美醜が何になる。訳の分からん事を言う女だ。
 胸の朱に舌を這わせれば、背が跳ね上がって両手は馬超の頭をかき抱く。声は既に甘く艶めいたものに変わっていて、馬超の鼓膜を震わせていた。
 子でも出来てしまえば、士官の話自体がなかったことになるやも知れぬ。
 ふと気が付いて、の体を改めて組み敷き、馬超は早々に猛りを沈めるのだった。


  終

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