宝くじに当たって、当面の暮らしには困らなくはなったけれど、は仕事を続けていた。
 いつどうなるか分からない以上、稼げるものなら稼いでおいた方がいい。
 会社には、やはり噂が流れているようだったが、は素知らぬ振りを続けていた。
 けれど、やはり嫌な奴は居るものだ。
「ねぇ、奢ってよ」
 部署どころか所属する階数さえ違う女性から、いきなり声を掛けられた。
 仕事中だったは打ち込みに夢中で、女性がいつ来たのかも知らずに居た。
「ねぇ、宝くじ、当たったんでしょ」
「……どちら様でしたっけ」
 本気で訳が分からず問うたに、女はにこにこ笑って名乗りを上げた。
 知らない名前だった。
「上の階の。知らないの? もう、駄目だなぁ。罰として、奢りね!」
 罰も何も、最初から奢れと言って来たのではなかったか。
「あのー……私、貴女のこと、知らないんですけど……」
「名乗ったじゃん!」
 怒り出す女に、さすがに見かねたのか同僚が割って入った。
「仕事中に、何やってんですか」
「何よ、あんたには関係ないでしょ!?」
 軽く言い争いになった時、上の階から女の同僚と思しき女子社員が駆け下りて来た。
「ちょっと! 仕事さぼって、何やってんの!!」
「さぼってないわよ!!」
 女は、を睨むとフロアを飛び出して行った。
 降りて来た女性は深い溜息を吐くと、を拝むようにして頭を下げる。
「……ごめん、ちょっと目ぇ離した隙に、フロア出てっちゃっててさ。何か言われた? 大丈夫だった?」
「大丈夫です、けど」
 はこの女性の顔を知っている程度だったが、割って入ってくれた同僚とは馴染みらしく、タメ口で文句を言われている。
「うっわ、マジごめん。今月から入ったパートなんだけどさ、勤務態度悪くて……ウチでも、ちょっと問題になってたんだ。ごめんね、上司には言っておくから」
 に謝り倒し、同僚からは激励の兵糧と称してもらい物の煎餅を持たされると、女性は上の階に戻って行った。
「気にすんな」
 同僚は軽くの肩を叩くと、自分の席に戻って行った。
 これで終わったと思っていた。

「ちょっと、待ちなさいよ!」
 が自宅のある駅の改札を潜ると、後ろから声が掛かる。
 え、と振り返ると、会社で絡んできた女がそこに居た。
「あんたのせいで、私、クビになっちゃったじゃん! どうしてくれんのよ!!」
 でかい声を張り上げるものだから、の周りから一斉に人が引いた。
 ひそひそと囁く声が聞こえ、遠巻きに見守られる状態に、の顔がかぁっと熱くなる。
 何をした訳でもないし、何もした覚えはないが、人前であからさまに責め立てられると何故か後ろめたい気持ちになった。
「わ、私、別に……」
「別にじゃないわよ、あんたのせいじゃない! 慰謝料払ってよ!」
 理由も理屈も分からない。
 難癖そのものに、けれどはおどおどするしかなかった。
「い、慰謝料なんて……」
「払いなさいよ! お金、あるんでしょ! 宝くじ、当たったんだから!!」
 周囲の人がどよめいている。
 あんな子がねぇ、という、誰とも知れない声が聞こえた。
 の顔が更に熱くなる。
「とりあえず、手始めに服買ってよね。あんたのせいで、就活やり直しになっちゃったんだから。後、靴とバックもね! ちゃんとコーディネートしないと、イメージ悪くなっちゃうんだから!」
 うろたえるを無視して、女は好き放題がなり立てていた。
「私、お金なんて」
「あるでしょ!? 宝くじ当たった金が!!」
 あるにはある。
 だが、無駄遣いして良い金など一銭もない。
 何故なら。
「ちょ」
 女が不意に黙る。
 視線はの遥か上だ。
 が振り返ると、視界が黒一色に染まる。
 真後ろに、の視界を塞ぐ形で周泰が立っていた。
 着ているものは普通のシャツなのだが、元々好みなのか黒一色の出で立ちだ。
「……迎えに来た……」
 言い捨て、の手を引き歩き出す。
「ちょ……ちょっとぉ! 話は未だ……」
「話なら、俺が聞こう。どのような話だ」
 遮るように女の進路を塞いだのは、太史慈だった。
 背の高さと相まって、鋭い眼光と鍛え上げられた体から放たれる威圧感は並大抵ではない。
 女はじりじりと後退し、捨て台詞を吐いて改札の中に飛び込んで行った。
「無事か?」
 柱の影に隠れていた孫権が、と周泰を出迎える。
 その後ろには、孫策と周瑜が立っていた。
「ど、どうして」
「孫策が、どうしても君を迎えに行くと言ってきかなくてな。私と孫権殿はお目付け役だ」
「周泰は、権と一緒に行くって言うからよ」
 こくりと頷く周泰は、未だの手を取ったままだ。
 今更気付いて、恥ずかしくなった。
 孫権は気にした様子もなく、笑みを浮かべて説明を付け加える。
「お前がおかしな女に絡まれているのを見てな。周兄が、一計講じて下さったのだ」
 それでか。
 確かに、この人数で囲んだりしようものなら、逆にどんな騒ぎになるか知れない。
 周泰の無言の威圧と太史慈の凄みのみでいなすのが、最良の策と言えよう。
 そうこう言っている間に、太史慈も戻って来た。
「……なぁ、ー」
 孫策が猫撫で声を出す。
「あの、しゅわしゅわする奴、呑みてぇなぁ」
「……それが狙いか、孫策」
 呆れたような周瑜に、孫策はへへ、と照れ笑いを浮かべる。
「いいですよ」
 が答えると、皆それぞれに表情を変える。
 変わらないのは、周泰くらいなものだ。
「やった! 、有難うな!」
、孫策を甘やかさないでやってくれ」
 孫権は、兄が喜んでいるのは嬉しいらしいが、やはり内心は複雑なようで渋面を浮かべている。
 太史慈も、似たようなものだ。
「うん、でも、助けてもらっちゃったから……御礼」
 帰り道にあるコンビニで、一人一本好きな飲み物を買っていいことにした。
 ご機嫌になって弾むように歩き出した孫策を、皆が追い掛けるようにして帰路に着く。
「……えっと」
 は小声で囁いた。
「周泰さん、手……」
 未だに繋がれている手を、は気にしてじっと見詰めた。
 自分から振り払うのも気まずいし、抜かせない程度にはしっかり握られてしまっている。
 周泰は無言のままに目を向け、軽く力を入れてくる。
 駄目か、と問い掛けているようだった。
「…………」
 は視線を逸らす。
 そっと手を握り返した。
 コンビニに着くまでの一時、は異様に熱くなってしまった自分の手を気にして、頬を染めたまま歩かねばならなかった。

  終

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