おやおや、とは内心首を傾げた。
本当に首を傾げたくもあったが、それは叶わなかった。
何故なら、の顔が劉備に固定されているからだ。
が当てた宝くじを資金源に、この世界に飛ばされて来てしまった『蜀将』を名乗る男達との、奇妙な共同生活は続いている。
やたらと賑やかになりがちな酒宴に飽きつつあったは、今宵、風鈴の音色をつまみに一人酒と洒落込むことにしていた。
酒となると大騒ぎになるのが目に見えていたから、自室にこっそりクーラーボックスまで持ち込んでの抜かりなさだった。
まさか、劉備に見付かるとは思いもよらない。
窓辺にもたれていたのが災いして、裏庭の散策に出ていた劉備と目が合ってしまったのだ。
こうなると、もう言い訳は効かない。
真っ暗な裏庭からでは、煌々と電気の付いたの部屋の様子が丸見えだったろうし、そもそもはワイングラスを片手に涼んでいたから、それだけでもうアウトだ。
ジュースと言い訳しても良かったが、言い訳が通じず騒がれるよりは、劉備一人を巻き込んで二人で呑んだ方がマシだと判断したのだった。
第一、劉備はおとなしげで、とても騒いだり悪さするようには見えない。
皆で呑む時も、量も態度も控え目だったから、呑み相手には良かろうと思ったのだ。
その劉備とは今、何故か口付けを交わしている。
酔った勢いなのかと思うが、良く分からない。
――まぁ、いいか。
も酔っていたし、嫌悪感がないのもあって、劉備のさせたいようにさせることにした。
酒の苦さが染み付いた舌が、ひんやり冷えて快かったせいもある。
舌先で応じるも、劉備はあくまで謙虚に、男にありがちな横暴さを見せることもなく、静々と唇を重ねていた。
不意にはぴくりと跳ね上がる。
原因は、襟を割って忍び込んだ冷たさのせいだ。
汗を掻いたグラスに冷やされた劉備の指が、そろそろとの襟を割って侵入している。
おいおいと思っている内に、指先は胸の頂きに届く。
触れられた時とは質の異なる感覚が、神経を伝って全身を痺れさせていくようだ。
――まぁ、いいか。
指では飽き足らなくなったか、唇を鎖骨に沿って這わせ始めた劉備の頬が上気していて艶めかしい。
酒に酔ったからだとは言い切れない熱心さを感じるが、は無視することにした。
どうせ帰ってしまう人なのだから、勢いでこうなってしまっても気にするものでもない。
勢いが勢いで済まなくなって、種が芽吹くことも考えないではなかったが、その時はその時のことだと思うことにした。
劉備の子なら、きっと母一人でも大丈夫だろう。
無責任な想像に浸っている間に、視界が暗転した。
目覚めると、劉備は既に身繕いを済ませ、の頬を優しく撫でていた。
床で事に及んだ筈だが、ベッドに横たわっているのに気付く。
意外と力持ちなのだと、何だかんだ言っても男で、武将のはしくれなのだとしみじみ思う。
の目が覚めたことに気付いた劉備は、仕草と同じように優しい笑みを浮かべてを見詰めた。
「……おはよう」
「おはよう、」
とりあえず朝の挨拶を交わす。
今朝の食事当番は月英だった。食欲をそそる味噌汁の香りが早くも漂っていて、の胃を刺激した。
「着替えるから……」
さすがに劉備の前で堂々と着替える気にはなれず、さりげなく退室を促す。
劉備は逆らわず、腰を上げた。
ドアの前まで進んだ劉備の足が止まり、出て行くのを見送っていたが首を傾げる。
「には、簡雍や糜竺の話をしたことがあったろうか」
あったような気もするし、なかったような気もする。
考え込むに、劉備は笑って『いい、いい』と軽く手を振った。
「会った時に私がきちんと紹介しようから、そなたは何も案じなくても良い」
では後で、と微笑みながら去る劉備は、に頷く暇も与えなかった。
そして、はあれあれと考え込む。
簡雍だの糜竺だのは、こちらの世界に来てはいない。
ほいほい行き来出来るものでもないのに、どうやって紹介すると言うのか。
ふと、思い付く。
劉備はひょっとして、を連れて帰る気満々でいるのではないか。
にとっては勢い、その場の流れだったものが、劉備にとってはそうではなかったとしたら。
たらりと冷や汗が流れ落ちる。
開け放たれた窓から、涼しい風が吹き抜けた。
――まぁ、いいか。
は強張った体から力を抜いて横たわる。
未だ帰れると分かった訳でなし、着いて行けると決まった訳でもなし。
先のことなど、考えるだに無駄だ。
だから、考えるのをやめた。
紹介してくれるならしてくれるで、勿論ちっとも構わない。
終