「あー、そう言えばさぁ」
 は、久しぶりに友人と長電話に興じていた。
 ここ最近は引っ越しだ何だと忙しくて、そんな暇もなかったのだ。
「こないだね、張飛さんと酒呑んでたんだけどね」
「うんうん」
 友人は素直に相槌を打つ。
 が引っ越したのは、蜀将の面倒を見る為と、友人は既に知っている。
 引っ越しも手伝っており、落ち着いたら遊びに来る約束もしていて、その詳細を決めるのに電話をくれたのだった。
「折角だから、あっちじゃ呑めない酒がいいってことになってさ、色々見繕ったのね」
「うん」
「そしたら、張飛さん引っ繰り返っちゃってさぁ……」
「はぁ!?」
 張飛は、音に聞こえた大酒呑みである。
 友人の驚きも、もっともと言えた。
「え、何、そんなに呑んだとか?」
 聡い友人は、の口調から倒れたのは張飛一人と察したのだろう。事実、そうだった。
「いやいや、ジョッキ一杯、だったんだけど……」
 友人が、一瞬黙る。
「何を呑ませた」
 やはり、聡い。
 はうへへと笑って誤魔化そうとするも、友人の追求は緩まなかった。
「吐け」
「呑んでもないのに吐けないよ。そも、もったいないから吐かないよ」
 殴るぞと言われても、電話越しなので平気の平佐だ。
 しかし、不可能を可能にしてきた友のことだったので、おとなしく脅迫に屈する。
「ウォッカをね」
「ジョッキでか」
「そう」
 ウォッカに謝れと言われて、は素直に『ゴメンナサイ』と頭を下げた。

 電話を切る前、『張飛が傷ついているのではないか』と指摘されたは、最初こそ笑い飛ばしたものの、心配になってきた。
 傷付いたと案じられるのは、心ではなくプライドだと言われれば、確かにその通りだと思えたのだ。
 酒一杯でひっくり返るとは情けない。
 そう言われてしまえば、事実だけに張飛は言い返せないに違いない。
 詰まらない言い訳をしない男である。
 周りも、からかうような連中ではないと思うのだが、それでも張飛が酒を呑んでひっくり返ったという事実をどう受け止めたかは分からない。
 何かの拍子に飛び出さないとは限らず、その場合の方が傷を深くえぐることだろう。
 どうしたものかと考え込んでいると、諸葛亮が現れた。
「ここは一つお任せを」
「……未だ何も言ってないんですか」
 言わずとも分かりますとは、何とも恐ろしい言葉だ。
 諸葛亮ははたはたと白扇を仰ぐと、にこっそり耳打ちしてきた。

「俺はいらねぇ」
 ふてくされて居間から出て行った張飛に、場は微妙な空気に染まった。
 趙雲はいささか困ったように、馬超は特に機にした様子もなく、黄忠はあからさまに吹き出したそうな顔をしている。
 後の面子の表情も、おおよそこの三種に分けられた。
「じゃあ、とりあえずお取っときの奴をねー」
 がトレイに並んだ小振りのグラスを各自に回す。
「じゃ、かんぺー」
 関平が不審げにを見るが、自意過剰だと思うのということで、は敢えて無視した。
 高々と掲げたグラスの勢いで、皆が皆、ぐいっと一気にグラスを干す。
 次の瞬間だ。
「げぇっ!?」
「ごふっ!!」
「こ、これは……!?」
 阿鼻叫喚と呼ぶにふさわしい光景が広がる。
 盛大にむせる者、喉を押さえて倒れ込む者、水を求めて駆け出そうとして派手に転げる者、とにかく酷い有様だった。
「…………我ニ、毒盛ッタカ……!?」
 苦しい息の下から吐き出すように叫んだギエンに、は優しげな微笑みを向ける。
「そーんなことはないですよー、れっきとしたお酒ですよー。ただし、一気とかしたらダメなお酒なんですよー」
 嘯くは、一口舐めるように啜ったグラスを揺らして見せた。
「ど、毒と変わらんわぁっ!!」
 黄忠が真っ赤な顔に涙を滲ませ、直後にむせた。
「あらぁ、張飛殿はジョッキ一杯飲み干されたのにぃ、天下の黄忠様がこんな小っちゃいグラス一杯で、ずいぶん情けないですぅ」
 煽るに、黄忠の眉が吊り上がる。
「何を言うかっ! こ、こんな酒、水と変わらんわ!」
「じゃあ、お代わり?」
 真顔のに、後に引けない黄忠がおうさと応じ、周囲の者が慌てて止めに入る。
 酔って暴れる黄忠を取り押さえるのは至難の業で、まして酒で体が麻痺している状態でとあっては尚のことだ。
 もういいかな、と、は扉の陰に隠れている諸葛亮に合図を送った。
 これこそ『孔明の策』という奴だ。
 ウォッカには、それ程強い匂いはない。見た目も無色透明とあって、ぱっと見には強い酒だと感じさせる要素は皆無だ。
 それを一気に煽った張飛が馬鹿だと言えば馬鹿なのだが、それでもジョッキ一杯一気に喉に流し込めただけでも大したものなのである。
 大したものだと分かるのは、ウォッカの味と強さを知る者だけだ。
 更に、用心しいしい呑んだのでは、張飛の偉大さは分かり難い。
 量の如何はともかく、同じように一気させると言うのが、この策の妙だった。
 また、当然こんな策を仕掛けられた者は、仕掛けた者に対して盛大に怒り狂う確率が高い。
 であるが故に、蜀将全員を黙らせる奥の手に相当する人物が必要だ。
 その人選は諸葛亮がしたが、別に諸葛亮が考えなくともも迷わず選んだと思われる。
 つまり、君主劉備と軍神関羽だ。
 この二人は、端からこの場に居合わせていない。理由を付けて、連れ出してある。
 諸葛亮には、が合図したら別室で無双楽しんでいる劉備(ちなみに愛用キャラは自分だ)と、風呂に入って髭のトリートメントに勤しんでいる関羽を呼びに行ってもらう手筈になっていた。
――でも、諸葛亮さん。
――何でしよう。
――私が憎まれ役やらなきゃ、駄目だったのかな。どうしても?
 諸葛亮は、にやりと笑って立ち去った。
 おいおい、答えてから行けよと無言で突思わず突っ込む。
 急いで呼んでもらわねば身が持たないのも確かだが、これ見よがしに逃げられるのも腹立たしい。
 普段は憎まれ口を買って出る諸葛亮だったから、偶には人に押し付けたかったのかもしれない。
 そんな風に思うと、は諸葛亮を責める気にはなれなくなった。
 ふと、気配を感じて振り返ると、諸葛亮が顔を覗かせていた隙間から、今度は張飛が顔を覗かせているのが見えた。
 と目が合うと、顔を赤くしてぷいと出て行ってしまう。
 思わず目を丸くしただったが、次の瞬間堪え切れずに吹き出した。

 結果的に、劉備のとりなしも関羽の一喝も必要なかった。
 誰もに怒ろうとしなかったのだ。
 その理由をは知らないが、理由を知った諸葛亮も詳細までは分からず、首を傾げた。
 実は。
 床に転がり呪詛の如きうめき声を上げていた将達は、の微笑みを目の当たりにして戦慄した。
 苦しみもがく将達を前に嬉しげに笑う女など、誰が見ても怖ろしかったろう。
 張飛を見ていたと将達が気付く由もなく、よってへの恐怖だけが焼き付いた。
 そんなことになっているとは、さすがの諸葛亮も読めなかったのである。

  終

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