周泰の剣技を初めて目の当たりにした時、の感想は『おっかねー』の一言だった。
 それ以上でもそれ以下でもない。
 磨き上げられた美麗な技と取る前に、体が『斬られたら死ぬ』と受け止めてしまったのだ。
 真剣とは縁遠い生活を送っていただけに、これは致し方ないこととも言えた。
 は現代からこの呉の地に飛ばされた。
 刃物といえば包丁ぐらいしか握ったことがなく、なまじ指を切った経験はあるだけに、周泰の片刃の長刀は理解しやすい『凶器』だったのだ。
 孫策のトンファーや二喬の鉄扇はさることながら、呂蒙の戟や孫権の剣などはむしろレプリカじみて感じられ、逆に怖さが半減している。
 日本人であるからこそ、居合い抜刀の術は馴染み深い。新年のかくし芸で、分厚い氷を一刀両断した映像もの記憶に生々しい。
 言い訳がましいが、周泰の刀だけはどうしても駄目だったのだ。
 怖い。体が震える。
 勢い、周泰を避けるようになっていた。
 周泰は常に長刀を携えている(これは他の武将もそうなのだが)。会えば、長刀が否応なしに目に入る。
 おっかないったらない。
 最近では、気配だけで周泰を避けられるまでになっていた。
「何故、周泰を避けるのだ」
 ある日、孫権に呼び止められてそんなことを言われた。
「避けているつもりは、ないんですが」
「避けているではないか」
「会わないように気を付けているだけです」
 胸を張るに、孫権は呆れ返ったように目を見開いた。
 理由を問われるが、あの刀がおっかねぇとは言い難い。
 他の者の武器は平気でも、周泰の武器だけがおっかないという理由をきちんと説明できるのか、自信もなかった。
「えーと……周泰殿、無口で何を話していいか、分かりません」
「えーととは何だ、えーととは」
「何ら意味はございませんよう、突っ込まないで下さい」
 卑屈に笑うに、孫権はやはり呆れ顔だ。
「以前はそんなことはなかったではないか」
「そうでしたっけ」
 曖昧に誤魔化そうとするのだが、孫権は誤魔化されてはくれなかった。
「そうだ、お前が練兵の見学に来てから態度がおかしいと聞いているぞ」
 誰がそんな余計なことを、と舌打ちしたい気分に駆られたが、報告したのが他ならぬ周泰とあってはそれもままならない。
 あー、うー、とうめいた挙句、やはり気のせいだと誤魔化した。
 武器は将の命を守る大切なものだ。自分がおっかないから持たないでくれと言って通じるものではなかったし、それで周泰が討ち取られるようなことがあっても目覚めが悪い。
 孫権は溜息を吐き、不意に後ろを振り返った。
「周泰」
 呼ばれ、廊下の角から姿を現したのは他ならぬ周泰だった。気配を完全に殺していたから、も気が付けなかったのだ。
 手には、やはり件の長刀を携えている。
 ぞっとした。
 背筋に寒気が走り、体が勝手に震える。
 は孫権への礼も忘れ、脱兎の勢いで駆け出した。
 あまりに見事な逃げっぷりに、孫権も周泰も唖然として見送ってしまう。
 立ち直ったのは、が廊下の角に消えてから後のことだ。
「……孫権様……」
「あぁ、分かっている。お前の好きなようにするが良い」
 主に許可を賜り、放たれる猟犬の如き勢いで周泰は駆け出した。
 その背を見送り、孫権は深々と溜息を吐く。
「……逃げれば追いたくなるのが人の情と言うものだろうに、まったく」
 それが周泰にも当てはまるとは思っては居なかったが、と孫権は胸の内でこっそりと付け足した。

 後日、が半べそ掻いて訴えたところによると、周泰が刀を携えて追っかけてくること程おっかないものはないと悟ったとのことだった。
 けれど、袋小路に追い詰められた挙句とは言え、周泰から逃げないと約束してしまった。もし約束を破ったら、また追っかけられることになっている。
 ぎゃわー、と天に向かって吼えるに呆れ、が見学に来ただけで張り切っていた純な周泰に同情する向きが強い。
 張り切り過ぎたせいで、が周泰に怯える原因になったと知らないのでは尚更だった。
 周泰がを追わず、が周泰から逃げなくなる日は、もう少し先になりそうだ。

  終

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