※成就しない片思い話です。嫌いな方はご覧にならないようお願いします。
確かなことは、彼が私を見ていないという現実
どうした、と問い掛けられて、私は不思議そうに首を傾げる。
目を丸く大きく見開き、唇には薄く微笑みを刷いて、貴方を見詰める。
何が、と言わんばかりに。
さっぱり分からない、という態を装って。
貴方はしばらくの間じっと私を見つめていたけれど、手繰り寄せられなかった疑問の端きれを投げ出すように、『ま、いいけどよ』と投げ出した。
貴方と私は主と臣下であり、幼馴染の友であり、それでは割り切れぬ想いを必死に封じている対象と本人という間柄だ。
きっと、と言うより絶対に気付いていないから、貴方はとても残酷なことをする。
「……さっき、な」
言い掛けた言葉は途中で淀み、極々短い間を何とか挟んだ程度の空白を作って、先程と同じように『ま、いいや』で締められた。
そのことを、私は嬉しくも悲しくも切なくも思う。
彼を想う心は水面に雨粒が落ちるが如く、幾つもの波紋を描いては消え、消えては描かれる。
とめどなく描かれる文様に、私はいつの頃からか他人のように自身の心を観察するように、また出来るようになっていた。
孫策様の副官という立場は、私を励まし、誉め称え、打ちのめしている。
彼が私を有能だといい、他所にはやらない、やれないと口にするたびに私は歓喜し、浮かれてのたうち回る。
彼は、そして非常に気さくだ。
私を部下以上の存在として、時には幼馴染の気安さを発揮して男友達のように振る舞ったりもする。
繊細とは程遠い扱いは、少なくとも女に対するそれではなかった。
例えば、先程のように甘寧殿が、『そんなに四六時中傍に居るんだ、一遍くらいは抱いたんだろ?』と茶化してきた時、孫策様は『馬鹿言うな、こいつの何処に何を突っ込めってんだよ』と言ってげらげら笑う。そうだよな、そうだろ、と通じ合って笑う二人に、私も合わせてげらげら笑う。
そのこと自体は気にならない。
まったく、と言えば嘘になるけれど、私自身孫策様とどうこうなるつもりがないからか、笑うことに苦痛は感じない。
むしろそんな時、周瑜殿の方が痛々しい眼をしていることを辛く思うことが多い。
場に居合わせれば孫策様に説教することもあり、過ぎた冗談は冗談にはならないと本気で怒ってくれたりする。
私が間に割って入り、怒り狂う周瑜殿を宥めることも多々あって、先程等はお前がいつもそうだから、ととばっちりを食らってしまった。
周瑜殿に叱られた後、孫策様は決まってばつが悪そうに、恐らくは謝罪を述べようとして口籠る。
私から促したりは、決してしない。
してあげない。
謝ったところで、何になるの?
確かなことは、彼が私を見ていないという現実。
だからこそ私は耐えられる。
貴方が私を見ていない、見ようともしない、恋い慕う者同士寄り添い合い甘い囁きを交わすこと等微塵も考えられない、それだからこそ私は耐えられる。気持ちを、感情を封印できる。
「……、あの、な……?」
「はい? 何か仰いましたか、孫策様」
神経はいつもすべて貴方の方を向いている、けれど私は猿芝居を続ける。
貴方の中に微かに芽生える違和感が、勘違いの賜物であると思い込ませる為に。
私の中に芽生えようと足掻く胸糞悪い期待を踏み躙る為に。
「あ、大喬様」
私の言葉に、貴方の目は自然に流れていく。
最愛の、それ以外はどうやったって目に入らないひとの姿を捉える為に、貴方の視線はこの上なく綺麗に鮮やかに、私から逸れていく。
「お、ホントだ」
駆け出す貴方の背を、私はゆっくりと歩いて追う。
貴方は私を見ていない。
私は、貴方の背中だけ見ている。
それで、いい。
終