「控えた方が良いですね」
何気ない、さらりと流れるような一言だった。
しかし、は顔色を変えた。
心当たりがあるからだ。
見渡す限りの草原を、馬首を並べて行く。
それだけで、の心はこの上なく浮き立っていた。
隣を見やれば、徐庶がいる。
ああ、やっぱり好きだなぁと、は胸の中でひとりごちた。
が徐庶に告白したのは、つい先日のことだ。
返事は、口を濁され聞かせてもらえなかった。
婉曲な拒否だったのだろう。
いかにも徐庶らしいと、は一晩泣いて、その拒否を受け入れることにした。
ところが、だ。
今日になって突然、徐庶から遠乗りに誘われた。
地形調査も兼ねてのことらしかったか、それでもは嬉しかった。
あのまま疎遠になってしまう方が、余程辛くて悲しい。
一僚友としてであっても、気まずく目を反らされるよりはずっとマシだ。
不意に徐庶の馬が止まる。
二歩三歩と先行したが、慌てて馬を止め振り返ると、徐庶は馬から降りるところだった。
いぶかしく思いながら、も馬を下りる。
主という荷を下ろした二頭は、心得たように二人から離れ、思い思いに散っていった。
「……先日の、ことなんだが」
やはりそれかと、はわずかに身を強張らせた。
なかったことと流すのが徐庶らしいと思っていたが、こんな風にきっちり答えようとするのも、ある意味徐庶らしいと言えば言えよう。
沈黙が落ちる。
どうにも言い難そうな様から、用意された返答の内容も、察しが付くというものだ。
自然に滲む涙を見て、徐庶が慌て出した。
「いや、違う、そうじゃないんだ」
何が違うというのか。
涙は引っ込んだが、疑問は増すばかりだ。
頭を掻いていた徐庶は、頬をわずかに染めながら、意を決したように口を開いた。
「……ここで……俺の前で、裸になってくれるだろうか……」
――は?
聞き間違えたかと思ったが、聞き間違えようもない。
どういうことかと考え悩む。
ふと、徐庶の目を見た。
真剣そのものの深い色は、を捉え離す気配もない。
それで、解った。
――私を、試しているのか……。
どこまで言うことを聞いてくれるか、どこまで許容してくれるか。
そういうことを、恐らく試しているのだろう。
呆れる。
徐庶でなかったら、馬鹿げた要求の代償として、腕の一本くらい頂いていたかもしれない。
けれど、相手は徐庶なのだ。
「………………」
逡巡はあった。
が、の指は、胸当てを留める金具に伸びていた。
耳障りな金属音と共に浮き上がる胸当てを草むらの上に置き、更に皮鎧を留める金具を外す。
身を守る武具が取り除かれ、残されたのは下着に近い。
きつく締め上げた結び目に指を掛けると、その腕ごと包まれた。
「……ごめん」
耳元に囁かれる声は、後悔の念を含んで痛々しい。
素直に受け入れる気にはなれない。
馬鹿なことを、と吐き捨ててやりたくなるも、自身胸が詰まって何も言えなくなっていた。
仕方なく、その背に手を回す。
より強く徐庶の熱を感じて、切なくなった。
「好き」
出ないと思った声が、無意識に紡がれていた。
勝手にしゃべるなんて、厚かましい口だと己の喉を呪う。
だから、改めて言葉を紡ぐ。
「好きです、あなたが、好き」
徐庶の腕に力が籠り、息苦しいのに心地よいという矛盾に、は迷いもなく溺れていった。
まあ、見られていたのだろう。
視界を遮るものもない場所だ、誰に見られていたとておかしくない。
「……以後、自重します……」
恥辱に顔すら上げられなくなるをよそに、諸葛亮は静かに白扇をあおぐ。
「いえ、そうではなく。……元直を甘やかすのは程々にした方がよいと、そう申し上げたまで」
意外な言葉に、は目を丸くする。
甘やかすとはどういうことだ。
「……いえ、ご忠告までのこと。お気になさらず」
気になりまくるが、知謀の軍師に軽くあしらわれ、あっさり退席させられる。
仕方なく自室に向かったを迎えたのは、何と徐庶だった。
「遠乗りに行かないか……その、君さえ良ければ、だけど」
――あー。
唐突に理解した。
きっとまた試される。
徐庶の猜疑心には果てがなく、終わりがない。
底に穴の空いた升のごとく、一度は満たされても、すぐに不安に苛まれるのだろう。
そうして、徐庶は繰り返すのだ。
――成程、『甘やかす』とはよく言ったものだ。
「…………?」
上目遣いにを窺う徐庶の顔に、じわじわと憂いが広がっていく。
程々にしろという諸葛亮の忠告が蘇ってきた。
軍師直々の忠告を、無下にはできない。
「元直殿」
徐庶の肩が、小さくはねた。
「……どこに、行きましょうか」
ふっと緩む口元に、の唇もほころぶ。
――だって、程々に、なのだから、別に、きっぱり断れ、とかではないのだから!
胸の内で言い訳するを、徐庶が不思議そうに見遣ってくる。
その目線を懸命に誤魔化しながら、は徐庶から見えないように、小さく溜息を吐くのだった。
終