いかないで。
 遠くから声が聞こえた。
 いかないで。
 涙交じりの悲哀に満ちた声に聞こえた。
 いかないで。
 胸を締め付けられるような声だった。
 これは遠い記憶だ恐らくは死の直前色々な昔の話を見るというあのではこれがそうなのか拙者は死にかけているのかそうなのか

 嫌だ。

 死ぬのが怖いのではなく何事もなさずして死ぬのが怖いただそれだけの話で拙者はただ父の背を追いいつかそれを追い越す日を求めまた恐れしかし何時か迎えるだろうその日を待 っ  て   い た

 嫌だ、死ぬのは嫌だ、今死ぬのは嫌だ。

 水の中を抗うようにもがき、水を思ったからか突然呼吸は深い静かなものから忙しく息苦しいものに転じた。
 苦しい、苦しいともがき、闇の中で唯一光の差し込む場所を見出したような気がした。

 いかないで。

 泣き叫ぶような、それでいて細い頼りない声が関平に縋り付いてくる。
 嫌だ、拙者は帰る、父の元へ、蜀へ、皆の元へ帰るのだ。
 がっと手を伸ばすと、何か強い力のものを突き飛ばしたような感触がある。
 死だ。
 死を振り切った。
 そう感じ、関平は笑みを浮かべた。
 拙者は、生きる。生きてみせる。
 光がどんどん大きくなり、気が付くと関平はその光に包まれていた。

 覚醒した瞬間、目に入ったものは高々と振り上げた自分の手だった。
 皆一様に驚いた顔をしている。
「関平、気が付いたの」
 星彩が、常の凛とした表情の中に安堵したような緩やかさを秘めて関平を覗き込む。
「星彩、拙者は」
「敵の矢を受けて眠っていたの。大丈夫、貴方が守りたかったひとは無事よ。けど……」
 そうだ、を守ろうとして、拙者は矢を受け、不甲斐なくも……。
「星彩、は。は今、何処に!」
 関平は焦ったように叫ぶと、体を起こそうともがいた。
「寝とれ、このたわけがっ!」
 黄忠張りの悪口と共に、腹の辺りにどすんと何か重いものが降ってきた。
 内臓に直に圧し掛かられたような衝撃に、関平は目から火花が散ったような気がした。
 よくよく見ればそれはで、関平は痛みから滲む涙を堪えてを怒鳴りつけた。
「馬鹿、っ! この、この恩知らずっ!」
 平静であればぐっと飲み込む言葉も、死地から帰った心持ではなかなか抑えられもしない。
 しかしは、真っ赤に泣き腫らした目をくわっと吊り上げて、関平の上を行く声量で怒鳴り返してきた。
「何よ、悪かったわよ、でもね、だからって殴ることないじゃないっ!!」
 殴る。
 関平が何のことやらわからずに呆然としていると、星彩は何故か申し訳なさそうに目を伏せて教えてくれた。
、貴方が眠っている間、ずっと貴方の側で付き添っていたのよ。それを何故か、貴方が突然振り払って殴りつけたものだから」
 呆然とする。
 では、あれは、死だと思ったのは。
 突然、が踵を返して室を飛び出していった。
「……可哀想。本当にずっと、何日もずっとは貴方に付き添っていたのよ。いかないでと言って、たくさん泣いて。それなのに、あんな酷いことをして」
 関平が飛び起きようとした瞬間、星彩は関平の額の辺りを鷲掴みにして、そのまま牀に押し込めた。
「寝てなさい。がそう言っていたでしょう」
「けど、星彩」
「寝て、その間中反省しているといいわ。嫌だったら、早く治すことね」
 星彩の言うことはもっともだ。
 けれど、体を張った自分に対してこれはあんまりな仕打ちだと思う。わざとやったのではないのだから。
 不貞腐れつつも、言われるままにおとなしく横たわると、再び睡魔が襲ってきた。

 規則正しい呼吸に、安堵して関平の横顔を見詰めた。
「良かった」
 小さく呟き、乱れた髪を直す。
 キスをしてしまいたくなったが、また殴られたら嫌なので我慢した。
 治ったら、してしまうかもしれない。

  終

旧拍手夢INDEXへ→
サイト分岐へ→