新年を迎え、呉では盛大に正月祝いが為されていた。
 祝い酒が振舞われ、炙られた肉は美味そうな匂いを発している。
 この世界に飛ばされたも、ここまで熱狂的に正月を祝うのを初めて見た。
 にとっての正月は、賑やかではあるけれどももっと粛々として厳かであり、のんびりとして清廉であった。
 目の前で繰り広げられる乱痴気騒ぎを目の当たりにすると、それらを全否定してしまいそうなほど皆が皆エネルギッシュに楽しんでいた。
 踊り狂う者も居れば歌い叫ぶ者もあり、それを取り囲む人々も褒めてるんだかけなしてるんだかわからない大声でそれを囃している。
っ、楽しんでっか!?」
 突然、孫策が背後から抱きついてきた。その息がとてつもなく酒臭く、はそれだけで酔ってしまいそうだ。
「だ、だいぶ呑んでおられます?」
「こんなもん、序の口だぜ。おお、そういやとっときの酒を呑んでなかったな!」
 引き摺っていかれるので、ぎょっとして身をすくめる。
「わ、私はそんな呑めませんから!」
 というか、ここの酒の呑み方が尋常でないのだ。呑めなかったら頭から酒を被るという決まりまであって、どちらにせよ悪酔いするに決まってる。
「大丈夫だ、お前が呑むんじゃないから」
 へらへらと笑っている孫策に、逆に嫌な予感がした。
「……それって、どういう……」
「俺がお前を呑むんだよ」
 そんな胸張って威張って言うことか。
 眩暈を覚えては頭を抑えた。
「周瑜は極上の酒みたいな男だろ? お前は極上の酒みたいな女だからな!」
 さすがに周瑜を呑むわけにはいかねーから、と二重の意味でとんでもないことを口にする。
「わ、私、困ります」
「そうです、兄上! 何をなさっておられるのですか!」
 助かった、と孫権を振り返れば、これも既に出来上がっていて嫌な予感がした。
とそういうことをするのなら、私に勝ってからにしていただきましょう!」
「面白ぇっ! お前も言うようになったじゃねぇか! なら、勝負だ、権!」
 二人同時に酒持って来い、と怒鳴る。
 どうやら暗黙の了解で呑み比べで勝負と相成ったらしい。勝った方がとするのだ、などと空恐ろしいことを言っている。
 その声を聞きつけ、勝負を挑む者がわらわらと集まり始めた。
 勝つのは俺だいや俺だ、と喚き散らしている。騒ぎは大きくなる一方だった。
 最早自分のことなどどうでもいいのではないだろうか、とが一人溜息を吐いていると、いつの間にか孫堅がそばに来て近くの席を勧めてくれた。
 が腰掛けると、孫堅も隣に腰を降ろす。
「大変な賑わいだろう」
 優しく微笑む孫堅に、は苦笑いを浮かべた。
「そうですね……毎年こうなんですか?」
「毎年といえば毎年だが……」
 今年はお前がいるからな、と付け足され、悪戯っぽく微笑まれた。少し意味深な感じがして、は何故か頬が熱くなるのを感じる。
「まぁ、一杯やるか」
 に杯を渡し、酒を注ぐ。
 とろりとした酒が銀の杯の中に注ぎこまれると、芳醇な香りが香った。
 甘い匂いに釣られるようにが一口口に含むと、横合いから物凄い衝撃がを襲った。
 眼前にあるものが何なのか、咄嗟に判断がつかなかった。
 長い、整列したように均等に並んだ黒いものは、睫だろう。
 閉ざされたまぶたを縁取る睫が、の間近にある。
 自分からでなく、こくりと嚥下する音が極傍から聞こえてきた。
 唇が急に冷たくなる。
 指を伸ばすでなく濡れた感触を覚えた。触れればやはり濡れている。
 孫堅が笑っているのに気がついた。
「美味い酒だ。杯が良いのかもしれぬ」
 音がまったく聞こえなくて、耳がどうかなってしまったのかと思った。
「…………親父――――――っっっ!!!!!」
 違った。
 あまりのことに、周囲の者も度肝を抜かれて声を発していなかったのだ。
「何だ、策」
 上機嫌でにこにことしている孫堅は、息子の毒を絶妙に抜いた。
 勢いだけで駆けつけたから、もう言葉がわいてこない。あうとかううとか、変な唸り声を上げていた孫策の目が、きろりとに向けられた。
 げ。
 腰がひけつつ立ち上がると、孫策は呑みかけの杯をに突き出してきた。
っ、俺も!!」
 何でそうなるのか。
 がダッシュで逃げ出すと、酔っ払いの集団が一人残らずを追いかけ始めた。
 民並みのと酔っ払い武将で、なかなかいい勝負の新年早々大鬼ごっこ大会がかくして始まった。

 そのザル振りから酔うに酔えず、波に乗り遅れた周泰が一人取り残された。
 孫堅は周泰を手招きすると、二人でしみじみ呑み始める。
「良い年になりそうだ」
 孫堅が機嫌よく漏らした。
「…………はい…………」
 返答に困った周泰は、数瞬悩んで結局頷くのみに留めた。
 騒々しくまた馬鹿馬鹿しく、賑やかにはなりそうだったが、確かに楽しい年になりそうだと思ったのである。

  終

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