ごつい男達が、何やら熱心に話し込んでいる。
は、それをじと目で睨んでいた。
「お気になさいますな。それより、お代わりをいただいてもよろしいですか」
話し合いから自主的に外れた月英と星彩は、涼しい顔で茶を飲んでいる。
初めて味わった紅茶が甚くお気に召したとかで、以来事あるごとに強請られるようになった。
安売りのティーバッグなど、別に何杯飲まれても構わないが、の顔は渋くなる。
月英は、何か、と言わんばかりに小首を傾げた。
上目遣いに睨むようにしてこちらを見ている星彩も、恐らく同じように問うているのだろう(この娘とは未だコミュニケーションが取り難いので、はっきりと断定はしかねる)。
「……いや……だって」
が思い切って胸の内を吐き出そうとした時、劉備がすっくと立ち上がった。
「否、ここは、家主たる殿を最優先すべきであろう!」
男達がどよめく。
「さすが、殿……!」
「良き御判断かと」
「さっすが兄者だぜ!」
「うむ、翼徳の言う通りだ……!」
口々に劉備を称え、劉備は面映ゆそうに頬を染めて取り囲む男達を見回している。
その目は、快く賛同してくれる男達への感謝に潤み、きらきらと輝いていた。
――馬鹿臭ぇ。
は内心吐き捨てる。
何が大徳だ、と心の奥底にどろどろとわだかまるものを感じて気が重くなる。
自分が小物故のことかもしれない。
だが、どうしようもなかった。
「殿!」
劉備がを見付け(最初からここに居るのだが)、その長い腕をしなやかに振り上げる。
「一番風呂は、貴殿のものだ!」
一斉に拍手が沸き起こる。
――やっぱ馬鹿臭ぇ……!
は、何だか訳の分からない怒りに涙する。
風呂の順番を決めるのに、いったい何時間掛けるつもりか。
ツッコミ入れるのも馬鹿馬鹿しいが、昼前から話し合ってようやく一番風呂を決めるに到るというのはどうなのだろう。
あまりの非生産性に脱力するやら腹立たしいやらで、思わず涙が滲むのだ。
劉備達には、それも感動の賜物としてしか映ってないに違いない。
何よりの証拠に、皆の笑顔が生温い。
良かったなぁ、的に、どうしようもなく生温かった。
「さぁ、殿」
劉備を筆頭に、関羽、張飛、黄忠、趙雲、馬超の五虎将に、臥龍諸葛亮、鳳雛ホウ統、麒麟児姜維に魏延、関平とが立ち並び、アーチの如く風呂場へ通じる道を作っている。
には、死出の旅路へ強制発送する肉の壁にしか見えない。
嫌だと言っても強制発送なので、逆らうことも許されそうになかった。
は苦笑いを浮かべ、渋々肉のアーチを潜った。
「……ふぅ……」
不機嫌ながらも湯船に体を沈めると、一番湯独特の更の感触が気持ちまで解してしまう。
悪い連中ではないのだ。
ただ、ちょっと時代錯誤でうざったいだけだ。
それも、本当に千八百年も前に生きていた人達という設定であれば、時代錯誤でない方がいっそ不気味だ。
しかし、月英並びに星彩の女性二人は、早くも現代に馴染んでくれている。
特に月英は、服さえ着替えればスーパーに買い物に行けてしまうくらい馴染んでいた。元々適応能力が高いのだろう。
もっとも、違う意味でえらく目立ってしまうので(美人過ぎるのだ)、生半に連れて行く気にはなれないが。
あの適応能力の高さをまま真似しろとは言わないが、少しは真似てみようという気になってくれないかとは思う。
男連中に限っては、逆に図太いというか厚かましいというかで、自分達のペースを崩そうともしないのだ。
人数が揃い過ぎているのかもしれない。
詳しい経緯は本人達にも定かでないらしいが、老若男女合わせて13名、まとめてこの世界にやって来てしまった。
偶々その場に居合わせたのがだったから良かったようなものの、他の者だったら途方に暮れたに違いない。それだけの人数ともなれば、ただ面倒を見るだけでも金が掛かる。
バラけさせるにも、結束が強過ぎて引き離すこともままならないとなれば、宝くじを引き当てた以外に彼らを守れる人間は居ないのだ。
それでも、苛立つ時はどうしても苛ついてしまう。
常識が、生活が、為し様に考え様が、要するに何もかもが、と違うのだ。
なまじ月英らが馴染んでくれているだけに、男連中の馴染まなさには苦々しささえ覚える程だ。
譲歩すべきは彼らだけとは言わないが、だけでもない筈だ。
とは言え、どちらがより一層譲歩しやすいかと言えば、これは紛れもなくの方だった。
彼らには、新しい世界のことを覚える為の時間が是が非でも必要である。
覚える必要のないに余裕があるのは当然で、だから彼らが慣れるまで付き合って(我慢して)やるのが合理的というものだろう。
腹は立つが、仕方がないと察してやるべきなのだ。
どうしたものかなと、は顔をばしゃばしゃと洗う。
「失礼する!」
ぱぁんと爽快な音を立て、風呂の戸が開いた。
「本日、俺が殿の背を流す役目を仰せ付かった! さぁ殿、湯船から上がられ」
口上の途中だった馬超が飛ぶ。
が手近にあった洗面器を投げ付けたのだ。
「出て行けぇっ!」
軽いとは言え顎に洗面器の直撃を受けた馬超は、何が起こったか分からぬまま目を瞬かせている。
「いや、殿、俺は……」
「いいからっ! 出、て、行、けって、言ってんのー!」
今度は盛大に湯をぶちまけてくるに、馬超は慌てて逃げ出した。
ぜい、はぁ。
荒く息を継ぐは、湯量がだいぶ少なくなった風呂桶にしゃがみ込んだ。
――裸、見られた。
めそめそえぐえぐと泣き真似をしてみるが、疲れの方がどっと押し寄せてきてそれどころではない。
脱衣場はびしょびしょのぐしょぐしょだろうし、それを片付けなくてはならないと考えると余計に気が重くなる。
もう、ざっと体だけ洗って出ようと、湯船から上がり掛けた、その時だった。
「やはり、若造では力不足よ! ここは儂に任せてもらおうか!!」
すぱぁんとキレ良く開いた戸の向こうに、颯爽とした黄忠が立っていた。
は声もない。
先程と違い、足の先まで完全に曝している状態だったのだ。
が唖然呆然としている隙に、黄忠はずかずかと浴室に押し入り、を座らせて背中を流し始める。
「どこかかゆいところはないかのう!」
「……ないです……」
我に返っても全裸ではどうすることも出来ず、は少しでも見られまいと体を縮込まらせる。
「遠慮するでないぞ!」
がっはっは、と豪快に笑う黄忠は、心の底から『お役目』として、また『好意』としての背を流しているようだ。
悪気は、たぶんない。
は黄忠の(というより蜀将の)好意を受け入れるべく、奥歯をぎりりと噛み締めた。
我慢だ、忍耐だ、いずれ、必ず、その内には分かり合えるって信じてる。
呪文のように延々唱え続けていたは、不意にむくりと起き上がる。
部屋に下がって後ずっと不貞寝を決め込んでいたのだが、どうにも喉が乾いた。
冷蔵庫に向かう途中、通り掛かった居間の方が妙に賑やかなのに気付く。
やたらと盛り上がっている風で、何事かとついつい足音を潜めて様子を窺っていた。
戦闘に明け暮れる武将達が、が気配を消した程度で気付かぬ訳がないのだが、気が緩んでいるかそれ程話に夢中になっているのか、幸い気付かれずに居るようだ。
そっと聞き耳を立てる。
「……で、存外色が白くてなぁ!」
「それは俺も思いましたぞ」
「なかなか、抱き心地の良さそうな、いい体をしておったわい!」
途端、微妙などよめきが起こる。
「そ、そうなのですか……」
「姜維、鼻血が出てんぞ」
「で、出てません!」
「恥ずかしがることもない、お前の年では普通のことだろう」
「関平なんざ、さっきから股間押さえて黙り込んでるもんよ、なぁ!」
「おっ、叔父上、何ということを仰るんですかっ!!」
我慢の限界だった。
すぱぱぁん、と両開きの扉を全開にする。
時代劇の、あのノリだ。
武将達が一斉にびくっとなったのが、を調子付かせた。
「一つ人の風呂場を覗き」
「の、覗いたのではないぞ、俺はあくまで」
馬超が口を挟むも、スイッチが入ってしまったは聞きもしない。
「二つ不埒な猥褻三昧」
「儂も、別に背中を流す振りをしていた訳ではないぞ!」
焦った黄忠の言葉は自爆風味だが、それもは流した。
「三つ、皆殺し」
言い捨てるなり、は横手にあったフロアスタンドをわっしと掴み、頭上に高々と抱え上げた。
伸縮の限界を迎えたコンセントがぶちっと嫌な音を立てて抜け、勢い宙に舞う。
「わぁ、危な……!」
「ま、待て、、落ち着け!」
「これが待てるか落ち付けるかーっ!!」
我慢も忍耐も限界だと怒鳴り付けると、は勢い良くスタンドを投げた。
悲鳴が一層大きく響く。
「……孔明」
「おや、ようやく始まったようですね」
諸葛亮の指示で隣室に退避していた劉備は、悲鳴の大きさに顔を青ざめさせる。
指示を出した諸葛亮は平気なもので、月英が淹れてくれた薄めの紅茶を堪能していた。
同席する星彩も、平気なものだ。
唯一隣室を気にしている風な関羽は、顔色の悪い義兄を厭ってのことで、特に隣室に居る者の心配まではしていない。
「孔明、これはいささか……」
言外にまずいのではないかと滲ませ、不安がる劉備に、諸葛亮はにっこりと微笑んだ。
「殿、先程も申し上げましたが、これは殿と我々の仲をより強固なものにする策なのです。我々は、この世界ではどうしても浮いた存在。それというのも、我々の知るところと殿の知るところが異なるが故のことなのです。どれ程努力しようと、その差は埋め難く、やがて殿の負担となりましょう。下手に表面のみを取り繕うよりは、こうしてこまめにぶつかり合い、不満な気持ちを晴らす方が却って得策なのです。また、やや頑固な嫌いのある将達にも、殿が何をすれば怒り、不満に思うのか身を以て知った方が、ずれを埋める為の努力と方策に力が入るというもの。すべては、計算の上の策なのですよ」
「それは、そうかもしれないが……」
諸葛亮の策は、理解できる。
けれど、劉備にはどうしても納得できないことが一つあった。
――そも、殿の背を流して来いと命じたのはお前ではないか。
言いたいのだが、諸葛亮の醸す圧力がそれを許してくれない。
隣室の騒動は、ますます白熱していた。
終