クリスマス、と言う言葉をご存知ですか。
 の言葉に、諸葛亮は軽く頭を振った。

 異界から来たというこの少女は、形ばかり一人前で中身は童のようにあどけない。生まれ育った国ではまだ成人したことにならないというから、よほど裕福な国だったのだろう。
 戦も知らない世間知らずはうらやましくもあったが、いち早く自分に保護されなければ身売りの憂き目に遭っていたことだろう。
 もっとも、いち早くも何も自分の牀の上に振ってきたのだから順番など考えようもなかったが。
 さて寝よう、という件になった瞬間、光の珠が膨れ上がって弾け飛び、中からこのが現れたのだ。
 生まれたての雛が初めて見た物に付き纏うように、は諸葛亮の後を追い掛け回した。
 それこそ、愛弟子の姜維が焼餅を焼くほどだ。
 否、あれはひょっとして、私に焼いているのかもしれない。
 月英が居るのだから遠慮しなければならないと熱心に言い聞かせていた姜維の姿を、諸葛亮は物陰からこっそり見ていたことがある。
 耳まで真っ赤にしていた姜維の前に、俯いて拳を固く握りこんでいたの姿も同時に見た。
 泣いてしまいそうだ、と思った。
 泣いたら可愛かろう、とも思った。
 懐かれれば懐かれるほど、苛めてしまいたくなった。
 は、こんな胸の内は知るまい。
 姜維に注意されてから、は諸葛亮の周りをうろつかないように努力しているようだった。
 しているようだった、というのは、付き纏っている距離が変わっただけだったからだ。
 周りをちょろちょろと動いていたのが、物陰から様子を伺うように変じた。
 今は大丈夫だろうか。
 今なら大丈夫だろうか。
 目が訴えるのを、諸葛亮は声を立てて笑いたいのを堪えている。
 はだから、諸葛亮の知らない話を熱心に話した。そうすることで、諸葛亮の側にいる権利を得ているかのようだった。
 姜維が居るとは決して姿を見せないから、時折用事を言いつけて外に出した。
 今日もそうだ。
 出かける前、手にした書簡を弄びつつ姜維は所在なげに立っていた。無意識ではあろうが、いつもの姜維であれば大事な書簡をそんな風に扱うはずもない。
 と会っているかと尋ねてきた。
 会っている、と答えると、安堵と同時に拗ねたような表情が垣間見えた。
 やはり、焼いているのだろうか。どちらに?
 どちらが姜維にとっての真実にせよ、が関わっていることに違いはない。
 けれど、はやれない。
 あれは、私に与えられた『もの』だからだ。

「クリスマス、とは何です」
 尋ねれば、は嬉しげに笑う。話している間は諸葛亮と共に居られると思い込んでいるようだった。
 そんなことが嬉しいのだろうか。もっと楽しいことなら、他にあるだろうに。
 何故自分と居たがるのか、それは諸葛亮にとってのここ最近の楽しい悩み事だった。
「……神様の子供が生まれた日をお祝いするお祭りなんです……あの、私が居た国ではあんまりちゃんとお祝いしないっていうか、どちらかと言うと世界的なお祭りなんだから、それにあやかって大騒ぎしようって感じです」
 諸葛亮がくす、と声を立てて笑うと、は顔を赤くした。
 別にが悪いわけではない。お祭り好きなのはお国柄なのだから、諸葛亮が笑ったとて責めているわけではない。
「あの、でも、中にはちゃんとお祝いしている人も居ますよ……?」
「そうですか、では、人によって様々な祭りに転じるのですね」
 興味深いと頷く諸葛亮に、は嬉しそうな微笑みを浮かべた。
 ただ少し苛めたかっただけだ。悪いことをしたような気にもなるが、愉悦の前には一瞬で掻き消える罪悪感だ。
「で、あの、いい子にしているとサンタクロースがプレゼント……贈り物をくれたり、とか」
「その、サンタクロースとは何者なのです?」
 諸葛亮の問いに、はきょとんとした。
 懸命に考え込む。
「……よくわからない存在なのですか?」
「え、えぇと、精霊と言うか、とにかくいい子にご褒美をくれる人なんです」
 諸葛亮は、じっとを見詰めた。
 真摯な眼差しにうろたえたように首を傾げるに、諸葛亮は不意に口元を緩めた。
「では、貴女がさんたくろーすから私へのぷれぜんと……贈り物だったのかもしれませんね」
 かっと顔を赤く染めるに、諸葛亮は微笑んで手を伸ばす。
 色から想像したとおり、否、それ以上に熱い頬に諸葛亮は目を細める。
 サンタクロースがくれたかどうだかわからないが、普段から食事や睡眠を差し置いても激務に身をやつしているのだから、これ以上行い正しき身は少なかろう。
 諸葛亮は納得した。
「それなら、私が貴女の全てを得てしまっても、誰も何も文句は言えませんね」
 え、と目を見開いた先で、諸葛亮の顔がぐんぐん近付き、は目を閉じてしまった。
 全てとは、なんだろう。わからないわけではなかったが、あまりに唐突で心構えをする暇もない。
 唇に押し付けられた感触は、だが、今まで感じたこともない熱く柔らかなものだった。
 全身が痺れたようになり、は諸葛亮の腕の中に全てを預けた。

 姜維が戻ると、執務室の机に諸葛亮が居るのに隣室から人の気配がする。
 気配を伺う姜維に、諸葛亮は何気なく気配の元がであると告げた。
殿が……」
「ええ、初めてで疲れたのでしょう」
 ぴたりと姜維の動きが止まる。
 それに合わせるように諸葛亮は筆を止め、姜維を見上げた。
「姜維」
「……は、はい……」
 強張った顔をした愛弟子を慈しむような目で見詰めた諸葛亮は、やがて慈愛の微笑みを口元に浮かべた。
「貴方もいい子にしていれば、さんたくろーすがやってきて、ぷれぜんとを与えてくれるでしょう」
 ですから、いい子にしていることです。
 姜維の目が、まん丸に見開かれる。
 聞きたいことは山ほどあるが、どれから訊いていいかわからないといった面持ちだ。
「……くっ、……」
 堪えきれずに笑い出す。
 諸葛亮は珍しく、自制して収めることも叶わずしばらく笑い続けた。

  終

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