呂蒙始めとする呉将達がの世界に来てより、それなりの月日が経っていた。
 彼らの出現と同時に当たった宝くじは、きっと彼らの為に使えという神の啓示だったのだろう。
 それが証拠に、あれから買った宝くじがまた当たった。
 こんな強運、ある訳がない。
 呉将達の面倒をみる代わり、お前の口も養ってやろうと、神様が給料前払いしてくれているに違いないのだ。
 そんな次第で、は今日も呉将達の為に、せっせと働いている。

 呂蒙が居間に足を踏み入れると、設えられた大型の長椅子にが寝転がっていた。
 眠っている訳でなく、かといって本を読んでいる風でもない。
 半目開きの剣呑な眼を宙に向け、ただぼんやりとしているようだった。
 変わった女だ、と思う。
 けれどそれは、罵りや呆れという感情から出された評価とは程遠い。という女の人となりを、実は呂蒙は掴み切れていなかった。
 孫堅は『大した女』と手放しに褒め、周瑜は『世話になっておきながら何だが、あれは如何なものか』と眉を顰め、錬師に至っては、評価する手間すら惜しいと言った状況だ。
 ただ、各人の評価が割れるのも、致し方ないと思われる理由を、は自ら生み出している。
 要するに、『希望者の『処理』を引き受ける』といったとんでもない宣言をしてしまっている次第だ。
 の宣言が冗談ではない証拠に、素直に『希望』した者に『処理』を施していた。
 昨晩も、甘寧が悪びれもせずにの室を訪ねるのを、呂蒙は偶然見届けている。
 呂蒙からすれば理解出来ないことだったが、の説明を聞けば分からなくもない。
 一人の例外も許さず戸籍を管理されるというこの世界において、わずかでも不審を招かばどのような事態になるか。
 考えるだに悩ましい状況下で、如何に生理的問題とはいえ、その解消の為に個々人で外出など危険過ぎる。
 事が事だったから、の付き添いも望めぬとあっては、諦めるのが筋というものだった。
 も、諦めてくれで後は知らぬ振りをしてくれれば良かったのに、何を考えたか処理係に立候補するという暴挙に出たものだから、呉将達の間でも諸所紛々の騒ぎになるのだ。
 好意、なのだろうとは思う。
 だが、行き過ぎだとも思う。
 罵るには己が立場を省みて、受け入れるには思慮分別が邪魔をする。
 この世界に来てから、いささか時が経ち過ぎた。
 あの黄蓋でさえ、の『世話』になったと聞いて、呂蒙にも迷いが生じつつある。
 その迷いを、まるで嗅ぎ付けられたかのようだった。
「……呂蒙さん」
 それまで黙していたが、突然口を開いた。
 ぼんやりしていた目には力が戻り、眼光の鋭さを増して呂蒙の双眸を射抜く。
「どうしました? して欲しくなった、とか?」
 いつでも誰でも、の言葉通り、が相手を選り好みすることはない。
 けれども、そのこと自体が呂蒙にはどうしても、どうしても納得出来ないことだった。
 好きな男とならばいざ知らず、のような女が、何の見返りもなく奉仕を続けることに、どうしようもない胸糞悪さを感じる。
 断って、踵を返せばよい、と思った。
 呂蒙の口はしかし、自分でも驚くような言葉を吐き出していた。
「口付け、ならば、頼みたい」
 も呆気にとられたようだ。意味が分からないのか、目を丸く見開いて固まっている。
「……え。え、口で? ってこと? です?」
 余程驚いたのか、切れ切れの単語の語尾一つ一つが上擦っている。
 そのせいか、呂蒙は逆に、表面上のみながら酷く冷静になっていた。
「いや、口付けだ。接吻、口吸い……こちらでは何と言うのかな、俺には分からんが」
 再びが固まった。
 それ程おかしい、あるいはいけないことなのか。
 手や口で男のものをどうこうするよりは、余程まし、と呂蒙は思うのだが、世界が違うせいやも知れぬと思うと、軽々しく訊ねてはいけないような気もする。
「……えっと……キスして、それからって、こと……?」
 の返事で、呂蒙は己の不安が杞憂だったと理解した。
 そうして、自身の言葉がに通じていること、こちらの世界で口付けは『キス』ということを暗黙の内に察していた。
「いいや、キスだけ、だ」
 言って、の傍らに足を進めると、何故かは姿勢を正し、わずかながら怯えたように後退った。
「待って!」
 呂蒙が長椅子に膝を乗せ、ずいと前に進み出た瞬間、が叫んだ。
 その顔が、みるみる赤くなる。
 今まで誰に何を言われても動じる素振りもなかったのにと、さすがの呂蒙も動きを止めた。
「……俺とは、嫌ということだろうか」
「そ……そうじゃ、ないですけど」
 口籠ったは、唐突に呂蒙を押し退けた。
 やはり嫌なのかと、酷く落ち込む自分に気付き、呂蒙は訳が分からず沈黙を守る。
 静まり返った空気が腹立たしいのか、は小さく舌打ちすると、呂蒙をきっと睨み付けた。
「歯、磨いてきますから。ちょっと、待ってて下さい」
 は、すたすた早歩きで洗面台に向かう。
 返事も待たない無礼さに、呂蒙が怒りを覚えることはなかった。
 疲れを覚えて長椅子に腰掛け、おとなしくを待つこととする。
 ところが、は戻ってこなかった。

「おっさん!!」
 もう戻るまいなと嘆息していた呂蒙のところへ、何故か怒り心頭の甘寧が飛び込んでくる。
 面倒で、適当にあしらおうとする呂蒙に対し、甘寧の怒りは増幅するばかりだ。
「分かった、分かった……何をそんなに憤っている」
「何を、じゃねぇよ、おっさん!! あの女、もう俺達の相手はしないとかぬかしやがったぞ!?」
 目が点になる、とはこのことだ。
 何のことやらまったく理解できない呂蒙に、甘寧は尚も噛み付き続ける。
「あの女っ! おっさんがって、それしか言わねぇし、何か顔赤くしてくねくねしてるし、おっさん、何やった!?」
 俺の溜まったもんどうしてくれる、という甘寧の戯事は無視し、呂蒙は眉を寄せる。
 の突然の変異に、戸惑っているのは呂蒙も同じだ。
――俺が、何をしたという。
 考えても考えても分からない。
 本人に訊ねるしかないと結論が出て、呂蒙は渋々立ち上がる。
 その足取りが妙に浮かれていたことを、後程甘寧から皆にばらされるのだが、この時の呂蒙に知る由はなかった。

  終

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