むっつりと顔をしかめた陸遜に、隣に腰を下ろした呂蒙は苦笑いしている。
「そう、怒らずともだな」
「呂蒙殿っ!」
 何とかなだめようと口を開いた途端、陸遜が激しく噛み付いてくる。
 単なる呼び水となってしまったらしく、陸遜の怒りの演説が始まってしまった。
「これが怒らずにいられましょうか! そも、殿の提案が如何に馬鹿げたものであったか、呂蒙殿もお分かりの筈でしょう! 私達を案じて下さったと言うのであれば、そうなのかもしれません、ですが、その方向性には著しいズレが生じている、そうではありませんか!? だからこそ呂蒙殿も、殿の提案には乗らなかった、そうではないのですか!?」
「……少し落ち着け、陸遜」
「落ち着いてなどいられません!!」
 周瑜が口を挟み、キレたように叫んだ陸遜は、しかしふと我に返って恥ずかしそうに口を噤んだ。
「確かに、には申し訳ない程に世話になっている。だが、陸遜の言うことももっともだ。何とか、対策できれば良いのだが……」
 その対策が出来ないからこそ、陸遜が苛立ち呂蒙は無為に苦笑を浮かべている。
 さすがの周瑜も、打つ手がなかった。
 突然この世界に放り出された周瑜等一行は、と出会い保護された。何でも、くじで大金を引き当てたそうで、それを元手に家を買い、食事の支度をしてくれている。
 衣食住は申し分なく満ち足りていたが、衣食住以外でどうしても足りないものが、一つあった。
 性欲を満たすものが、ない。
 口の軽い甘寧が、堪え性なくぶちまけたらしく、それでもずいぶん考えてくれたらしい。
 だが結局、外で『解消』させることは諦めたようだ。
 この世界は身分証明にずいぶんうるさいらしく、戸籍も、周瑜達の世界とは比べようもない程細かく定められていて、戸籍を持たない者は皆捕らえられ刑に服さなくてはならないと定められている。
 世界そのものと縁のない周瑜達が捕らえられた場合、いったい全体どうなるのか、には想像も付かないとのことだった。
 その危険を鑑みれば、が周瑜達を外に出したくない気持ちは痛い程に理解できる。
 弁えるべきは我々だと、周瑜達はそう受け止めたが、の気遣いはその上を行った。
 自分が面倒をみようと申し出てきたのだ。
 まさか、下の世話までみてもらう訳にはいかない。
 周瑜や呂蒙、陸遜は当たり前にそう断じて、直接でないにせよ断りを入れた。
 しかし、ほとんどの者はの提案を受け入れてしまったらしい。詳しい面子は知る由もないが、訪問が重ならないように『日程表』まで作成して、に『発散』させてもらっているようだ。
 陸遜が怒り狂っているのもそのせいで、うかうか提案に乗った者達にも勿論、提案した自身にも腹を立てている。
 若さ故の潔癖に伴う、性への拒絶であろうか。
 とはいえ、の提案に乗らなかった周瑜としても、この状況が良いとは思わない。
 の負担もさることながら、一人の女に複数の男が群がる異常さを是とする筈もない。
 また、話に拠ればは最後の一線だけは何故か許しておらず、中途半端な発散が、将達の関係を尚更ぎすぎすさせているように思えてならなかった。
 非常に失礼な話とは思うのだが、がその最後の一線を許してくれれば、と思わないでもない。
 陸遜が聞いたら憤怒に荒れ狂いそうなことを考えてしまうのは、周瑜には小喬が居るが故の余裕からかもしれなかった。
「何を、騒いでいる」
 悠然と姿を現したのは、孫堅だった。
 白いバスローブをまとい、缶ビール片手に如何にも風呂上がりの態をなしている。
 この現代にいち早く馴染んだのは、実は孫堅のような気がしてならない。
 それぐらい、極自然に当たり前に振る舞っていた。
「……何だ。暑いのなら、お前もシャワーを使うといい」
 じろじろ見ていたのがばれたか、孫堅はおざなりに話し掛けてくる。
「いえ、特にそういう訳では」
「これか? これは、ちゃんとに許しを得ているぞ」
 ビールのプルトップを片手で難なく開けると、孫堅はぐびりと喉を鳴らしながら流し込む。
 一口煽ると、無言で呂蒙に差し出した。
 呂蒙の顔は平静を装っているが、口元が微細ににやついている。
 周瑜は、ビールの強い炭酸に馴染めなくて苦手にしているが、呂蒙はこの酒がかなり気に入っているらしく、孫堅が目で指図し、全部やると言っているのだと分かると、一気に底まで開けてしまった。
「……孫堅様は、の行動をどうお考えですか」
 周瑜が切り出すと、幸せそうに白い髭を拭っていた呂蒙も真顔に戻る。
殿の好意は有り難いとは思いますが、かえって規律を乱しているように感じます。その点、孫堅様はどのようにお考えなのでしょう」
 陸遜が畳みかけるが、孫堅に動じた様子はない。
「あれは、俺達が好きなのだ」
 あっさりと言い切られ、周瑜も陸遜も思わず絶句する。
 だが、孫堅は二人の様子に気を配る気配もなく、話を続けた。
「俺達が好きだからこそ、触れさせることに抵抗がないのだ。俺達がいずれ去るからこそ、今だけだからと触れさせている。だが、いずれ去るからこそ最後の一線を越えることができん。そこまで深く受け入れて、俺達が去った後に、一人で居ることに耐えられるか分からん、とな」
 の女心を滔々と語られ、ぐうの音も出ない。
 複雑怪奇な思考をあっさり読み取る孫堅の手練に、呉の誇る軍師達は舌を巻いた。
 戦と女は違うだろうが、人の心を読むという点では同じである。
 軍師として当然補うべき点を、君主に足らぬ程度の力量だと示され、三人共に恥じ入るばかりだ。
「……そういうことでしたら、未熟な私にも理解できます。そうでしたね、殿は、お一人で居られたのですよね」
 しみじみ呟く陸遜に、他の二人も同意する。
 刹那の恋心だからこそ淫らな程に激しいというのであれば、理解できないものでもない。
 すっかり怒りを鎮めた陸遜は、感嘆して孫堅に訊ねる。
「さすが、孫堅様です。殿の心情、いったいいつから見抜いて居られたのですか」
「見抜いた訳ではないのだがな」
 おや、と一瞬、間が空いた。
「直接に訊いたまでだ」
 ついでに、の詰まらんこだわりも捨てさせてきたと、極々平坦に告白して寄越す。
 孫堅が何を言わんとしているのか、最初、誰も理解できずに居た。
「………………っ!!」
 けれども理解した瞬間、陸遜は顔を真っ赤にし、足音も荒く駆け去ってしまった。
 その後ろ姿を見て、孫堅はやや渋い顔で呟く。
「……あれは、に惚れているのか」
 周瑜と呂蒙は顔を見合わせる。
 そう言われれば、そうかもしれない。
「ならば、尚更を一人にする訳にはいかんな」
 ローテーブルに置かれたビールの缶を取り上げた孫堅は、中が空だということを思い出したらしく、何気ない振りで元の位置に戻した。
 その仕草に、周瑜は違和感を感じる。
 ビールのお代わりを取りに行ったらしい孫堅の背を見送り、周瑜は眉間に皺を寄せた。
「……周瑜殿?」
 気付いていない呂蒙が、訝しげに周瑜を見た。
 鈍過ぎるとは思うが、今の周瑜にしてみれば、いっそ妬ましい程うらやましい。
 孫堅と陸遜、場合によっては他の者も乱入しかねない『争い』を想定して、周瑜はただただ、陰気な溜息を吐くのだった。

  終

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