遠呂智軍がの前に現れた時、は胆が潰れるのではないかと思った。
 あの異様な風体の集団が突然目の前に現れたのだから、正直仕方ないだろうと言い訳したい。
 ただ、面白いことに実体があるのは遠呂智と妲己の二人(?)だけで、残りの将達は姿は在れどもの例え通り、影のみの存在だった。
 会話は出来るが、触れることも出来ず、しかもその姿を見ることが出来るのは、何故かだけであるらしい。
 けれども、影のみとは言え遠呂智軍でぎちぎちになった家の住み心地がいいとは到底言えず、宝くじが当たったのをいいことに、は手頃な中古ビル一棟を購入することにした。
 家具は必要ないということだったので、自分の分と遠呂智と妲己の分だけを用意した。
 妲己は、遠呂智に相応しい最上階を与えるように迫ったが、遠呂智は日の光が入る明るい最上階を好まず、妲己と下の階を分けあって住むことで同意に持ち込めた。
 残りの階は、遠呂智軍の武将達の部屋である。
 食事の用意も必要ないとあって、が案じるべきは遠呂智と妲己のことだけで良かった。
 この話を聞けば、何故わざわざそんな真似をと訝しがる人も居ただろう。
 だが、には遠呂智を見捨てることは出来なかった。
 嫌いではないこともあったが、現実世界に現れた遠呂智と妲己の力は、実に幼稚園児並に下がっていたからである。
 雷や炎などの妖術や技も封じられた状態だ。
 頼みの配下も幽霊同然とあって、この状態で生きていけるとは、どうしても思えなかったのだ。
 恐らく、現実世界に来る際に、その手の能力が消えてしまったのだろう。
 元々力がある遠呂智と妲己だけが、底上げ分辛うじて実体を維持することが出来たに違いない。
 どうにかして帰してやりたいとは思うが、その手管も今は完全に霧の中の状態だ。
 手探りで探し当てるに等しく、またそうして探す間も遠呂智達の糧と居場所は必要だ。
 宝くじが当たって、本当に良かったとは喜んでいた。

 深夜のことだ。
 夜型のだったが、今宵に限ってはどうにも体が重く、早々に床に潜り込んでいた。
 普段からの夜更かしが堪えたのかもしれない。
 最上階に設えられた天窓から、月が覗いているのが見える。
 柔らかく静かな月光が、ふっと何かに遮られた。
 赤と碧の月、と思ったものは、遠呂智の眼だった。
 同時に、両手が頭上に持ち上がり、手首の辺りを戒める感触がある。
「……妲己?」
 見上げた先には、妲己が笑っている顔が見えた。
 縛り上げられた手首の、結び目を確かめている。
 に気付いた妲己は、これ見よがしに拘束された手首をに見えるように持ち上げる。
「体、重くて自由に動かないでしょ。念の為、縛らせてもらったからね」
「……何で」
 意味が分からない。
 妲己は嘲笑うように笑い、身軽くベッドから飛び降りた。
「私達が元の世界に戻る為よ」
「戻る為……」
 やはり意味が分からない。
 妲己はじれったそうに眉を(ないが)顰ませ、次いで小馬鹿にしたように笑う。
「私達が戻る為には、遠呂智様に力を取り戻してもらわなきゃいけないの。その為には、手っ取り早く誰かの精気を吸収するのがいいの。分かる?」
 はしばし考え込み、次いで首を傾げた。
 分かるが、分からない。
 そんなに、ふん、と勢い良く鼻息が当たる。
「分からないなら、分からないで居たらぁ? ……どうせすぐ分かるわよ、身を以て、ね」
 言い捨て、妲己は拾い上げた袋の中身を、の頭のすぐそばに盛大にぶちまけてくる。
 ぺちっと当たった何かを凝視した。
 あまり馴染みのない物体だ。
 バナナより一回り大きく、表面がごつごつしている。感触はゴムのそれだが、の周りでゴムと言えば輪ゴムか消しゴムくらいなものだ。
「…………?」
 まじまじと凝視して、し続けて、はっとした。
「……ようやく分かったの?」
 馬鹿にすると言うよりは呆れた態で、妲己が呟く。
 妲己がぶちまけたのは、いわゆる『大人のおもちゃ』だった。他にも、それ関連の品が小山になっている。
「ど、……どうしたの、これ!?」
 格好が格好なもので、妲己を外に出したことはない。
 基本的には金銭の類も渡してないので、よもやこちらが気が付かぬ内に盗んだか奪ったかしたのかと、冷や汗が出る。
「あれよ、ア・レ」
 妲己がくいっと親指を差し向けた方には、愛用のパソコンが鎮座していた。
 前に一度だけ、妲己の前で使ったことがある。しかも、その時は確か、ネットショッピングをしたのだ。
 賢い妲己は、その際にパソコンの使い方を覚えてしまったに違いない。
 になど興味がないと断言していた妲己だったが、見ていない振りをしてちゃっかり見ていたようだ。
 使うのは自分一人だと油断していたのが災いした。
 更に、遠呂智が常駐するビルに泥棒が入る訳がないという思い込みもあった。
 電源さえ入れれば使える魔法の箱は、妲己にとって新たな武器になったに違いない。
「じゃあ、そういうことで~」
 リズミカルにステップを踏みながら部屋を出て行く妲己の後ろ姿に、は遅まきながら事の次第と己の現状を理解した。
「ちょおっ……!」
 の声は虚しく響くのみで、妲己が振り返ることもなく、扉は無情にも閉ざされた。
 ぱっと視線を戻すと、遠呂智が爛々と輝く眼でを見下ろしている。
 血の気が引いた。
 遠呂智は、を抱く気でいる。
 手っ取り早い精気の吸収とは、つまり、そういうことなのだ。
 遠呂智の指先が、の顎を捉える。
 半ば濡れたような独特の感触が、の肌を泡立てた。
 眼前に迫る遠呂智の顔に、は思わず目を閉じる。
「気味が、悪いか」
 ぽつり、と、染み入るような声だった。
 目を開ける。
 遠呂智がを見下ろしていた。
 もまた、遠呂智の顔を、その眼を見詰めた。
「この縄、解いて下さい」
 の願いを、遠呂智は従順に聞き入れた。
 腕が解放されると、は擦れて痛む肌をひとしきり撫で、おもむろに遠呂智に伸ばす。
 髪に、顔にと触れる指を、遠呂智は拒絶せずに受け入れた。
「気味が悪いんじゃ、ないんです。無理やりなのが、嫌なだけ」
 の言葉に引かれるように、遠呂智は身を乗り出した。
 口付けの間にも、遠呂智の指は性急にのパジャマを暴いていく。
 直接触れる肌に鳥肌が立つが、これはいわゆる生理現象だ。の意志とは、関係ない。
 遠呂智が気付く前に、は重い腕を何とか持ち上げ、その首に絡めた。

「昨夜は、お楽しみだったみたいね?」
 某RPGの宿屋の主人が如き台詞に、は重い頭を振って答えた。
 詰まらない反応に、妲己の唇が尖るが、あまりのだるさにもいちいち反応して遣れずに居る。
「……まぁいいわ。その様子だと、遠呂智様もさぞ精気を溜め込んだんだろうし」
「あ、それ、たぶん出来てない」
 が突っ込むと、妲己は一瞬口をぽかんと開いた。
 その顔が意外に可愛らしく、は朝のコーヒーを啜りながら妲己を見守る。
「……嘘ぉ!! ちょ、え、どーしてよぉ!!」
 顔を真っ赤にして半泣きながら怒っているのも、また可愛らしい。
 その可愛らしさに免じて、意地悪せずにおいてあげようと、は正直に答えることにした。
「うん、あのね、妲己が買ってくれたアイテムの中に、コンドームがあったからね。使わせてもらった」
「……こんどーむ……?」
 妲己が(悪)賢いのは嘘ではないが、どこか抜けているのも紛れもない事実だ。
 それ系のアイテムということで、何に使うか定かでないものまで、とにかく片っ端から買い入れたのだろう。故に、定番商品たるコンドームも、しっかり購入内容に含まれていた。
 妲己らしいと言えば、らしい。
 ともかく、そんな次第ではきっちりコンドームを使用させてもらった。
 精気の譲渡など、本来どのようにしてやるものか定かでないが、少なくともコンドーム越しでも何とか出来るようなものだとは聞いたことがないし、たぶん出来ないのではないだろうか。
 きっと、そうだと思う。
「な、何よ、分かんないじゃないっ!!」
 妲己は、髪まで振り乱しての取り乱しようだが、未だ一縷の望みをかけているようだった。
「そうよ、未だ分からないでしょうが! 遠呂智様に確認すれば、遠呂智様は……」
 言い差し、気が付いたようだ。
 立ち尽くす妲己に、はトドメを刺す。
「遠呂智なら、未だ、寝てる」
 妲己の肩が、がっくりと落ちた。
 精気を吸い取って力を蓄えたと言うなら、遠呂智が惰眠を貪っている訳がない。
 心なしかつやつやしているの顔を、妲己は恨めしそうな目で睨め付けた。
「……あ、でも。未だ、チャンスはあるかもしれないねー」
 他人事のように呟くに、妲己の目が輝いた。
「今夜もしようって、遠呂智に言われてるからー」
 てへ、と照れたように笑うに、妲己は猛烈に砂を吐きたくなる。
「のっ……の、のろけてるんじゃないわよっ!」
「えー、のろけかなー、そんなつもりないけどー、でも、そうかなー」
 そして、はてへっと笑う。
 妲己の金切り声は、階下の遠呂智軍団の元まで響いていたと言う。

  終

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