夏侯惇は修練を終え、井戸端で汗を拭っていた。
 そこへが通りがかり、夏侯惇の背中の汗を拭うのを手伝う。
「すまんな」
 広い背中を懸命にこするに、夏侯惇は振り返り礼を言った。その夏侯惇の顔を、がじっと見詰める。
「? 何か、着いているか」
 泥でも着いているかと顔に指を這わせるが、は首を振った。
「惇兄ってさ、顔、綺麗だよね」
 突然口を開いて出たのはそんな言葉だった。
 意味がわからず混乱する夏侯惇に、は説明するように言葉を付け足す。
「んにゃ、男らしいっていうのかな。やっぱり綺麗の方が、私にはしっくりくるけど」
「……お前は、俺を馬鹿にしているのか」
 醜い、隻眼の顔を夏侯惇はこの上もなく嫌っている。表面上はそれと知られぬよう努めていたが、鏡を見れば溜息が出、投げ捨てることもしばしばだ。
 これ以上醜い顔はない、と夏侯惇は己の顔を忌み嫌っている。眼帯で隠している時はまだしも、凹みやつれた皺の浮く目元は、滅多なことで人に見せたりしない。
「惇兄は自分の顔、嫌いなんだね」
 の顔が悲しげに歪む。
 他人の顔のことで、どうしてそんな風に傷つくのか。
 夏侯惇は焦り、掛ける言葉を失った。
「でも、私は惇兄の顔、好きだよ」
 手拭を夏侯惇に返し、肩を落としてとぼとぼと去っていくに、夏侯惇は自分でも意識しない言葉を掛けていた。
 何の気なしだった。
「嫁に来るか」
 慌てて口を押さえる。
 何を言い出すこの口めが、とやたらと慌てた。
 自分の意思で告げたのではない、だが告げたのは己の口だ。
 矛盾に悶絶し、何と取り繕うかと必死に思考の糸を手繰り寄せるが、上手くまとまってはくれない。
「惇兄が」
 呆然としていたが、ぽつりと漏らす。
「私を、ホントに好きになってくれたら、行ってもいい」
 ぱっと弾けるように駆け出したを留める術はなかった。何せ、上はすべて脱ぎ捨ててしまっていた。この格好で城内を走るわけには行かない。
「そんなことなら、とっくだ、
 またもや滑り落ちる言葉に口元を押さえるが、どうやら口の方がよほど素直に心の内を吐露してくれている。
 次にに会った時も、こうあってくれれば話は早いぞ、と夏侯惇はこっそり己の口に語りかけた。

 顔が赤いを心配して、薬湯や医師が用意された。けれどは、これは夏侯惇でなければ治せないと知っている。
 知ってはいたが、会う勇気はなかなか持てず、夏侯惇自らやって来るまでの数日間を、牀の中で悶々と過ごすことになった。

  終

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