+++なんて不毛な、それでも恋

 鳥だ。
 最初、そう思った。
 南蛮の地は、緑も獣も、人さえも、中原のそれとは違っていた。
 『象』を見た時は、あまりの巨大さに呆然としてしまい、危うく跳ねられ掛けた。
 あんな大きな生き物が居るのか、と思ったものだ。
 夜になっても、緑の生い茂った森は活気で溢れている。
 得体の知れない声や物音に、一睡も出来なかった兵は多かった。
 だから、最初に見た時、やはり鳥も大きいのだなと思ったのだ。
 人と同じくらいある大きな鳥だと思ったのは、鳥ではなくてやはり人だった。
 よくよく見れば、呉の水賊上がりのような目立つ大きな羽飾りをつけていたものの、鳥と思えるような部分は何もない。
 ふくよかな胸、すらりと伸びた足、滑らかな肌はまさしく人間の、女のものだった。
 何で鳥と間違えたのだかも分からない。
「痛い目見る前に、降参しな!」
 仕掛けられた矢を寸でのところでかわす。
 魏将の隻眼将軍でもあるまいし、要らぬ勲章を得るのは御免だった。
 矢を避ける隙を狙ったのだろう、女は飛び掛ってきたが、前に突っ込むように避けたお陰で、先方が期待する隙など生まれはしなかった。
 武を目指し、武に死のうという自分に対し、考えが甘いと思った。
 そう思われることに何故だか腹が立った。
 こんなことは初めてだった。いつもなら、相手の考えの甘さを嘲笑するだけで済むものを。
 金属の擦り合う耳障りな音が響く。
 一合二合と斬り結び、相手の力量が掴めてきた。
 敵ではない。
 そう思い、力任せに三合目、噛み合った刃を押し込むと、単純な筋力差で女の足元はよろけた。
 捕らえてやろう。
 瞬時に閃いた言葉に、別の欲求が隠されている気がした。
 途端、胸の辺りに鈍い衝撃が走り、何だと思う間もなく女の姿は視界から消えた。
 目が自然に女の姿を探す。
 女は空に居た。
 天空に輝く日差しを遮り、輝く髪が金糸のように眩く煌いていた。
 鳥だ。
 やはり、そう思った。
 女は(鳥は)宙返りして大地に降り立つと、険しい目をして俺を睨んでいた。
 口の端が吊り上がる。
 昔、童の頃、意味もなく虫を追った気持ちに似ているような気がした。
 追うことに然したる意味はない。
 ただ、捕らえたい。
 捕らえた虫をどうしたか、思い出したくもないが覚えている、羽をもぎ足をもぎ、最後は首を。
 ああ、きっとあれは、すべてを自分のものにしたかったのだ。幼いからこそ分からない衝動にかまけ、惨い真似をしてしまった。
 お前にはそんなことはしない、大丈夫だ。
 表情が緩むのとは逆に、槍を掴む手に力が篭もっていく。
 一撃でいい、一撃で確実に。

 屠る。

 はっと我に返ると、高らかな獣の鳴き声にも似た音が響き渡る。
 女は悔しそうに舌打ちし、踵を返して駆け去って行った。
 ほっとしたような、良く分からない気の抜けた気持ちになって、槍を下ろした。
 女の背中は瞬く間に小さくなり、緑の繁みの中へと消えて行った。
 いったいあの女は何だったのだろう。他の女兵士とは格が違っていたようだ。
 足元に横たわる女兵士の死骸を見下ろし、あの女に感じた昂揚はやはり感じられないことを確認した。
 あの女の視線は厳しくも美しかった。
 きつい眼差しを向けられただけで熱くいきり勃った。
 もう一度会いたい。
 会ったら、今度こそ捕らえて羽をもぎ、足を。
 考え掛けて、止めた。
 虫でもあるまいし、何を妄想して。
 そう、虫ではないのだから、することは一つだろう。
 我ながらこれ程下賎な男だったのだと思うと、何だか面白かった。

 陣に戻ると、あの女がどうやら南蛮大王孟獲の妻、祝融であるらしいことが分かった。
 丞相たる諸葛亮様が南蛮を征服するつもりはなく帰服させたいだけと聞いていた俺は、その事実にがっかりとしていた。
 それでは、不埒な望みなど到底叶わない。
 蜀将の一人でしかない自分が、属国とは名ばかりで、実質友好を結ぶべく赴いた相手国の王の妻を望むなど出来ることではないからだ。
「どうした
 この暑いのに、いつも涼しげな顔をしている趙雲が話し掛けてきた。
「どうした、とは?」
「お前らしくもない、ぼうっとして。軍議の最中、丞相がいたく不機嫌そうにお前を見ておられたのを知らぬのか」
 気が付かなかった。
 らしくない失態だった。
「恋でもしているようだ」
「……何と言った?」
 咎め立てられたと思ったのだろう、趙雲は小さく苦笑して、冗談だと言い繕った。
 けれど、それさえおざなりに流し、不機嫌を装って自分の幕舎に戻る。
 頭の中で、趙雲の軽口がぐるぐると回っていた。
 そうだったのか、と、深く得心する。
 酷く乱雑に、残酷に、冷淡に、引き裂いてしまいたいとさえ思ったあの衝動が、そうなのだ。
――なんて不毛な、それでも恋。
 苦い笑みが零れた。
 粟立つ感情は苦く、しかしそれさえ好ましくて、不可解な感情を抱えながら武装を解く。
 常は抱えたままの得物を下ろし、代わりに固くいきり勃つ己の得物を冷ますべく、腰紐を緩めた。

  終

(お題提供:確かに恋だった様)

旧拍手夢INDEXへ→
サイト分岐へ→