龐徳の鎧を見た時、は繁々と見詰めたものだ。
 西方からの渡り物らしい鎧は、確かにこの中原では見ない珍しいものだったが、それにしても遠慮がない。
 さる名家から城仕えに出されたこの娘は、何の縁が有ってか龐徳の身の回りの世話をすることになった。
 身の回りと言ってもそれは城に参内している間のことであるから、身分の低い下女とは訳が違う。
 文官兼といった、現代で言うところの秘書のようなものに近い。
 とは言え、龐徳のような者にはをどう扱っていいのか測りかねるものが有った。
 魏の主たる曹操の客将という立場とは言え、実質龐徳は反乱軍の将であり、ここまでしてもらういわれなどありはしない。
 将の器を認められ、信を置かれただけでも有難いというのに、これ以上の厚遇は心苦しかった。
「……そなたは、それがしの下で働くことに苦はないのか」
「は?」
 無礼とも言える開けっぴろげさは、しかし龐徳の気に障るものではなかった。
「それがしは、かつては西涼の地にて謀反を起こした将。そのそれがしの下で働くということは、そなたの身を不幸にせぬか」
 下手をすると命が危うい。
 降ったと見せかけて、身中の虫となる可能性がないとは限らないからだ。
 そんな男の下で働けと命じられることに、不安や憤りはないのだろうかと龐徳は心配した。
「え、龐徳様、謀反でも起こすご予定でもおありですか」
「いや」
 思わず即答してしまうほど不穏な問いかけに、龐徳はこの娘が只者ではないと感じ始めた。
 豪胆なのか馬鹿なのか、そこまではまだ分からないが、今まで龐徳の周りにいた女達とはまったく違うということだけは如実に分かる。
「なら、別にいいんですけど」
 あんまり妙なことは仰らない方がよろしいですよ、と逆に心配されてしまった。
 どうも調子が掴めず沈黙した龐徳に、は魏の将達の話、治世の状態、戦以外の職務のことを一人勝手に説明し始めた。
「……とまぁ、ざっとですけれどそんなところです。お分かりにならない点はその都度お尋ね下さい。分かる限りはお答えしますし、分からなければ調べてまいります」
 はきはきと話し、今度は室内に置いてある竹簡に何が記されているか、また調度品の説明などを始める。
「そなたは」
 遮るつもりではなかったが、つい声を掛けてしまった。
 はすぐさま口を閉ざし、龐徳の次の言葉をじっと待っている。
「……その、それがしの下で働くことに異議はないのか」
「ありません」
 どうして、と問いかけるような目にうろたえ、龐徳は思わず目を逸らした。
「そなたは、本当にそれがしで良いのか」
「まぁ」
 は突然、ころころと笑い出した。
 鈴が転がるような可愛らしい笑い声に、龐徳はますます居心地悪いものを感じる。
「まるで、お嫁に来て下さるみたいな言い方ですこと。……ええ、無論ですわ」
 私、龐徳様のお髭がとても好きですもの。
 の言葉に、龐徳は思わず口元を押さえてしまった。
 またくすくすと笑われ、龐徳の背に汗が滲む。
 厚遇にも程があろう、と、龐徳は心密かに愚痴を零した。

 女に掛けては百戦錬磨の曹操が、その眼力にかけて龐徳好みの女を捜して寄越したのだと知ったのは、それからかなり後の話だった。
 その忠誠に微塵の疑いも持ってはいなかったけれど、より強く堅実に繋ぎ留めておきたいが故の策と知り、龐徳は怒る前に盛大に呆れた。
 龐徳の好みはのような女だと見込んだ曹操にも呆れたが、その手に乗ってうかうかとと深い仲になってしまった己の馬鹿さ加減にも、ほとほと呆れ返ったのだった。

  終

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