同じTEAMの馬超に食事に誘われた。
 それだけでも相当嬉しかったのだが、24日に、という日付指定にどきりとさせられた。
 イブではないか。
 クリスマス・イブ。
 その日にわざわざ食事に誘うと言うことは、特別な意味があるのではないかと疑ってしまう。
「え、あ、あの、24日?」
「都合が悪かったか?」
 なら違う日に、と言い出した馬超に、がっくりと肩を落とす。
 これは違う。単にわかってないだけだ。
 何処か常識が欠落しているのではないかと思わせる馬超だったから、このくらいは有り得なくもない。
「あの、でもさ、24日って混んでるんじゃないかな」
 さり気なさを装って確認する。
「ああ、何か特別なメニューを出すらしいな。ちゃんと予約したから、大丈夫だ」
 雑誌には載っていない、隠れた名店だが人気があるからな、と馬超は笑った。
「……俺は、何処に連れて行くか言ったか?」
 不意に怪訝な顔をして尋ねてくる馬超に、は曖昧な笑みを浮かべて誤魔化した。
 人気店だから予約が要るだろうと言ったのではなく、24日は大概のレストランが混むから言ったのだ。
 これは本格的にわかってないぞと思うと、可笑しいやら情けないやらでは乾いた笑いを零すしかなかった。

「寒……」
 はぁ、と息を吐くと、真っ白になって闇に溶けていった。
 時計に目を遣れば、約束の時刻を一時間と少し過ぎていた。
 待ち合わせ場所を公園にしたのがそもそもの間違いだった。会社の女の子達に絶大な人気のある馬超だったから人目を避けようと画策したつもりだったが、まさか馬超が遅刻してくるとは思わなかった。
 時間には几帳面な馬超が、何の連絡も無しに遅刻するとは予想もしてなかったのだ。
 ベンチに座ろうにも、プラスチックと金属で作られたベンチは氷よりも尚冷たく、コート越しでも震え上がるほどだった。一回座りかけ、飛び上がって座るのを止めてしまった。ベンチに体温が移る前に、痔になるのが関の山だ。
 立っていても足元のコンクリは寒々としての足を冷やしていく。あまりに冷え切って、痛くなってきた。
 今夜は特に寒い気がする。
 連絡のない待ち人を待っているからだろうか。
 元旦に引いたおみくじの、『待ち人来たらず』の文字が鮮明に思い出される。誰も待ってないよ、と友達と笑いあったのだが、あれはひょっとしてコレのことだったのだろうか。
 寒い。
 人気のなさが心細さを誘う。
 いや、人が居たら居たで、きっともっと心細くなるに違いない。今宵はみんな二人で居るのだ。待ち合わせ顔の人々が一人二人と去って行き、最後に自分一人が取り残される。
 わぁ、寒い! 寒過ぎる!
 想像してさえ寒い気持ちにさせられる。
 帰ってしまおうか。
 ふと、そんな気になった。
 今年は風邪も流行っているし、年末までまだ日数がある。正月はデパートへの卸作業が入っているし、今風邪をひくわけにはいかないのだ。
 時計は、一時間半待ったとに告げた。
 十分だろう。
 何かあれば、携帯に電話をくれているはずだ。
 忘れてしまったか、……からかわれたのだろう。
 目と鼻の奥が急につんとして熱くなる。
 やー、泣きそう……。
 くすんと鼻を啜り、寒さで痺れかけた足を上げる。数歩進んで、今まで自分が立っていた場所を振り返った。
 あんなとこで、よく待ってたな。
 常夜灯の下、鉄製の柱が背中を冷やしていた。それ以外は何もない、小さな広場の真ん中。
 帰ろ、と肩をすくめた。
 何処もかしこも混んでいるだろうし、一人では肩身が狭い。
 コンビニの前でケーキでも売ってたら、一番小さいのを買って自棄食いしちゃえ。インスタントだったが、ドリップコーヒーがあったはずだ。ポットのお湯を温めなおせば、すぐに沸いてくれるだろう。炬燵とエアコン、両方をMAXにして、部屋の中を思い切り暖めて、シャワーを軽く浴びて、皮膚だけでも暖めて。
 うぅ、でも、心が寒いよぅ。
 約束なしで一人で過ごすクリスマスは寂しかったに違いない。
 けれど、期待に胸を弾ませて、精一杯のおしゃれをしたクリスマスは楽しみにしていた分もっともっと寂しい。
 未練がましく待ち合わせ場所を見詰める。
 当たり前だが、馬超が居るはずもない。
 駄目だ、本気で泣けてきた。
 帰ろうと振り返った瞬間、鼻をぶつけた。
 鼻を押さえて俯いた先に、黒い革靴があった。顔を上げると、真っ白な息を立て続けに吐き出す馬超が居た。
「…………す、まん、遅くなった……」
 ぜぇ、はぁと呼吸を荒げている。この寒いのに、汗だくになっていた。
「ど」
 如何したの、と問う前に、口ごと顔が封じられた。
 馬超に抱き締められていた。

 遅くなったが、レストランのウェイターは快く馬超とを迎え入れてくれた。
 美味しい、何より暖かい食事にが幸せを感じていると、馬超は申し訳なさそうに目を伏せた。
「……美味しいよ?」
 食べないのかと首を傾げると、馬超は深々と溜息を吐いた。
「こんなはずじゃなかったんだ……」
「いや、だから……仕方ないじゃない……」
 取引先から急な発注があり、昔からの付き合いのよしみでどうしても断れなかった劉備を見かね、待ち合わせに備えて仕事を終わらせていた馬超が名乗りを上げた。
 車を飛ばして荷を届け何とかぎりぎり間に合わせると、礼の言葉もそこそこに聞き流し慌てて車に飛び乗った。
 ラッシュで、どうしても間に合いそうにないと見切った馬超が携帯に手を伸ばした瞬間、白バイに見つかってキップを切られた。致し方なしとおとなしくキップを受け取ったというのに、何故か延々説教をされ、逆上した馬超と口論に展開、警察のお仲間が応援に駆けつける騒ぎになった。
 結局、年かさの警官が間に立つ形で場は納まったのだが、約束の時間はとっくに過ぎてしまっている。待ち合わせ場所は近かったから、直接行くことに決めた。車をパーキングに突っ込むと、馬超は走って公園を目指した、と、こういう次第だったらしい。
「でも、何も走ってこなくったって」
「あの公園の周りは、一方通行のメッカなんだ。すぐそこにお前が居るのに、車をうろうろ走らせていられるものか」
 道が狭いから路駐と言うわけにもいかないし、それでキップをきられても仕事に差し支える。車に乗れなければ、馬超のような営業には死活問題だ。
「電話、すれば良かったんだろうがな……もう、そこまで頭が回らなかった」
 すまん、と言いつつ馬超はぐったりしている。よほど疲れたのだろう、背もたれに寄りかかって天を仰いでいる。
「……くそ、あの白バイめ、イブに一人だからって八つ当たりすることもあるまい」
「へ」
 今、何と言った。
「……お前は俺を馬鹿にしているのか」
 の疑問に、馬超は苦虫を噛み潰したような顔をした。
「え、だって」
 24日と言った時、馬超は如何にもわかってない風にしていた。あれは、なんだったのか。
「……そんな、いかにもな誘い方ができるか!」
 不貞腐れて肘を突く馬超の顔が、赤い。
 ということは。
 え。
 どういうことなのだ。
「ああ、くそ、だから、こんなはずじゃなかったんだ!」
 自棄になったように椅子に座り直すと、馬超は背筋を伸ばしてに向き直った。

 は、真っ直ぐ馬超を見ている。
 何処か不安な目をしていた。馬超にもその不安が移ってくる。だが、今日の為にレストランを吟味し、予約を入れ、何気なさを装ってを誘い出したのだ。
 もう後には引けない。
「俺と、付き合って欲しい……その、ちゃんと、そういう意味としてだ」
 突然の告白に、は皿の上にフォークを取り落とした。動揺している。その動揺もまた、馬超に伝染して落ち着きをなくさせた。
「その……如何だろうか」
「ど、どうって」
「……駄目か?」
 ちらりと上目遣いでを見た後、俯いて所在なげに指を組んでは解く。散々待たせてしまった後に良い返事をもらえるという自信は持ちようがない。何せ、寒かったのだ。帰っていても当然だと思ったし、帰らずに待っていてくれた挙句、食事にも着いてきてくれたのは行幸と言って良かった。
 いつもの調子が出ない。馬超は、の次の言葉を半ば怯えながら待った。
 と、が手を挙げウェイターを呼び寄せた。
「ワイン、ボトルで適当に!」
 物凄い注文の仕方に、馬超もウェイターも唖然とする。が、さすがにウェイターはプロ根性を見せ、『かしこまりました』と一礼してカウンターの奥に下がって行った。
 それきり黙りこんでしまったに、馬超も掛ける言葉が見つからない。
 程なくしてウェイターが戻ってきた。試飲を勧められるが、やはりは『いいです』と言って断ってしまった。救いを求めるようなウェイターの視線に馬超は頷いて合図し、二杯のグラスに紅のワインを注がせると下がらせた。
 乾杯もせずに一気に飲み干すを、馬超はただ見詰めるしかなかった。返事をもらえない限り、何を言うこともできそうになかった。
 ワイングラスを勢いよくテーブルに下ろすと、は大きく息を吐き出した。
「私ね、帰ろうと思ってたの!」
 突然喚きだしたに驚く。他の客も馬超達に視線を投げかけてくるが、構っていられなかった。は淡々と言葉を綴る。
「コンビニでケーキでも買って、インスタントコーヒー淹れて、炬燵とエアコン入れて、シャワー浴びて暖まって。だって、寒かったんだもん!」
 二時間近く、野外で待たせたのだ。そんな風に思っても仕方ない。
 馬超は重くなる気持ちを叱咤しつつ、の言葉に頷いてみせた。
「ああ」
 視界まで暗くなる気がした。無意識にワイングラスに手を伸ばす。自棄酒でも飲まずには居られない気分だった。
「一緒に、行ってくれる!?」
 持ち上げかけたグラスの底を、もう一度テーブルに戻した。
「……何処へ」
「だから、寒かったから、コンビニ行って……」
「ああ、ケーキだろう、それはわかった、で、何処に行くって」
 心臓が、がんがん鳴り始めている。我ながら現金な心臓だ、と思った。
 は、何故か半泣きになりながらワインを自分で継ぎ足し、また一気した。
「コーヒー淹れて、あ、インスタントだけどね」
「うん」
「炬燵とエアコン、同時に入れるんだ、電気代かかるよ! これは!」
「うん」
「で……」
「で?」
 微笑み、の言葉を待つ。
「……メリークリスマス」
 誤魔化された。だが、馬超は笑っていた。
 の顔が、店に飾られたポインセチアのように真っ赤だったから、言わなかった言葉は予想が着いた。
 後で、の家に行ってからゆっくり言わせてやればいい。
 馬超は、ようやくいつもの余裕を取り戻せた気がした。こうなればこちらのものだ。クリスマスプレゼントに何をもらうかも、馬超の中ではもう決定してしまった。
「メリークリスマス」
 馬超はワインを飲むのを止めた。
 車で、一分でも早くの家に行きたかった。
 キップ何ざ知るか、と内心で嘯く馬超は、やはりまだ余裕など戻ってなかったかもしれない。

  終

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