「この男が怪しい」
「いや、俺はこっちの女の方が怪しいと思うぜ」
「何を仰っているんですか、犯人はこの老人ですよ」
「私はこの女が怪しいと思うが」
「俺も、その女が怪しいと思います」
うるさい。
は、要らん副音声がサラウンドで聞こえてくる状況に辟易していた。
新居を構えたはいいが、引越しの原因となった連中はの憩いの時間を平気で邪魔してくる。
テレビの正面に置かれたソファで寛いでいたのはいいが、テレビが始まってすぐ、わらわら集まって来た連中に囲まれてしまっていた。
手前に置いたローテーブルが邪魔で、逃げ出すことも出来ない。
必然的に連中が発する副音声を聞く羽目になり、は苦い表情を隠せないで居る。
の家には今、呉将14人が勢揃いしていた。
トリップして来るならせめて一人にしておいて欲しいものだが、してきた連中に直接文句を言う訳にも行かない。
取捨選択できる筈もなく、狭い1DK暮らしの部屋に詰め込むには物理的に無理ときて、は途方に暮れた。
まず、かよわい女子だけでも保護するべきか。それとも、話の分かる友人に当たってみるか。
悩んでも答えは出ず、はおろおろとしながらも、とりあえず弱小演劇団体の合宿ということにして安宿の大部屋を手配した。
そんなにどうぞとばかり、いきなり宝くじが当たったのだ。
一等前後賞まとめての当選に、は穴の空く程くじを見詰め、一人万歳三唱を敢行したものだ。
お陰で、14匹欠けることなく面倒を見てやれることになった。
いずれ息詰まることになろうが、その時はその時だ。
幸い、良い物件もすぐに見付かり、とんとん拍子に新生活に漕ぎ付けたという次第だった。
で、この様だ。
ミステリードラマを見ていると、必ずこの連中が集まって来る。
周瑜、陸遜、呂蒙の三人は、の背後に陣取って誰が犯人かを討論している。
仕草や目線、台詞の一つにまで注視しながら見らていると知ったら、役者も脚本家もさぞや緊張することだろう。
の両隣にに甘寧と孫策が居るのは、ミステリーに限らずいつものことだが、この二人は推理どころか目に付く人間を片っ端から怪しいと言って回るので、本気でウザい。
一度、通りすがりの凌統が犯人だと言い出して、危うく殴り合いの喧嘩になるところだった。
テレビ壊しても犯人分からなくなっても、お前ら二人両方刺すからなと言ったら黙った。
ただの脅しだったのだが、家主に威光を感じてくれる程度には、現況を理解しているらしい。
もっとも、やはり通りすがりの孫権に拠れば、目が笑ってなくて本気そのものだったからだそうだが。
しかし、討論と余計な茶々入れだけは何度言っても止める気配がなく、は心底うんざりしている。
程度が軽いだけに、の脅し文句も本気度が足りず、軽んじられてしまうのかもしれない。
せめてもう少し静かに見てくれたらなぁと、溜息を吐いた時だった。
「親父は、誰が犯人だと思う?」
孫策が、部屋の隅の方に座していた孫堅に話し掛ける。
君主の名推理を期待してか、その場に居た皆が孫堅の方を向いた。
孫堅は答えない。
「……なぁ、親父。親父は」
CMが入る。
それを見遣って、孫堅はようやく口を開いた。
「俺は、言わん」
「親父でも、分からねぇ? 俺は」
孫策が自分の推理を披露しようとするのを指の動きで遮り、微かに笑う。
「俺も、ある程度推測は付けている」
「なら」
誰だ、どうしてだと推理をねだる男達に、孫堅は諭すように首を振った。
「の楽しみを、邪魔することはなかろう?」
皆が黙った。
ちょうどCMが終わり、頭脳派刑事が犯人を追い詰めに掛かる。
犯人は、誰も予想していなかった警官だった。
決め台詞が放たれ、オチの淡々とした日常会話が終わるまで、誰も口を開かないでいた。
次回予告が始まって、は孫堅を振り返る。
「パパ」
「うん?」
発音が息子と被る便宜上、は孫堅をパパと呼んでいる。
呼ばれた孫堅は、心なしかほくほく顔でに応えた。
「犯人、当たってた?」
「まぁな」
他の者は皆、推理が外れて渋い顔だ。
孫堅が、自分の推理を披露しなかったくせに『当たった』と手柄顔なのも、癪に障っているのかもしれない。
「じゃあ、ご褒美にビールを開けて上げましょう」
「……ずっりぃ!!」
孫策と甘寧が、揃って抗議の声を上げる。
「うるさいな、ご褒美って、静かにテレビ見てたご褒美だもん」
そう言われてしまっては、返す言葉がない。
しゅわしゅわ泡の出るビールは、孫策達には何より美味しい珍味の一つなのだが、全開栓権はに委ねられるというキツいお達しが下されていた。
破った者は、トイレ掃除が課せられる。
勇んで破りそうな連中も、いい年こいて、またある程度の位を極めている矜持もあって、ビールの誘惑よりもトイレ掃除の罰の方をやや重く受け止めているようだった。
一度孫堅を連れて部屋を出たが、顔だけひょっこり出してきた。
「あのね、後でDVD見るからね、推理物の奴」
だから、何だ。
皆が皆、同じように顔に書き連ねてを見る。
「それは、私はもう見た奴だからね、犯人当てっこ、してもいいよ」
後、ビール飲みながら見よう。
の提案に、反対する者はなかった。
「あ、でも、陸遜はビール飲んじゃ駄目」
「……どうしてです!」
いきなりハブにされた陸遜が、涙目で抗議する。
結構好きだったらしい。
未成年だからと言っても陸遜には理解し難いようで、何だかんだと騒いでいるのを周瑜と呂蒙が宥めているのが聞こえた。
「……すまんな」
廊下で待っていた孫堅が、こっそり頭を下げる。
はおどけて恭しく頭を下げ返した。
「いい君主様で、部下の人達も幸せですやね」
どうせなら皆で飲みたいとねだったのは、孫堅だった。
「自分はいいからって言わない辺り、パパだよね」
「『皆で飲みたい』と言ったろう」
しれっと言い返すのが、本当に孫堅らしいと思った。
美味しいところは皆で分け合い、自分が遠慮するからなどと、卑屈になる素振りもない。
それが、呉という国なのだと改めて思った。
「私も、飲んでいいんだよね?」
何となく尋ねてみたの頭に、孫堅の頭がぼふっと乗せられる。
勢いそのまま、がしがしと撫でまくられた。
「……皆で、と、言ったろう?」
妙に嬉しくなって、にっこり笑う。
そんなの耳元に、孫堅はひそと囁いて寄越した。
「二人きりで飲みたければ、場所を変えてだな」
邪魔をされては敵わんからな、とおどける孫堅に、は皆に気付かれないよう、声を殺して笑った。
終