戦での活躍を褒められて、は頬を染めた。
 懸命にやったのみで、実は記憶もつまびらかでない。
 頬に傷を作ったことも、戦が終わり勝鬨を上げてから指摘されて気が付いた。
 まだまだ未熟なのだと思う。
 敬愛する、そして密かに想いを寄せる趙雲からのお褒めの言葉は、だから面映くて顔が上げられなかった。
「何か、褒美を与えなくてはならないな」
 趙雲の言葉にはっとして、思わず顔を上げた。
「……何か、欲しいものがあるのだな?」
 何がいい、と気さくに問いかけられ、は再び顔を俯けた。
 ずっと前から欲しいものがある。
 自分には不相応な、だがもし得られるなら、これに勝る喜びはない。
 促され、はごくりと唾を飲み込んだ。
「あ、あの……よろしければ、竜胆を、私に賜りたく」
「何」
 一転して険しくなった趙雲の顔に、は青褪めた。
 竜胆は、趙雲がかつて愛用していた槍の銘である。豪竜胆を得てからは、ずっと趙雲の室に置かれたままになっていた。
 副官の職を拝命し、趙雲の室にも出入りを許されて以降、はあの竜胆を手に戦場を駆ける己の姿を夢見てきた。憧れ中の憧れなのである。
「失言でした、お気持ちに甘え、分を弁えないお願いをいたしました」
 慌てて取り下げるも、趙雲の顔は渋いままだ。
「武器が、欲しいのか」
 重々しい言葉に、は迷いつつも頷いた。
 どのみち、新しい槍が必要なのだ。
「……先にお前にくれてやった槍は、折れてしまったそうだな」
 趙雲がそのことを知っているとは思いもよらず、は目を丸くした。
 以前賜った鋼直槍は、大事に扱ってはきたつもりだが所詮は武器である。戦に出れば、やむなく荒い使い方もする。
 戦が終わるたびに職人の元を訪れ、少ない給金を惜しまずに使い、修繕を依頼してきた。
 だが、物には限度がある。
 この戦の前に、そろそろ使い物になりますまいと新しい武器の購入を勧められた。
 だが、にとってこれは趙雲から賜った大切な槍なのだ。二つとない品を、おいそれと買い変えることは出来ない。例え己の身を危うくしようと、だ。
 職人の宣言どおり、鋼直槍はこの戦で破損してしまった。
 柄の部分から二つに折れたもので、もう使い物にならない。今は、の室で大切に飾られている。
「敵兵の戟を受けた際、ぽっきり折れてしまったのだと。他の副官から聞き及んだ」
 命を落としてもおかしくはなかったが、幸いにして鋼直槍は最後の奉孝とばかりに敵の戟を弾き飛ばし、その直後に折れた。は敵が取り落とした戟を使って任を遂行させたのだった。
「無茶をする」
「……申し訳……」
 謝ろうとするの言葉を遮って、趙雲は執務机に腰掛け気を緩めた。
「他には、ないのか。例えば」
 嫁入り先とか。
 趙雲の言葉は、が理解するより早くの体を戒めた。
 聞きたくない言葉を、体全体が拒んでいるかのようだった。
 の様子に、趙雲は苦く笑った。
「ちょうどいい嫁ぎ先があるのだが」
 その様子では駄目か、と笑われて、はおずおずと頭を下げた。
 趙雲の傍で戦場を駆けることが幸せだった。それ以外は考えたこともないし、考えたくもない。
「趙将軍と言う、蜀の五虎将軍の一人で、それなり有望な男なのだが」
 駄目か、と重ねて問われて、は顔を上げた。
 体が強張ることはなかったが、今度は声が出なかった。
 胸元を押さえ黙り込んでしまったは、突然趙雲の室を飛び出してしまった。
 呆気に取られて取り残された趙雲は、追うことも出来ずに固まった。

 翌日、新しい槍を手にしたが非礼を詫びに趙雲の元を訪れた。
「……それが、返事か」
 気のせいか気鬱に笑う趙雲に、はこくりと頷いた。
「劉備様が、この中原を治められるまでは」
 そこで言葉を切り、頬を染めて俯いた。
 趙雲の目が一瞬丸く見開かれ、次いで柔らかく和んだ。
「では、その後は?」
「……聞かないで下さい」
 聞きたいと言い募る趙雲に、は困惑したように視線を彷徨わせる。
「それは、ご命令ですか、それとも」
「どちらでも、のいいように」
 口を開こうとするのだが、言葉が詰まって出てこない。
 は一歩踏み出し、趙雲の胸元に頭をもたれた。
「試し突きは、してくれるなよ」
 趙雲の腕がの背に回り、新しい槍ごと抱きしめた。

  終

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