勝負を挑まれて引くことはない。
だが、張飛はとの手合わせだけは決して引き受けなかった。
理由の一つは、の腕がまだまだ未熟だということ。
もう一つは、が星彩の親友だということだった。
張飛は、愛娘にからきし甘い。
その愛娘に嫌われるような真似を、好き好んでやろうはずもなかった。
しかし、納まりが付かないのはの方だ。
修練に修練を重ね、鍛えた武術の腕を試してみたいという欲がある。
何も張飛を打ち倒せるとは思っていない。武術の師として仰ぐ張飛との手合わせは、自分の腕がどの程度なのかを量る絶好の機会なのだ。
手加減の利かない人だとは分かっているし、負けるなら負けるで一向に構わないから、一度は手合わせをと思い詰めていた。
正攻法では埒が明かないと踏んだは、別の勝負を切り出すことにした。
「大酒呑み勝負?」
何でわざわざそんなことを、と言いたげな張飛だったが、勝負の内容だけにかなり気を惹かれていた。
「お願いします!」
深々と頭を下げるを見て、星彩も横から口添えする。
娘公認で大酒が呑めるときて、張飛の腹は据わった。
「よっしゃあ、受けてやるぜぇ」
ぽん、と軽く膝を打つ張飛に、は重々しく頷いた。
「負けたら、私の言うこと何でも一つ、聞いていただきますから」
「負けたら、な」
張飛が不敵に笑うのを、は強張った面持ちで見ていた。
噂はあっという間に広がり、物見高い将達が押しかけてきた。
満座の注目を集めながら、二人は向かい合わせに座り、勝負の火蓋は切って落とされた。
お話にならぬと踏んでいた者達は、の意外な粘りに目を見張ることになる。
勢いは張飛が勝るものの、もどうして、負けてはいない。
真剣な面持ちに期するところでもあるのかと、皆がざわめき始めた頃だった。
の顔は、赤くなるのを通り越して青ざめてきた。
無理な飲酒に、体が悲鳴を上げ始めたのだ。
けれど、は杯を干すのを止めようとしない。脂汗を流しながら、必死に呑み続けている。
ちゃっかり紛れていた劉備が、張飛に目配せを送ってくる。
反感がないわけではないが、今なら兄者の顔を立てたのだと面子も保てる。
張飛は歯噛みしつつ、杯を下ろした。
「えぇい、わかったぁ! 俺の負けだ!」
瞬間、観客はどっと沸き立つ。
は杯を取り落とし、へなりと膝を崩した。
「……約束は、守るぜ。おめぇの言うこと、何でも一つ聞き届けてやる、おら、言ってみろ!」
開き直って胸を張る張飛に、は約定を思い出したようだ。
よろける体を制して、姿勢正しく座り直す(正しくは、直そうともがいている)。
「ちょ、ちょーひはま!」
酒で口も痺れてしまったらしく呂律が回っていない。
「わ、わらひとけっこんしてくらはい!」
場が静まり返る。
は、言い切ったことに安堵したのかそのまま引っくり返ってしまった。
何人かの将達が、慌ててを助け起こしに走ったり、医師を呼びに行ったりと忙しなく動き始めた。
そんな最中、張飛一人が呆然とたたずむ。
「……親友を、母と呼ばなくてはいけないのね……」
星彩の言葉に、張飛が我に返る。
「ま、待て星彩、ありゃあ違うだろ!?」
おたついて喚く張飛に、星彩は冷たい目を向ける。見苦しいと言わんばかりだ。
口をぱくぱくと開閉させるしかできなくなって、張飛はええいと歯噛みした。
自棄酒だと喚いて酒壺のお代わりを言いつける張飛に、劉備はこっそりと『祝い酒の間違いだ』と訂正を施した。
終