殺してしまえばいい。
 がそう言うと、尚香は真っ青になった。
「何を言っているの」
 制止でなく肯定するでなく、ただの言ったことを理解できないと呻く尚香に、は冷たく微笑んだ。
「このままむざむざ恥を晒して帰るより、あの男の首でも手土産に戻った方が、幾らもマシではありませんか」
「何を言ってるの、止めて
 あくまで聞く耳を持たない態を続ける尚香に、は露骨に眉を吊り上げた。
 呉からの密使により、尚香の帰還を促された。
 密使の存在は劉備達蜀の人間にも筒抜けで、いっそ茶番と言っていい愁嘆場が繰り広げられようとしている。
 そんな最中、閨で二人きりになったのを見計らい、尚香が最も可愛がっている侍女のは、人が変わったように恐ろしい企みを口にしていた。
「劉備をこのまま生かしておけば、いずれは貴女以外の女を抱くようになりますよ」
 尚香の肩が跳ねた。
 年の離れた若い尚香を妻にして、何事もなく受け入れられる劉備のことだ。澄ました顔をしていても、すぐに代わりの女を用意するに違いない。
 の指摘は尚香の恐怖を簡単に煽った。
 互いに互いだけと願い誓った男の、違う女を胸に抱く様が容易に想像できる。
 それは、尚香が本当に劉備を信じていない証に等しかった。
 怯える尚香に、は毒を流し込むように囁き掛ける。
「殺しておしまいなさい」
 びくっと跳ねる肩が、透き通る程白くなった肌が、の愉悦を堪らなく刺激する。
「殺して、尚香様お一人のものにするのです……そうすれば、劉備は貴女だけのものになる」
 繰り返される言葉に、尚香は突然激しく頭を振った。
「駄目、駄目よそんなこと。第一、権兄様がそんなこと喜ぶ筈がないわ」
 尚武の誉れ高い呉の君主が、そんな薄汚い手土産を喜ぶ訳がない。
「でも、尚香様」
!」
 きっとを睨め付ける尚香は、弓腰姫の名に相応しい気高さに満ちていた。
 その威厳に打ちのめされるように、は蒼白になって平伏した。
「……大きな声を出してごめんなさい、。でも、これだけは分かって。私は玄徳様を愛しているの。だから、私はこのまま黙って身を引きます」
 いつか戦場で出会うかもしれないけれど、と小声で付け足す尚香は、悲しげに沈んでいた。

「そうか、尚香はそのように」
 目は満天の星空に向けたまま、一人言のように呟く。
 寛いだように窓辺に腰掛ける劉備に対し、は身を強張らせて震えていた。
 尚香付きの侍女として呉から連れられてきただったが、ある日劉備の腕に捉えられ、その純潔を失った。
 以来、は尚香を裏切り劉備の腹心として尚香を見張ってきた。
 どうしてそんな大それた真似をしてしまうのか、自身にも分からない。
 劉備を慕っているのではない。尚香に告げると脅迫されている訳でもない。
 ただ、劉備という男が恐ろしくて仕方がなくて、それで『出来得るならば聞き届けてもらいたい頼み』という名の命令のままに動いている。
「それでは、斬れぬな」
 ぽつりと落とされる言葉に、は引き攣ったような小さな悲鳴を上げる。
 尚香を殺してしまいたがっているのは、実は劉備の方だった。
 殺して、永遠に一人占めにしたいと希う程に尚香を恋い慕っている。
 けれど、ただ殺しては呉へ態のいいお題目を与えてしまうことになる。大徳の名にも傷が付く。
 尚香に襲い掛からせ、返り討ちの形で殺せばいいと思いついたのは、劉備本人なのかそれとも誰かの入れ知恵なのか。
 には分からぬことだった。知りたくもなかった。
「……私は、これで」
 報告せよと命じられたことはすべて話した。今は、一刻も早くこの恐ろしい男から離れたかった。

 優しげな声がを呼ぶ。
 心臓が跳ね上がり、逃げ出したい気持ちに駆られるが、足は縫いつけられたように留まっていた。
 背後でふわりと風が揺れ、肩に温もりのない手が重く圧し掛かる。
「ご苦労だった……報告はもういい」
 担ぎ上げられ、飲み込みきれなかったかすれた悲鳴が空気を揺らす。
 寝台に投げ落とされ、悲鳴を堪えようと口元に手をやれば、歯の根が合わずカチカチと音を立てて震えていた。
「お前は、いつまで経っても慣れぬのだな」
 苦笑とも取れる笑みを浮かべ、劉備の指がが身に纏う布を暴いていく。
 果実の皮が剥かれるように現れたの裸体に、劉備の喉がごくりと鳴った。
 気が遠くなりそうな恐怖に押し潰されそうになる。
 すぐに挿入されるが、の秘裂は既に甘く潤っていて痛みを生じさせなかった。
 絡み付く肉の感触に、劉備は心地良さそうな嘆息を吐く。
「お前のここは、尚香よりもずっと良い」
 聞きたくない。
 涙が滲み零れるのを、劉備の唇が吸い取ってしまう。
 何もかもがこの男のものにされてしまうような気がして、それが決して間違いではないと怯えた。
、可愛いな。お前の声を、もっと聞かせておくれ」
 ぞっとする甘言は、の心臓に絡みつくようだ。
「殺して下さい」
 隠し切れずに希ってしまう。
 あれだけ良くしてくれている主を何重にも裏切り、それでも己を殺すことができない。弱い自分に愛想を尽かし、けれど自ら死ぬことはどうしても恐ろしかった。
「駄目だ」
 くすくすと、まるで面白い冗談を聞かされたかのように劉備が笑う。
「まず、お前が私を殺してくれなければ」
 どこまでが本気でどこまでが嘘なのだろう。
 現実と狂気の狭間に落とされ、は嬌声という名の悲鳴を上げた。

  終

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