の居た国には、正月になると年長者がお年玉をくれる、という風習があったそうだ。
「だから、チョーダイ!」
無邪気に手を差し出されて、しかし黄蓋に動じた様子はない。
偏に胆力を鍛えた結果、と言いたいところだが、実際のところはいい加減に慣れたというのが正しかった。
と黄蓋達の世界の常識は、似たところもあるにはあるが、数えるくらいしかない。
つまり、まったく異なる常識の持ち主であると付き合う内、がこの世界の常識に慣れ親しむより早く黄蓋の方がの非常識ぶりに慣れてしまったのだった。
「……まず、そのお年玉とやらを説明せんか」
「ああ、そうか」
悪気はないらしく、黄蓋が諭せば反省して詫びの一つも口にする。
未だ世間知らずの小娘だから仕方がない、と思えるのは、黄蓋が年を取っていたからかもしれなかった。
呉にはいきなり腹を立てるような短気な者も多かったから、それと弁えられない輩といつ接触するか知れない。じゃじゃ馬から目を離すことも出来ず、黄蓋は弱っている。
とは言え、黄蓋を慕ってまとわりつくはまるで孫のようで、だから黄蓋もあまり悪い気はしないのだった。
「えっとね、……」
説明しようとして、ははたと悩み出す。
お年玉とは、そも何なのかをは知らなかった。
そういうものだと教えられて育って居れば、確かに人に説明するのは難しい。
例えば、何故年が明けると初詣に行くのかとか、悪霊除けに鰯の頭を吊るすのが一体何処から出て来たのかとか、昔ながらの風習を詳細に教えられる人間は少なかろう。
「……何だろう。とにかく、年が明けたらお年玉って、お小遣いもらうことになってた」
「小遣いか」
理由は分からずとも、そうであったと言うならそれに従うのはやぶさかではない。
右も左もわからぬ世界に突然飛ばされて、不自由ながらも必死に馴染もうとしているの努力を、黄蓋はみすみす見逃してはいない。
他愛無い風習でも、の慰めになるのなら応えてやりたかった。
しかし、は頑迷に首を振った。
理由も定かでないことを、黄蓋にさせる訳にはいかないと、こちらもそれなりに筋の通った主張を繰り返す。
いやでもしかしと言い合って、不意にが黙り込んだ。
「……黄蓋さん、どうして私に良くしてくれるの?」
役に立っても居ないだろうというの言葉は、確かに否定出来たものではない。
「懸命に努力する若人を、応援して遣るという年寄りの道楽よ」
からから笑う黄蓋の顔を、はじっと見上げる。
「黄蓋さん、年寄りじゃないよ。まだまだ現役。でしょ?」
「お? ……おお、それもそうよな」
齢六十とくれば、もう立派に年寄りの部類に入るのだが、若いと褒められて悪い気がするものではない。
内心にんまりとほくそ笑む黄蓋の手を、がぐいぐいと引っ張る。
「ちゃんと説明できること、他にあるから」
そちらをやろうと言われ、黄蓋は首を傾げながらもに着いていくことにした。
「今度は何をさせるつもりかな?」
懸命にぐいぐい引っ張って行く様が、幼子の仕草にも重なる。
の説明では、それも年が明けてから行うことらしい。
外界の新年の儀式をするというのもまた、案外楽しい遊びに思う。
黄蓋は、が言う『姫始め』という風習がどんなものか、埒もない想像を巡らせるのだった。