※ややダークです。
戦場の最たる問題の一つとして、兵士の性欲解消の問題がある。
大抵は禁欲を持って当たる。
生きる欲望を多く持っていた方が、生き残る力となる場合が多いからだ。
ただし、籠城戦や持久戦の際には、溜め過ぎた性欲が却って良くない結果を招くことが多々ある。
そういう時の為に、所謂娼妓を用意しておくのが戦場の常だった。
高官専用の娼妓も居れば、兵士達をまとめて相手する為の娼妓も居る。
これらは、敗残の将の妻であったり、娘であったりする場合が多い。
女の場合、戦に勝った時の戦勲を立てた者への褒賞として与えられることもあるが、まとめて奴隷として扱われることもある。
後者の場合、娼妓として軍に従属することがあり、今現在徐晃の相手を務めるもまた、こうした出自の女だった。
自らの運命を嘆く女は少なくない。
しかし、は常に笑みを浮かべ、細やかな気遣いを以て徐晃の相手を勤めようとしている、ように見えた。
この境遇から逃れようと、必死に媚びている風ではない。
あくまで自然に、知己を迎え入れるように徐晃を迎え入れ、戦で昂り過ぎた神経を和ませてくれる。
特に、得意だとは決して言わず、あくまで好きなのだと主張する笛の腕前は、楽に疎い徐晃の耳にも快い。
才あれば引き立てると明言された魏にあって、娼妓のままで居させておくにはいささか惜しい腕前に思うのだ。
どうしたら良いか考えあぐねて、恥を忍んで夏侯淵に相談したのは先日のことだ。
娼妓如きに何故そこまでと笑われたりもしたが、夏侯淵はすぐさま徐晃の問いに答えをくれた。
楽師として推挙したらどうかというのである。
才あれば、そして徐晃の推挙であるならば、まずは悪いようにはならない筈だと教えてくれた。
そんなことで良かったのかと喜び、礼を述べた徐晃を、夏侯淵は複雑そうに笑って見送ってくれた。
最後に『あまり思い詰めるな』と助言してくれたが、そちらについてはどういう意味か量りかねている。
ともあれ、徐晃はそれなり意を決して切り出したのだった。
推挙する以上は、徐晃にもある程度の責任が負わされる。
けれど、そうしてもいいと、の為であれば何のことはないと、徐晃の決意は固かった。
だが。
「嫌です」
にべもない。
あまりの素っ気なさに、勧めた徐晃も立場を失くし、思わずむっとする。
下心はなく、純粋に親切で申し出たつもりだったから、尚更苛立った。
素直に顔に出す徐晃に、は冷たく背けた表情を崩し、いつもの柔らかな笑みを浮かべる。
「……ごめんなさい。突然仰られるものですから、思わず。お許し下さいませね」
そんなに気に入ってくれたのなら、と笛を取り出すに、徐晃は何とはなしに違和感を感じた。
思えば、徐晃はのことを何も知らない。
武に一途な徐晃であったから、こうした『発散』の回数は多くなかった。
だからということでもなかろうが、それにしてものことを知らない。
元々は敗残の将の妻だったということは聞き及んでいたが、それも他者からの言だ。
後ろめたい気持ちも手伝って、あまり知ろうとしていなかったことも大きい。
今更訊ねるのは気が引けたが、一度興味をそそられると我慢が出来なくなった。
「その。そなたは、今の生活から抜け出したいとは、思わぬのか」
そう願うのは、何も悪いことではない。
むしろそう願うのが当然だ。
扱いは酷くはなかったろうが、望んで堕ちた身の上ではない。
事実、立場を変えようと積極的に動く娼妓は少なくないと聞いている。
朴念仁を地で行く徐晃とて、その程度のことは織り込み済みなのだ。
は笛を曲を奏でるのを止め、笛を置いてしまった。
笑みを浮かべて徐晃を振り返るが、いつも通りのその笑みも、何故か無理やり作ったようにしか見えない。
「……今宵は、その気になられないのですか?」
ならば下がりますが、と気を利かせるの言葉が、無性に神経に触る。
どうしてだろうか。
分からなかった。
無言での腕を取り、寝台に倒してその体を絡め取る。
前置きなく始まった愛撫に、は文句も言わず黙して受け入れる。
すべてを、受け入れる。
――違う、これは。
控えめに上がる嬌声も、漏れる吐息も、何かを律して戒めている。
直感だったが、一旦そう考えるとすべてに合点がいった。
は自らを罰する為に、敢えて今の立場に身を置いている。
複数の男に犯されるという忌まわしい境遇を甘受しているのだ。
ただ、何の為にかは分からない。
分からぬ答えを探るように、徐晃の愛撫は度を越していった。
いつもであれば、一度発散させればすぐに仕舞いとするものを、執拗に濃厚に責め立てる。
が幾度となく気を遣っても、決して許さず緩めない。
「……だめ……もう、駄目です、から……!」
聞いたこともない切々とした懇願も無視して、徐晃はを苛み続けた。
否、聞いたことがない、知らないを知ることに、途方もない喜びを感じていた。
もっと知りたい。
もっともっと、何もかもを知りたい。
男の根を含ませた上に、鍛え上げたごつい指をも捩じ込む。
堪え切れなくなったが悲鳴を上げ、四肢を痙攣させて、墜ちた。
失神する間際、唇が戦慄き小さく動く。
唇の形を目で追っていた徐晃は、の声なき声を聞いた。
――あなた。
徐晃の目が吊り上がる。
恋焦がれるような熱を帯びていたその『声』に、徐晃は言い知れぬ不快感を覚えていた。
は、未だ敗れた将の妻として、どころか愛する男に恋着する女として在るのだ。
そしてその男に操を立て、後を追えなかった己に罰を課し、謂れのない罪に縛られ唯々諾々と従っている。
それ故に徐晃の申し出を蹴り、徐晃の前を辞そうとした。
理解した。
目の前が赤く染まる。
腹の底から喉元までもが塞がれ、嫌悪を覚えてぎりりと奥歯を噛み締めた。
どろどろと黒く凝った冷たい何かが、徐晃の胸の奥でおぞましく蠢いている。
暴かねば、と思った。
の何もかもを暴き出し、すべての真実を白日の下に晒して、そして。
しようと思ったこともなかった、今にして思えばさりげなく避けられていたのだと気付く口付けを、に落とす。
何もかもを吸い尽くすような深い口付けに、意識を失った筈のが苦しげに呻いた。
後ろ暗い愉悦を感じた。
徐晃が知らずにいた感情だった。
夏侯淵の助言が蘇る。
――あまり思い詰めるな。
その意図を覚った。
以て、徐晃は初めて知った。
あぁ、これが恋か。
意味もなく、泣いた。
終