※死にネタです。お嫌いな方は見ないようにお願いします。
負けないくらい想ってたのに
甄姫が曹丕の不興を買ったと聞いて、は内心喜びを禁じ得なかった。
曹丕の妾として『押し付ける』形でが宮中に上がったのは、もう数年も前になる。
だが、一度として手が付けられたことはない。
女として、こんな残酷な仕打ちを受けようとは思わなかった。
初めて曹丕の前に立った時、この方のものとなるのだ、と胸が高鳴った。
けれど、曹丕の傍らには甄姫が居て、曹丕は甄姫を、甄姫は曹丕を見詰めてを一瞥すらしなかった。
その時点で、の運命は定められたも同然だった。
これと相手を定められながら、女の盛りを無為に過ごすことの切なさやるせなさは尋常のものではない。
小娘ではないのだ、交わる作法も悦もたんと教え込まれて来ただけに、一人寝の侘しさは募るばかりだった。
何度も、自分はそういう運命なのだ、諦めるより他ないのだと言い聞かせている。
けれど、やはり夫を持つ身で生娘で居る悲しさは、紛わせようもなかった。
躁と鬱とを繰り返し、池に浮かぶ白い睡蓮を眺めている時だった。
水面に映る己の横に、鋭い眼差しを持つ男が映る。
はっとして振り返れば、間違いなく曹丕その人が立っていた。
夢ではないかと思い掛けるが、夢の筈もない。慌てて礼をしようとしてその手を遮られる。
「……ほう。思ったより、悪くはない」
酷い言葉だと分かっている。
少なくとも、迎え入れてから数年経つ女に言う言葉ではない。
だが、捉えられた手から染み入る力強さが、の体から抵抗する力を奪っていった。
「その花芯で、私を蕩けさせられるか否か……試してみるか」
ええともいやとも言えなかった。
無体な曹丕の為すがまま、はその場で破瓜を迎えた。
甄姫が不興を買ったと聞いたのは、それから幾日か後の話だ。
その幾日でこの数年を穴埋めする勢いで曹丕の訪問を受けていたは、甘く痛む体を持て余して気怠げに腰掛けていた。
おしゃべりな女官がさも楽しそうに喋るのを、は興味のない振りをしながら聞き入っていた。
ある程度の話を聞き終えて、また同じ件を延々と話そうとする女官をたしなめる。
分別の利いた賢い女を気取るつもりはないが、姦しく騒ぎ立てるつもりも端からない。
それに、曹丕の通う理由が、自分ではなく甄姫への当て付けなのだということもまた、を憂鬱にさせてしまっていた。
当て付けならば、相手が自分でならなければいけない理由には能わず、曹丕もいずれ去って行ってしまうに違いないと思える。
溜息を吐くと、傍らで不服気に口を尖らせていた女官がぴょんと飛び上がった。
「下がって良い」
命じたのはではなく、曹丕だった。
慌てて駆けだす女官を見送り、曹丕は長椅子にもたれるに覆い被さる。
「どうした」
女官に命じたのとはまったく違う、囁くような掠れた甘い声には眉を寄せる。
躊躇いなく下腹部に指を伸ばされ、はびくりと体をすくませた。
「もう、濡れているな。どうした。私を、想っていたか……?」
囁きながらも悪戯に蠢く指に、は胡乱に掻き乱される。
「あ……貴方様の、お声が……!」
曹丕の声が鼓膜を打つと、それだけでは乱れていく。
吐息が触れ、その体臭を感じるだけで、はしたなくも乱れていく自分を不可思議に思った。
耳元でくつくつ笑われる。
「……そうか。では、存分に応えてやろう」
昼日中から裸体を晒し、日差しの暖かさを肌で感じる。
恐ろしいまでの背徳感が、の体を淫蕩に煽った。
あれ程憎らしかった甄姫への恨みが、淡雪の如く消え去っていく。
どころか、何も考えられず、ただ曹丕に翻弄されてすすり泣くしかできなくなった。
膝に乗せられ、自ら腰を振る痴態を、曹丕は哂いながら逐一言葉に直して吹き込んでくれる。
何事か尋ねられ、訳も分からず応じていた。
「はい……はい、私は……ずっと……!」
すべて曹丕の思うがままに、曹丕の為すことこその望みだと心底思って腰を振る。
だから、くれ、と締め上げた。
「ひ、あ、あ、出て、るぅ……!」
迸る熱い感触を、啜り込むようには曹丕にしがみ付く。
全身でむしゃぶりついてくるを、曹丕は愛おしそうに抱き締めた。
甄姫の処刑が下されたと知ったのは、またその数日後のことである。
話を聞いたは、それが事実と飲み込めずに酷く戸惑った。
「そんな……だって、どうして……」
「だってって……様が、お望みになったことではないんですか?」
女官の悪びれない言葉に、はぞっと総毛だった。
甄姫を憎んだこともある、けれど、今となってはどうでもいいことだ。三日と空けずにの元を訪れる曹丕を愛しいと思い、満たされていると思える今となっては、名前を思い出すこともないようなひとだった。
「だって、あの方が居られたんじゃ、様はいつまで経っても……そうでございましょう……?」
下種な物言いだ。
甄姫の方が女として、妻として格が違うのだと言わんばかりだ。
腹を立てたが勢いのまま解雇を命じると、女官は酷く腹立たしそうに口を歪め、足音も荒く出て行った。
取り残されたは、力が抜けてへなへなとその場に崩れ込む。
何かしなくては、でも何をしていいのか分からない。
時間だけが過ぎていき、夜の帳が落ちる頃、はようやく立ち上がった。
幾人かに小金を握らせて、甄姫の遺骸の置かれた室へ忍び込む。
よくもこんな真似が出来るものだと、我ながら感心した。
甄姫の遺骸には、間に合わせにか白い布が被らされていた。
ほとんど顔も合わせなかったひとの遺骸は、思ったよりずっと小さく見える。
この人もまた、曹丕を愛していたのだろうに。
どんな理由でどのように不興を買ったのか、あの女官も詳しくは知らなかった。
想像は幾らもできたが、それらはすべて妄想に過ぎない。
悔しかったろうか。
悲しかったろうか。
そんなことを考えて、恐々と白布を捲くった。
驚愕する。
甄姫は、笑っていた。
微笑みを浮かべて、生前の美貌そのままに、眠るように死んでいた。
愛していただろう夫から死を与えられ、絶望すら彼女を貶めることは出来なかったのだ。
否、甄姫は、文字通り喜んで死を受け入れたに違いない。それが、己の愛する夫から下された選択だったからだ。
死を賜ることさえ喜びに思う愛とは、何だ。
負けないくらい想ってたのに、そのつもりだったのに、は今、どうしようもない敗北感に侵されていた。
自分には出来ない。死ねと言われて笑って受け入れるなど、出来る訳がない。
恐ろしくて、体の震えが止まらなくなった。
ここまで自分を愛してくれる女に、いとも容易く死を賜れる曹丕という男が、恐ろしくて堪らなくなった。
もし明日、否、今宵にでも、曹丕がの室を訪れたとしたら。
ぞっとして、悲鳴を上げたいのをようよう堪える。
しかし、曹丕の不興を買い、いつ何時死ねと言われるかと考えると、恐ろしさに足はすくみ、だのに忙しく追い立てられる。
逃げ出すように立ち去るを、甄姫の頬笑みはいつまでも追い続けた。
終