クリスマスの話をすると、曹丕は『くだらん』の一言で一蹴した。
 身も蓋もない言い様に、は思わず口を噤んだ。
「誰とも知れぬ男の誕生を祝って何になる」
「……いや、私の世界じゃ超有名な人なんですけども」
 が現世からこの世界に『来た』のはもう半年ほど前になる。倒れていたをその装束の珍しさだけで拾い上げ、都に連れ帰って世話をしているのは曹丕だった。
 物珍しい話をするを曹丕の父であり魏国の王たる曹操がそれは執拗に欲しがったのだが、曹丕が頑として所有権を譲らなかった為、は未だに曹丕の手元に置かれていた。
 いわゆる愛人と言う関係ではない。曹丕はに指一本触れてこなかった。
 曹丕は空いた時間に愛用の長椅子にもたれ、をその椅子の横に座らせてとりとめもない話を要求するだけだった。
 それがの警戒心を緩め、最初は怯えたように縮こまっていた手足も、今では曹丕の横にすんなりと伸びている。
「それに、世界中の全部じゃなくても、たくさんの人が同じ祭りを楽しむなんて、すごいことだと思うんですけど」
 擦れ違いや行き違いの多い世の中で、祭りの目的はともかく、皆が皆この日を楽しもうと意気込むのだ。『折角のクリスマスだから』という理由で喧嘩をやめたりする、なんてこともある。
「くだらん」
 だが、曹丕はの提案をあっさりと打ち捨てた。
 は困ったように曹丕を見詰め、仕方なく他の話題を探す。
 変な話だが、曹丕がの話を楽しんでいるように見えたことは一度だってなかった。いつも眉間に皺を寄せ、退屈そうに頷くくらいで、時には今のように平気で酷い言葉を吐き捨てる。
 も自分の立場を弁えていたから、文句は言わない。曹丕に拾われていなければ、今頃野垂れ死にしていてもおかしくないのだ。
 けれどこっそりと、ならば曹操のところに行かせてくれても良かったのにな、と思うこともある。曹丕の目を盗んでの元に通ってくる曹操は、の話にいちいち楽しげに反応してくれるのだ。聞かせ甲斐なら、曹操の方がよほど上だ。妙に色目を使うところが玉に瑕だが。
「ええと、年賀状という風習がありまして」
 が別の話題を切り出すと、曹丕は突然の髪を一房つまんで引っ張った。
 痛くはないが、突然のことで驚き口篭るに、曹丕は眉間の皺をますます深くした。
「……クリスマスの話をしろ」
「え? でも、つまらないのでは」
 曹丕の口がわずかに引き結ばれる。
 ご機嫌を損ねたかと首をすくめるに、曹丕は指を離した。そのまま椅子の背もたれにもたれ、肘を着きを睨めつける。
 これは本格的にご機嫌斜めだ、とうろたえると、曹丕はふと悩ましげに目を伏せた。
「つまらないように見えるか」
「え」
 曹丕はちらりとを見遣り、また不機嫌そうに押し黙ってしまった。
 どうしたらいいんだろう。
 は別の話を始めるわけにも行かず、困惑して曹丕を見上げた。
「……国の主たる者が、無闇に胸の内を顔に表してはならぬ」
「は?」
「国の主たる者が、無闇に他の者の言葉に聞き入ってはならぬ……私は、そういう風に育てられてきた」
 生まれた時から王の跡継ぎと定められていた曹丕は、そうして次第に表情と言葉を失っていった。
 曹丕の突然の告白に、は声もない。
 だから、と曹丕は話を続ける。
「……つまらないのではなく……そういう風にすべし、と定められてきたものを、いきなり変えることができぬだけだ」
 頬杖を突き、手元を覗き込むようにしている曹丕は、意外にも幼く見えた。
 皮肉げに歪んだ口元が見えないからかもしれない。
 何も見ないことで、眉に皺が浮かないのがいいのかもしれない。
 どきりとした。
 よくわからないが、ともかく曹丕はクリスマスの話が聞きたいのだという。
 曹丕が聞きたいと言うなら、話して聞かせるまでだ。それぐらいしか恩を返せない。
「……えっと、クリスマス、私が住んでたところでは、恋人同士はだいたい一緒に夜を過ごすことになってましてね」
「何故だ」
 珍しく合いの手が入る。は曹丕が気を使ってくれているのだと思って、答えようとしたが口が開いたまま答えが出てこない。
 そういえば、どうしてなのだろうか。
「……えーと……えーと、ちょっと待って下さい? えーと……」
 散々悩んだ挙句、思い浮かんだ言葉は『赤ちゃんが生まれたから』というろくでもないものでしかなかった。
「……赤ん坊が生まれると、睦まじい仲の男女は共に夜を過ごすのか?」
 そう指摘されてよくよく考えると、確かにおかしい。クリスマスはキリストの生まれた日で、ぶっちゃけ仕込んだ日ではない。
「……いや、ほら、将来を誓い合うというか、二世を契るというか。赤ちゃん欲しいって、そういう願掛け……も、兼ねてるとか……こんな風に祝ってもらえる子になるといいね、とか、願いを篭めて……うーん」
 どんどん話がずれていく上に、二世を契るって意味あってたっけ、とが自分の言葉に思い悩んでいると、曹丕は曹丕で何事か考えていたらしい。
「その、クリスマスとやらはいつのことだ」
「え、もうすぐのはずですけど」
 そうか、と呟くなり、曹丕はまた思考に沈み込む。
 閉じた瞼に長い睫が縁取られているのを見て、は今更ながらにこの人はかっこいいんだなぁと認識した。
「よし」
 ふと目を開けた曹丕は、何事か決意したような顔をしていた。
「その夜にお前と契るぞ」
「ち」
 ちぎるという言葉が、何故か頭の中で斬首に変化したが、青褪めて曹丕を見ると薄く微笑んでいる。いつものせせら笑うような冷酷さは感じられず、は思わず曹丕を凝視した。
よ」
「は、はい」
「私達の子は、皆に祝われる子になろうか」
 何かとんでもない勘違いをさせてしまったようだ。
 誤解を解こうと口を開くが、曹丕が何をどういう風に誤解したのかを図りかねて、何から話していいかわからない。
 頬がかぁっとして熱かったし、目の前も霞がかってしまって、心臓の音がやたらうるさくて思考の邪魔をする。
 結局、開けた口はそのまま閉ざしてしまった。

 曹操と曹丕の間で、が自ら望まぬ間は『してはならぬ』ことになっていたと、は後日知った。
 の話を曹丕がどう受け止めたかはわからないが、たぶん『恋人同士で夜を過ごす』イコール『その日にしましょう』というメッセージだと受け止めたということだろう。
 あくまで想像に過ぎなかったが。
 曹丕は無表情で計り知れないし、そうだと告げる言葉も未だにもらえていない。
 だからこそ自身、曹丕と自分が『恋人同士』だという自覚もなかったのだ。どおりで曹操が忍んでくるはずだ。息子の恋人に会うのに、堂々とでは衆目の手前まずかったのだろう。
 まあ、でも。
 曹丕のことは嫌いではなかったし、それにとても優しくしてくれた。
 だるく痛む腰を撫でながら、は今夜、牀で曹丕に何を聞かせようか考えた。

  終

旧拍手夢INDEXへ→
サイト分岐へ→