+++せめて隣が、あなたじゃなければ

 孫策様は、とにかく明るい。
 いつも元気で、弾けた豆みたいだ。
 私は詩の才能はないから、上手く言えないのだけれど、そういう孫策様がとても好きだ。
 もっとはっきり言ってしまえば、心からお慕いしている。
 もっとあからさまに言ってしまえば、孫策様の、正妻とは言わない、妾でも、いいえ一度限りのお手付きになるだけでもいいと思っている。
 そんなこと、ある訳はないのだけれど。
 だって、孫策様の隣には、いつも大喬様がいらっしゃるから。
 年は多少離れているかもしれないが、とてもお似合いの、素敵なお二人だと思う。
 悔しいけれど、とても敵わない。
 孫策様の目には大喬様しか映らないのだろうし、大喬様だって揺ぎ無く孫策様を見詰めている。
 二人の間には、付け入る隙さえないのだ。
 告白さえ出来ない。

「よ、なぁに湿気た面してんだ」
 気安く声を掛けてくれるのは、甘将軍だ。
「いえ、何でもありませんよ、将軍」
「他人行儀な口の聞き方ぁ止せよ」
 私は曖昧に微笑んだ。
 甘将軍が呉にいらした時、私が屋敷や家人の世話をしたことを恩に着て下さっているらしい。今でも、こうして顔を合わせればお声を掛けて下さる。
 私が上官であったのは、疾っくの昔であるにも関わらず、だ。
 そうした気質は何処か孫策様に似ていて、実は私は甘将軍が苦手だ。
 報われぬ想いが、ぷつぷつと泡立って醸成されていくような心持ちになるのだ。
 甘将軍のせいでは勿論ない。私の、一人よがりで勝手な言い草だ。
 だからこそ申し訳ない。顔向けが出来ない。
 それで、苦手なのだ。
 おざなりな挨拶をして立ち去ろうとすると、甘将軍は私の隣に立ち一緒に歩き出す。
 偶々同じ方向だったのだろうか。
 そんな筈はない、だって甘将軍は私が向かう方向から歩いてきて、だから私もこの方向に足を進めたのだから。
 甘将軍の目が、私を見ているのが分かる。
 私は常の癖で平静を装い、努めて気にしないよう、何でもない振りをした。
「言ってやろうか」
「何をですか?」
 私が笑みを浮かべるのを、甘将軍は腹立たしそうに舌打ちして見せた。
 この方のこういうところは、子供が大人ぶって見せるのと変わらないと知っている。皆が甘将軍を『水賊上がりのならず者』と密かに揶揄し恐れていることも知っていたけれど、変に臆病になる方がこの方の気を損ねると分かっていたから落ち着いていた。
 そんな私を、甘将軍が『肝が太い』と言って褒めて下さって、以来何かと気さくに話しかけて下さるのだ。
 私はいつも通り振舞っていて、甘将軍もいつも通り返してきてくださるものと思っていた。
 甘将軍はよく、『当ててやろうか』と言って私の考えを言い当てようとすることがあって、この時の『言ってやろうか』も同じ問い掛けだと思い込んでいた。
「あいつに、俺から……言ってやろうか。お前のこと」
 違っていた。
 甘将軍はいつの間にか私の想いに気付き、誰を見ているかを見抜いていた。
 あの甘将軍がこんな顔をしてこんな申し出をして下さるなんて、私は相当酷いぼろを出していたに違いない。
 顔色が変わり、表情が消え失せる。
 自分の顔は見えないけれど、そうなっているという確信があった。
「言ってやるよ」
「やめて下さい」
 つい大きな声を出してしまい、甘将軍の目が不機嫌そうに細められる。
 私は丁寧に詫びてから、自分の想いが邪恋であることをよくよく理解していること、お似合いだと心から認めていること、お二人の間に割って入るつもりは毛頭ないことをくどくどと説明し、だから言わないでくれと頭を下げた。
「お前ぇはどうなんだよ」
 甘将軍は、しかし不機嫌そうに私を見詰めている。
「あいつらはシアワセでいいかもしれねぇ、けどよ、お前ぇはどうなんだよ。ずっとうじうじ考えて、陰からこそこそあいつ見てるだけで本気で満足できんのかよ。俺ぁ」
 嫌だ、と小さく呟く甘将軍に、私はようやく気が付いた。
 甘将軍は、私を見ていたのか。
 隠し果せていると思っていた想いを、こうも容易く気が付かれるのはおかしいと思ったのだ。私が孫策様を見ているように、甘将軍が私を見ていたと言うのなら、分かってしまっても仕方がない。
 孫策様を見詰める私の目は、孫策様が大喬様を見詰めるような目をしていたと思うから。
 私は、無言で歩き出す。
 甘将軍もまた、無言で私の横を歩いている。
 無性に泣きたくて仕方がなくて、けれど泣くことはどうしても出来なかった。
――せめて隣が、あなたじゃなければ。
 想いを寄せてくれていると分かって、どうしてその人の前で泣いたりすることが出来るだろう?
 想っても居ない相手に甘えるなど、少なくとも報われぬ恋の辛さを知っている私がしてはいけないことだった。
 だから私は無言で歩いた。
 甘将軍が私を見限ってくれるまで、私がこの虚しい恋に見切りを付けられるまで、歩き続けなければならなかった。

  終

(お題提供:確かに恋だった様)

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