戦場に、薄く煙が棚引いて行く。
 一面の死。
 そんな言葉が似つかわしい静寂に満ちた世界に、ただ一人仁王立ちして呂布は居た。
 傍らに居るなど、呂布の目には映っていないだろう。
 呂布の目に映るのは、打ち倒すべき敵のみだ。脆弱な味方など、敵よりも尚下らないものとしてしか存在し得ないに違いない。
 慢心、驕り、その心の凶悪さを指し示す言葉は幾らもあろうが、だが呂布にはそれのみで己を締めさせぬ強大な武があった。
 その武こそが彼を崇めさせ、恐怖を生み、人を縛る。
 もまた、自分がその一人で居るということを自覚していた。
「呂布様の顔は、綺麗ですね」
 突然口を開いて出たのはそんな言葉だった。
 はっとして口を噤むが、もう遅い。呂布はの顎をさっと掴むと、俯き逸らすのを止めさせた。
「抱いて欲しいのか」
 にやりと笑う唇がめくり上がり、凶悪な顔を作る。
 怒るより尚恐ろしい笑みがこの世にあるとは、は思いも寄らなかった。
 滅相もございません、と口を動かそうとするのだが呂布に阻まれて叶わなかった。必死に首を振るが、呂布は聞き入れなかった。
「抱かれたいのだろう」
 その気もないのは、が一番知っている。
 呂布が触れたいと、その手に抱きたいと希っているのはかの舞姫ただ一人なのだ。
 貂蝉が姿を消して、既に数年が経つ。董卓が連れ去り誰かに託したのだとも、企みから呂布を罠に掛け姿をくらましたのだとも言われていたが、真相は杳として知れなかった。
 呂布の放浪じみた転戦は、貂蝉の行方を捜してのものではないかと陰口が叩かれた。それぐらい、都を捨てた呂布は転々としていたのだ。受け入れ先のあるなしに関わらず、呂布は次々と居場所を変えた。
 その孤独が、悲壮感が彼を美しく見せていた。
 の心情を、同じく彼に惹き付けられて止まない張遼に漏らしたことがある。
 張遼もまた、苦笑を漏らして呟いたものだ。
 貴女は、呂布殿の愛妾になりたいのか、と。
 そうではない、ただ傍らから見守りたいだけ。このどうしようもなく荒ぶる魂の末を見極めたいだけだ。
 抱かれることは、むしろ重荷になる。だから、呂布の手を何とかして引き剥がしたかった。
 呂布の目が、危険な色に変わる。
 殺意の篭る目に、は脅え動けなくなった。
「抱かれたいと、言え」
 脅迫そのものの言葉に、だがは頷くこともできなかった。体中が死の恐怖に打ちのめされ、強張ってしまっていた。
 唇が塞がれた。
 闇雲に貪る唇も舌も、どうしようもなく荒んでいた。渇きに苛まれる旅人が、水を得たさにのた打ち回っている様に似ていた。
 ああ。
 絶望感で胸が一杯になった。
 呂布が愛しているのは自分ではない。
 この人はただ、自分と同じ身の上の者を欲しているだけだ。
 ひたすらに愛している相手に捨てられ、置き去りにされ、苦しみもがく矮小な存在を見つけ、己だけではないという卑屈な安堵を得たいだけだ。
 覚ると同時に、ただ呂布の行く末を見届けたいという、たったそれだけの願いを捨てなければならない悲しみに涙した。
「呂布様」
 手を伸ばし、呂布の頭をかき抱いた。
 自ら唇を重ね、足を大きく開く。
「呂布様」
 腰を浮かして擦り付ければ、呂布もまた滾っていると知れた。
 屋根もない荒涼とした大地の上で、死体に囲まれ呂布に貪られる。
「ああ、呂布様……!」
 己の涙を、呂布は何と見ているのだろう。
 高ぶりに貫かれ、悲鳴じみた声が上がる。呂布は鼻でせせら笑うと、の体を幾度も貫いた。
 自分が呂布を愛しているなどとは決して思わない。
 けれど、もうこれきりとは言え呂布の目に映ることができたのだから、これは栄誉なことなのだ。
 敵でなく、味方でないただ一人の舞姫と、ある意味同じ存在になれた。願いは共に戦場を駆けることではあったけれど。
「あいしています」
 口に出せば悲しいほど胸に突き刺さる。
 は犯されながら、涙を流し続けた。

 胸の内で自分に諦めを付けさせながら、何度も何度も別れを告げた。
 さようなら、どうぞお元気で、どうか貴方の心にいつか平穏が訪れますよう、私は死ぬまで祈り続けるでしょう。

  終

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