夜中。
 圧し掛かってくる人の重みで、はようやく目が覚めた。
 酔い潰れていたとは言え、何と言う失態だと青褪める。
 枕元に置かれた愛用の旋括棍に手を伸ばし掛け、止めた。
 取り押さえられるのがオチだ。
 代わりに、足を大きく跳ね上げた。体を丸め、侵入者に足裏を見せるように体を丸める。
 予想外の動きだったようで、侵入者が怯むのが気配で感じられた。
 は、体をばねのようにして反動を付け、そのまま侵入者に両足飛び蹴りを食らわしてやった。

 捕らえてみれば、侵入者は主の夫だった。
 大声を出して衛兵を呼ばなくて良かった、とは肝が冷える思いがした。
 腕を捻り上げた瞬間、賊が漏らした声に聞き覚えがあった。慌てて問い質すと予想通りに孫策で、は恐れ戦いて床に平伏した。
 今は、の牀を椅子代わりにして、二人並んで腰掛けて居る。
 こんな夜半におかしなことになった、とは居心地悪く肩を揺すった。
「……じゃ、やっぱり大喬の勘違いなんだな?」
「当たり前です」
 孫策の話に依れば、夜這いを勧めてきたのは大喬なのだという。
 が自分が与えた武器でなく、拾い上げた旋括棍を愛用しているのは孫策に心が傾いているからだと思い込んでいるそうだ。
 大喬にとっては、は単なる部下ではなく心の友なのだ。だから、友の想いを叶えてやりたい。
 そう言って孫策に懇願したと聞き及び、は苦々しい笑みを浮かべた。
「……大喬様も、思い込みが激し過ぎます。一言私に言って下さっていたら良かったのに」
「真っ向から訊いたところで、お前は絶対口割らねぇからっつってたぜ……大喬は大喬なりに、お前のこと考えて心配してんだ」
 分かってます、と吐き捨ててしまう。
 大喬が純朴で清らかな、優しいひとだとも知っている。
 だからこそ、こんな勘違いは馬鹿馬鹿しかった。
 思い詰めたの様子に、孫策は目を顰めた。
 の肩をぐっと引き寄せると、牀に引き倒す。
 唐突な孫策の行動に、は目を瞬かせ、己を組み敷いている孫策を見詰めた。
「俺は、別にそれでも構わねぇぜ。……妾の一人や二人、作ってもおかしかねぇからな」
 ざっと青褪めるを他所に、孫策はその柔らかな胸乳へと顔を埋めた。
 大喬の右腕ならぬ楯だろうと揶揄されるだったが、その体は女のものらしく柔らかで円い。
 男に比べればと言うだけの話ではあるが、それでも孫策の鍛え上げられた体の下では非力なものに過ぎなかった。
「……い、いや……」
 がちがちと歯を鳴らすを、孫策の指がゆっくりと弄っていく。
 いたぶるような指の動きに、の肌には粟立つような鳥肌が浮き上がった。
 孫策の指が、の夜着の襟を一気に引き裂いた。
「いやぁっ!」
 どうかわしたものか、孫策の下から這い出して牀の隅に身を縮込める。
 歯は鳴り止まず、体はがたがたと震えていた。
 胸の内では、大喬の柔らかな笑みと優しげにを呼ぶ声が木霊する。
 声もなく泣きじゃくり、救いを求めるように大喬の名を連呼した。
 孫策は憮然として胡坐を掻いた。
「……やっぱり、か」
 はっとして孫策を見遣ると、孫策は苦い笑みを浮かべていた。
 露見してしまった。
 全身に氷水をぶちまけられたような寒々しさに、は気を失い掛けた。
 しかし、を追い詰める恐怖はそれを許してくれなかった。
「大喬から話聞いて、俺もまさかって思った……お前、いつも大喬の周りに居て、俺が大喬のとこに行くと物凄ぇ目で俺のこと見てたし……けど、それ以外で俺のこと見てたってことなんか全然なかったしな。だから、大喬の勘違いだろうって思って、お前のこと見てたんだ。そしたら」
 が大喬を見る目こそ、恋するような切ない目だった。
 心から愛する者が傍に居ながら、手が届かないと言うような。
 は、不意に牀の下へと腕を伸ばした。
「……この、馬鹿野郎!」
 相手が孫策でなければ、の最後の願いは叶ったかもしれない。
 だが、その場に居合わせたのは孫策だった。
 の手から弾かれた短刀は、扉の前まで勢い良く弾かれた。
「し、死なせて下さい」
 こんな邪恋を、あの清真な大喬に知られてしまっては生きていけない。生きている資格がない。
 死ぬしかなかった。
「お前が死んだ理由、大喬になんて説明させる気だ」
 孫策の言葉に、はびくりと肩を震わせる。
「お前が死んだら、大喬はどうするんだよ。お前のこと、すっげぇ頼りにしてんだぞ」
 心から大切に思っている。
 だからこそ、自分を殺して孫策にを託したのだ。は孫策を愛しているのだと勘違いして。
 例え勘違いだったとしても、どれだけ馬鹿馬鹿しかったとしても、そう決心するまでに大喬を襲った嵐の激しさを思えば胸が痛くなる。
「……俺だって、何でお前のこと説教しなきゃなんねぇんだよ。いい面の皮じゃねぇか」
 不貞腐れて口を尖らす孫策に、は申し訳なさから俯いた。
「申し訳……ありません……でも、一生言うつもりは、なかったんです……」
 萎れたの様子に、孫策は頭を掻く。
「まぁ、なぁ、大喬も、ンなこと聞いたら目ぇ回して引っくり返っちまうかも知れねぇなぁ」
 は弾かれたように顔を上げ、孫策の顔を見詰める。
 孫策から苦笑が漏れた。
「言わねぇよ。……まぁ、これからどうするかは、また今度考えようぜ」
 案外、俺がぽっくり逝っちまうかもしれねぇしな。
 孫策の軽口に、は目を吊り上げる。
「許しません、そんなこと。大喬様が悲しみます」
 憤然として孫策を睨め付けるに、孫策の苦笑は深まる。
「分かった、分かった……じゃあ、俺、帰るぜ」
 くれぐれもおかしな気は起こすなと言い残し、立ち去り掛けた孫策は、ふと足を留めた。
「……なぁ、何で大喬からもらった武器使わねぇんだ」
 の頬が赤くなる。
「だ、だって、大喬様から折角いただいた武器、傷なんか付けたくないし、それに」
「それに?」
 赤かった頬が更に赤くなる。但し、むっつりと膨れた。
「……旋括棍を使っていると、貴方みたいだと大喬様が」
 嬉しそうに笑うのだと聞き及び、孫策は勢い良く吹き出した。
「何が可笑しいんですか」
「いや、別に。でもよ、……」
 今のとこは、俺の勝ちだな。
 憎たらしい口を聞く孫策に、は盛大に唇を尖らせる。
 孫策の笑い声は、夜中にも関わらずしじまを揺るがし響き渡った。

  終

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