男と女の間に深い溝があるように、狩猟民族と農耕民族の間にもまた、深い深い溝がある。
は、そう思うのだ。
「おっほー、ちっとばかし違うが、懐かしい感じだぜ!」
「ホントだねえ、あんた!」
頼むから、もう少し大人しくしてくれ。
は、げっそりしながらはしゃぐ夫婦の後ろ姿を見詰めた。
光の渦と共に現れた南蛮夫婦を保護してから、早数ヶ月が過ぎた。
平穏な暮らしは、だが南蛮夫婦の滾る血潮を染めることなく、鬱々としてそのエネルギーを貯めるだけのものだったらしい。
見るからに元気を失くしていく大のおっさんと、如実に苛々している美人妻の負の空気に疲れ果て、国内で良ければと連れ出した。
金は、宝くじ一等前後賞を引き当てただけあって、未だ余裕があるから問題ない。
とにかく、自然の多い所に連れ出さないと、爆発して死にそうな勢いだったのだ。
とある山間部に位置する巨大キャンプ場ではあったが、都会の喧騒から解放され久々に広い空の元に連れ出された夫婦は、それこそ子供のようにはしゃぎ、解き放たれた犬のように走り回った。
ちなみに、はレンタサイクルで借りた自転車に乗っている。
それで追い付けない。
坂道でもないのに段々引き離されていく距離に、最初は懸命に引率に努めていたも、今はほとんど放置の状態だ。
がもう少し性格が悪ければ、二人の腰にロープでも結び付けて走らせるなりしたかもしれないが、生憎そこまで酷くもない。
もっとも、少し考えれば自転車の速度がとんでもなくなるのはすぐに予想出来ることなので、思い付くことさえないは勝ち組と言って良かったかもしれない。
へいこらとペダルを漕いで、二人が走って行った方へと向かう。
と、大声で怒鳴り合う声が聞こえて来た。
釣り場でもある川の方だ。
嫌な予感がして、慌てて駆け付けると、的中していた。
「何やってんだって言ってんだ!」
「いいから退け、魚が逃げちまう!!」
喚いているのは主に釣り人達で、怒鳴られている対象は馬耳東風とばかりに無視に徹している。
孟獲と祝融は、互いに川の中へと入り、川面をじっと見据えているところだった。
「……おぉい」
呟きからに気付いた釣り人の目が、一斉にに注がれた。
「あんたの連れか!?」
「何とかしろ、邪魔なんだよ!」
「魚が逃げるだろ!!」
を取り囲み、四方八方から責め立てる。
見れば、PSPやDSを携えた子供達が、退屈そうにゲーム画面に見入っている。
釣果もなく、折角かっこいいところを見せようと引き摺って来た子供に相手にもされず、苛立っていたところに南蛮夫婦の乱入を受けて、溜まっていた憤りが爆発したというところか。
八つ当たりだが、南蛮夫婦の行動が常識に適っているとも言い難く、は反論もせず黙り込む。
その態度が憎たらしいと取られたか、釣り人達の怒声はますますヒートアップしていく。
落ち着いてと言っても落ち着きようもなくなった状態に、どうしたものだろうかとが悩み始めていると、思わぬ方向から救いのもとい掬いの手が伸びた。
わっと歓声が上がる。
子供達の声だ。
何気なく振り返った釣り人の一人の顔に、魚が盛大にぶち当たる。
勢い良く跳ねた魚は、の手元に降って来て、慌てたはお手玉しつつもその魚を取り押さえた。
腹に押し付けるようにして捕らえた魚は、その身をびちびち震わせて、最後の抵抗を試みている。
活きの良さはさすがに天然、とずれた感想を抱いてる間に、第二第三の『魚砲弾』が降って来た。
「すげぇ!」
「手で取ってる!」
「パパァ、僕もあれやりたいー!!」
子供らが指差す先には、熊のように魚を掬い上げる南蛮夫婦の姿があった。
同族の危機に、我が身可愛さでとっとと逃げているだろう魚を相手に、南蛮夫婦の手は容赦ない。
二人の間で逃げ惑う魚群を、片っ端から掬っては投げ掬っては投げを繰り返している。
いいのか、あれ。
呆れ返るを除け者に、子供達の歓声が場を占拠し、一時異様な空気が辺りを支配していた。
結局、獲った魚はその場の釣り人達にも豪勢に振舞われ、感情的にを責めた釣り人達も、頭を下げて詫び、礼を言って戻っていった。
釣りをするには予め許可が必要だったし、厳密に言えば釣りでは絶対ない訳で、うしろめたい立場のも快く釣り人達の非礼を許した。
何より、仕事に明け暮れ父親を尊敬するという思考のなかった子供達が、興奮してはしゃぎ、父親に懸命に話し掛けている姿が微笑ましかったこともある。
魚に触れないと泣き出しそうな子もいたが、その魚を父親がわしっと捕まえ上げる姿に目を輝かせていたり、『買うと高い』の一言で態度をころっと変えた子もいて、現代っ子の一面に苦笑いもしていた。
何であれ、はしゃぐ子供の姿は可愛らしい。
この自然の中でゲームに興じられるよりは、極々真っ当な姿と言えた。
獲った魚を自生していた笹の葉で器用に繋ぎ、肩に下げた孟獲は、機嫌良さげに歩き出す。
「竈があるんだろ? 後で、これを焼いて上げるからね」
祝融も機嫌良さそうにに話し掛けてくる。
それは美味しそうだ。
も、にっこり笑って応じた。
自転車を押しながらの帰り道、暮れ掛けた空に吹き抜ける風が涼しい。
来て良かったなと、改めて思った。
けれどこの後、帰ろうと言うのに『ここに住みたい』と言い出した二人を説得するのに、はえらく苦労させられる。
この時点では、そんな苦労が待ち受けているとは夢にも思わぬだった。
終