そろそろ休もうかと言う頃、が孫権の室にやって来た。
 何事かと眉間に皺を寄せる。
 そんな孫権に、は萎縮したように肩をすくめた。
「何用か。如何にお前とて、無礼だろう」
 は呉の女ではない。
 どころか中原、南蛮の女ですらない。
 孫権が知り得ぬ遠い国から来たというの面倒を見るようになって、早数ヶ月が経とうとしていた。
 知識がなかったとは言え、決してこの国の作法に慣れられぬ短さではない。
 そも、身分の高い低い以前の問題で、こんな時間に異性の室を訪れるなどもっての他だ。
「あの……でも、仲謀様がお暇になるのって、こんな時間ぐらいだってしか分からなくって……」
 の言うことは至極もっともなのだが、孫権は素直に頷くことが出来ず、再び眉間に皺を浮かべるに留めた。
「用件は何だ」
 すげない言葉に、の顔に逡巡の色が浮かぶ。
「何だ。ここまで来て、言い渋るようなことか」
 早く言え、でなければ帰れと孫権はあくまで威丈高だ。
 の目が突然潤む。
 さすがにこれにはぎょっとして、孫権も思わず口を噤んだ。
「……別に、怒っている訳ではない。お前も、私の性質にいい加減慣れるといい」
「すみません」
 謝らせたい訳ではない。
 孫権は渋面を作り、我に返って慌てて口元に手をやり、強張った顔を解すかのように擦る。
「その……もう夜も遅い。言いたいことがあるなら早く済ませて、お前も休むといい」
 何か欲しいものでもあるのかと水を誘うと、は困ったように眉尻を下げた。
「欲しいって言うか……ただ、お伝えできればいいなって、そう思って……」
 あの、そのと言い惑うに、孫権はじっと我慢を重ねて待ち続ける。
 いい加減に限界が来そうだと冷や汗を掻いていると、ようやくが口を開いた。
「好き、です……あの、お慕い、してます」
 それだけと頭を下げたは、踵を返してとっとと退室する心積もりだった。
 顔を上げた瞬間、目の前に孫権の顔があった。
 次の瞬間、口を塞がれていた。
 何をされているのか理解できない。
 ただ、目と鼻の先よりずっと近い位置にある孫権の睫が、数えられる程に近い事実に妙な感心を覚えていた。
 睫が離れ、頬を紅潮させた孫権がを見下ろしている。
「……眠ろうと、思っていたところだった」
 返事をしようと口を開いたは、声が出せなくなっていることに気が付き慌てふためいた。
 やむなくこくこくと頷いて理解を示す。
 孫権は、に構う余裕がないのか淡々と言葉を続ける。
「眠れなくなったではないか」
「は、わ、……」
 あうあうともどかしげに口をぱくぱくさせるに、孫権はまたも眉を顰める。
 怒らせたかと肩をすくめるを、孫権はひょいと抱え上げた。
「責任を取ってもらうぞ」
「!?」
 そのまますたすたと奥に向かう孫権に、はうろたえ、しかし抵抗も出来ずに運ばれていく。
 落とされたのは、寝室の牀の上だった。
「!?!?」
 これは幾ら何でも性急過ぎる。
 が押し留めようと伸ばした手は、易々と捕まり孫権の唇が押し付けられた。
 じんわりとした熱と体をざわめかす柔らかさが、の抵抗を完全に封じてしまった。
「ずっとお前が欲しくて、我慢してきた。もう、逃さぬぞ」
 孫権の言葉はの抵抗を打ち消し、ついでにの無礼もなかったことになった。
 恋人を訪ねるならば、夜の方が都合がいい。
 風習または恋愛の発展に仕方に多少の差はあれ、この一点のみは時を隔てても変わらない。
 ただし、この件に関してが納得するか否かは、また別の次元の話であった。

  終

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