、今度の日曜は空いていないか」
 課の違う太史慈にそんな風に声がけられて、は目をぱちくりさせた。
「えーと、別になかったと思いますが。何でです?」
「すまんが、休日出勤を頼めないか」
 通常であれば、は休日出勤させられるほど忙しくはない。事務が主な担当で、忙しくはあったが出勤日に真面目に仕事をこなせば問題なく時間内で納まる仕事なのだ。
 残業手当や特別手当はそれほど付かないが、そういうものが欲しい人間は人事の呂蒙にこっそり頼んで他の課と兼任させてもらっているようだ。当たり前だが仕事をしなければそういう手当ては与えられないわけだし、勤務時間外に他の忙しい課を手伝うのは別に悪いことではない。
 そんなわけで、はTEAM呉の中でも暇な人間といえた。
「そんなに忙しかったんですか」
 事務だから、頼まれる書類以外で営業の太史慈を手伝えることはほとんどない。とはいえ、気が回らないことに恥じ入る。
 太史慈は笑っての考えを否定した。
「いや、実はな。休日出勤とは言っても、会社に来るのではなく、街に視察に出るだけだ」
 忙しいことは忙しかったから、自分の部下達は休める日に休ませて遣りたいのだと太史慈は続けた。
 そういうことなら合点がいく。街に視察と言えば聞こえはいいが、要するに自社製品の扱いをチェックしにいくのだ。また、ウィンドウの展示の仕方などの確認の為、街中で写真を撮ったりしなくてはならない。
 撮影班並みに仰々しい設備を持ち歩ければいっそ開き直りもしようが、小さなデジカメ一つを持って撮影となると、見た感じが全然違ってくる。痴漢に間違われた例もあり、おかしな誤解を招かぬよう男性社員が街に視察しに行く時は女性社員が付き添うのが通例になっていた。
 は快く了承した。
「でも、今度の日曜ってクリスマスイブでしょう? そんな日に視察だなんて、係長も大変ですねぇ」
 が笑うと、太史慈は少し照れ臭そうに苦笑いした。

 待ち合わせたデパート前のツリーは、早い時間にも関わらず割と混雑していた。
 のように相手を待っているらしい女の子が、目一杯着飾ってそわそわと相手を待っている様は何だか可愛らしかった。逆のパターンで男の子が相手を待っているのも、またそれはそれで可愛らしい。
 自分には縁遠い世界だと見物しながら待っていると、太史慈が少し遅れてやって来た。
「すまんな、遅くなって」
「いえいえー、日曜日にお疲れ様ですー」
 そうしてふと見遣ると、太史慈は会社で常のスーツ姿ではなく、ダークグレーのタートルネックにダウン、ジーンズと言うラフな出で立ちだった。
「……どうかしたか?」
 固まってしまったに、太史慈が不思議そうな顔をする。
「あ、いえいえ、別に何でも。早く行きましょう、早く」
 格好良すぎて一瞬どきっとしたなど、口に出して言えるものではない。
 待ち合わせをデパートの開店時間に合わせていたが、太史慈が少し遅れたお陰で待ち客が減り、入りやすくなっている。
 とは言え、混んでいることには変わりない。
 太史慈の手がの肩を軽く掴んだ。
 大して力も篭められていないようなのに、の体は簡単に太史慈の方へと引き寄せられてしまう。
「あ、え?」
「そんなに急ぐな、はぐれる」
 そのまま肩を抱かれるように歩く。慣れた仕草に、は何故か顔が熱くなるのを感じた。

 デパートを何軒か回り、写真もそれなりに収めた。
「時間もちょうどいいし、昼飯にするか」
「うーん、でもこの時間じゃ何処もいっぱいですよ。少しずらしませんか」
 手近な店を見回し渋るに、太史慈は笑う。
「大丈夫だ、こんなこともあろうかと店を予約しておいたから」
「よ、予約? ずいぶん手回しがいいですね」
「イブだろう、どうせ人が多いとわかっていたしな。ここからなら、歩いてもすぐの場所だ」
 そう言って再びの肩に手が回る。
 うわ。
「あ、あれいいな」
 は何気なくその手を避けた。ちょうど近くにあった露店の陳列台を眺め始める。
 何の気なしに見たのだが、綺麗な朱色の石がはまった指輪に目が留まる。
 後ろから追いついた太史慈が、の視線に気がつき目を向ける。
 露店の男もの視線に目敏く気がつき、ひょいと指輪を取り上げた。
「良かったら、はめてみない?」
「え、や、私は……」
 尻込みするに、つけるだけはタダだからと強引に指に嵌めてしまう。
 つけてしまうと、指輪はしっくりと馴染んだ。朱色も深みを増したように輝いている。
「わ、すごく似合ってるよ。どう? 安くしとくから!」
「あ、でもあんまりお金持ってきてないし……」
 露店で売っているものにしては凝ったデザインに、値段が気になって値札を見ると、やはりそれなりに高価だった。
「彼氏に買ってもらえばいいじゃない! イブなんだし!」
「か」
 男の言葉に、の顔が強張る。隣にいる太史慈を見上げると、太史慈は軽く微笑んだ。
「……今日の礼に、買ってやろうか?」
「いっ……いいですいいです、何言ってんですか!」
「毎度! いい彼氏持って、幸せだね!」
 値札をくくりつけた糸を切ろうとする男に、は慌てて手を振る。
「いいです、ホント! か、彼氏じゃないですから!」
 ごめんなさいを連呼して駆け出したに、男は太史慈に不思議そうな目を向ける。
「何か、まずかったッスかね」
「すまんな」
 太史慈は苦笑いを浮かべた。


 街灯にへばりつくようにしているに、太史慈が声を掛ける。
 あわわ、とおかしな声を上げて振り返るに、太史慈は軽く首を傾げる。
「す、すいません……」
「何を謝る? 店と見当違いの方に走ってしまったことか?」
 太史慈が予約した店に向かおうと言って手を差し出すと、は困ったように太史慈を見上げる。
 そのの手を、太史慈は強引に引っ張った。指に、先程の指輪をはめる。
「え、これ……」
「今日の礼にな。本当は後にしようかと思ったのだが、露店だから包むものがないと言われた」
 指に馴染む指輪は、日の光を受けてきらきらと光り輝く。
「も、もらえませんよぉ……」
 指輪は、指輪だけは駄目だ。
 これは大切な人に贈るべきものだ。
「あ、頭固いかもしれませんけど……古いかもしれませんけど……」
 自分は、太史慈からもらう資格はない。
 外そうとするの手を、太史慈はそっと抑えた。
「大切な人に贈るならいいのだろう?」
 長身の太史慈が傍らに立つと、それこそ覗き込まれるように見詰められる。
 恥ずかしくて目を伏せれば、太史慈の男臭いごつい手が目に飛び込んできた。否が応にも心臓が高鳴る。
「俺は、お前が」
 太史慈が口を開いた途端、は思い切り喚きだした。周囲の注目が二人に集まる。
 思わず言葉を切った太史慈に、しでかしてしまったが顔を真っ赤にする。
「ご、ごめんなさい」
 でも、こんな人がたくさん居るところで何かとんでもないことを聞いてしまいそうで、たまらなかったのだ。
「……人が居なければいいのか」
「……えぇと……」
 どう言ったらいいのだろう。
 太史慈を意識し始めたのは、本当に今日、今さっきのことなのだ。それでどうこうなろうというのは、おかしいように思えた。
「俺は、ずっとだ」
 頬をわずかに染めた太史慈を、は驚愕して見詰めた。
「知らなかったか」
「……知りませんでした」
 そうか、と言ったきり太史慈は黙り込んでしまった。
「すみません……」
 何をどう言っていいかわからず、は謝罪の言葉を口にした。
「いい、謝らなくて」
 太史慈は、重ねたの手をそのまま握った。大きな太史慈の手に、の手はすっぽりと納まってしまう。
 手を繋いで歩き始めた太史慈に連れられるようにして、も歩き始めた。
 心臓がばくばくする。顔も熱い。横から見上げる太史慈の顔は、端正で男らしかった。認識した途端、ますます顔が熱くなっていく。繋いだ手が汗ばんで、恥ずかしかった。
「あの、係長、手……」
 の声に、太史慈は歩みを止めてを振り返った。
「……言わせてくれるなら、離してやる」
 何を。
 そんな問い掛けは無意味だ。もう、わかっているのだから。
 うろたえ、視線はうろうろと彷徨うばかりだ。
 落ち着け、落ち着いて、そう、深呼吸して。
 唐突に深呼吸を始めたは、傍から見れば恐らくとても不審だっただろう。
 しかし、太史慈は手を離そうとはしない。その手が、少し冷たく汗ばんでいることに不意に気付かされた。
 見上げれば、太史慈も困った顔をしている。それも、物凄く困っている。
 視線を俯け、石畳の坂道を見詰めた。
 の足に合わせてゆっくり歩いてくれていることにも気がついた。
 こつこつという音が耳に響く。
 こつ、こつ、こつ、こつ……。
 ゆっくりとした足取りは、心臓の音を穏やかな平坦なものへと導いた。
「もう少し、人が居ないとこで、なら」
 呟いたの声は小さかったが、太史慈の歩みをぴたりと止めた。
「……今なら誰も居ないぞ」
 賑やかな表通りから複雑に入り組んだ小道に入っていた。太史慈の言うとおり、ここに人影は見えなかった。
「……じゃあ、言ってもいいです」
 ぼそぼそと呟くの声は、やはり小さい。太史慈は、声と同じように小さく縮こまっているをじっと見下ろした。俯いた表情は見えないが、耳まで赤く染まっているのがわかった。
「やはり、言わずにおこう」
 歩き始めた太史慈に、は驚き目を見張る。
「今はまだ、この手を離したくない」
 後で、言う。
 握った手に力が篭められる。
 痛いくらいの感触に、は太史慈の手をそっと握り返した。

  終

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