曹仁はが苦手だった。
 確かに自分は曹操の血族の一員ではあるが、曹操に対し臣下の礼を崩したことはない。
 逆を言えば、だからこそ曹操の信頼も厚く、拠って他の同輩からも割合上に見られることが多い。
 は違う。
 平然と意見してくる。
 タメ口を聞く無礼こそ働かない。否、むしろ丁寧過ぎる程丁寧な言葉遣いだった。
 だが、世の中には、慇懃無礼と言う言葉がある。
 丁寧過ぎる言葉遣いは、却って人の神経を逆撫でするものだった。
 嫌いではない。
 副官としての地位を与えられてはいたが、本来ならば既に一軍を率いてもおかしくない能力を備えていた。
 有能であっても人に嫌われる人物が居ないではないだろうが、曹仁はを嫌っては居らず、だからこそ副官に任じて今日まで共に戦地を駆けて来た。
 ただ、苦手だ。
 策に長けているから故かもしれない。
 曹仁は、防御に関しては自信を持っているものの、攻めに関しては今一つ精細を欠く。
 そこのところを妙に卑屈に構えてしまうのかもしれない。
 常であれば言葉らしい言葉を交わすことはなく、軍議において意見を交換する程度だ。
 しかし、今日はそうもいかない。
 らしからぬ突出は、上手く敵本陣を裏から突いて戦局を大いに有利にしたものの、下手をすればそのまま壊滅しかねない危険な行為だった。
 活躍は活躍であるから、曹操には褒められた。
 だが、何度も繰り返されては困る。軍団長たる曹仁が釘を刺さなくてはならぬのだ。
 呼びつけられたは、君主直々に褒め称えられたとも思えぬ落ち着きようだった。不貞腐れているようでもない。
 何の感情も浮かばぬ素の顔は、曹仁には得体が知れず言葉の切り口に困った。
 と、当の相手から口を開く。
「お叱りは、甘んじて受けましょう。どうぞ、如何様にもなさって下さい」
 降格は元より、処分も辞さぬとは言い切った。
 叱るべき相手に端から『如何とでもしてくれ』と言われては、曹仁には返す言葉がない。
「……まず、何故あのような真似を致したか。そこのところを聞かねばなるまい」
「功を焦ったのです。手柄欲しさにあのような考えなしの行動を取りました。どうぞ、ご処罰下さい」
 から功を焦ったなどと聞くとは思いも寄らなかった。
 万事、欲のない人柄である。地位や名誉は元より、金や褒美の類も欲しがらない。
 もしも功を焦るとすれば、それはむしろ曹仁の方だった。
 ふと気が付く。
「もしや、そなたが功を焦ったのは、自分のせいではあるまいか」
 途端、の顔が朱に染まる。
 冷静であることを自分に課しているようなが、こんな風に取り乱すのは初めてのことだった。
 先日での戦で、曹仁は敗北を喫した。
 それだけに此度の戦では必ず功を挙げねばならず、曹仁も敗北すれば自ら処罰を受ける覚悟で居たのだ。
 がそれを密かに気に病み、己の命を粗末にしてでも曹仁軍としての功績を挙げようとしたのなら、あの突出も理解が出来る。
 策に長けたが、本来取るような無茶ではなかったのだ。
 ようやく腑に落ちたものの、ならば曹仁は、尚更を叱らねばならない。
 そんな無茶をして、の身に何かあったらどうするつもりなのだ。
 かっと激昂しかけた曹仁は、ふと、それもまた己らしからぬと気が付いた。
 の忠節は褒めるべきものでこそあれ、怒りに任せて罵っていいものではない。注意するだけして、今後このような無茶は決してせぬよう言い含めればいいだけの話だ。
 怒るのは、では何故なのか。
 まさか。
 まさか、自分のような男が、まさか。
「……そなたが自分の側に居てくれなくては、困る」
 ようやく言えたのは、そんな無粋な言葉だった。
 だが、の顔は喜びに満ちた。
 曹仁の目の錯覚だったかもしれないが、そう見えた。
「私は、立場も弁えず出過ぎた口ばかりを聞き居ります」
 が自分のことを語るのも、実に初めてのことだった。
「自分を律することも出来ず、上手く笑うことも出来ず、曹仁様のお気を悪くしてしまいます……それでも、お側に置いて下さいましょうか」
 声が震えている。
 降格、処罰とは口にしたが、指揮下から追放しろとは遂に言わなかった。
 それはどういうことなのか。
「居てくれなくては困ると、言った筈だ」
「……はい」
 言葉が途切れ、は自ら退室を希った。
 その無礼も、曹仁が言葉に詰まったことを察してのことだと、曹仁にはすぐさま分かった。

 引き止めて如何しようと言うのか、しかし口は勝手にを引き止めていた。
 が足を止め、曹仁に向き直る。
「その」
 何を言うべきか。
 改めて叱るべきか。
 自らの過ちに深く反省しているものを、これ以上叱ったところで何になる。処罰も辞さぬと言うからには、後日に改めても構うまい。
 そうではない。
 そうではなくて、言いたいことは、極々単純明快なことの筈だった。
「自分の側に、居てくれぬか」
 無粋極まりない言葉に、は戸惑っている。
 けれど、その足は真っ直ぐに曹仁の許へと歩み寄ろうとしていた。

  終

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