持って行けと言われて持って行った書類に不備があった。急ぎの書類なのにと零され、恥ずかしいやら腹立たしいやらだ。
 顔が真っ赤なのを自覚しながら駆け戻ると、書類を託した当の人物はのほほんと資料などを読んでいる。
 憎たらしさに拍車が掛かり、上司を相手ながら態度が荒くなる。
「太公望部長代理っ!」
「わざわざ名前から役席名まで呼び並べ立てなくても結構だよ、
 が激怒しているのを承知で、太公望はあくまで呑気だ。
 これはわざとに違いない、と悔し涙まで滲んでくる。
「確認しなかった私も馬鹿ですけれども、忙しいって言ってるじゃありませんか。他の部署にお使いにやるんなら、新人とか使って下さいよ!」
 手が空かない、電話はひっきりなしと来て、は朝から涙目なのだ。
 新人に任せられる仕事も少なくて、ぼんやりしているのを横目で見せられているものだから、尚更にキツい。
 そこに太公望から内線で呼び出され、何かミスでもやらしたかと慌てて駆けつければ書類を届けてきてくれと言う。
 女媧の部署はフロアの一階上だ。
 迷子になりようもないのだから、新人に行かせても何ら問題はない。
「一つには、新人に託していいような書類ではないということだ」
 だったら、太公望が届ければいい。
「更に、貴公が言う通り中身を確認してくれるかどうかの確認がしたかった」
 ご期待に添えなくて申し訳ございませんでした。
「最後に、これを口実に貴公を今宵の食事に誘いたかった」
 ……は?
 が絶句すると、太公望は会心の笑みを浮かべ優麗な仕草で頬杖を突いた。
「して、返答は如何に?」
「忙しいんですっ!」
 は絶叫するように叫び、退室の礼も忘れて飛び出して行った。
 開け放たれた扉の向こうから気忙しく叫び上げるの声が漏れ聞こえ、そのまま恐るべき速度で遠ざかって行った。早速携帯でも鳴ったのだろう。
 太公望はしばらくが開け放った扉の方を眺めていたが、おもむろに引き出しから足りなかった書類を取り出し、先の書類と合わせて丁寧に整えた。
 クリアファイルに収めると、ゆっくりと立ち上がって椅子を戻す。
 背もたれに手を置いてしばらく何事か考えていた太公望は、ふいにくすくすと笑い出した。
 困惑し切ったが絶叫する時の顔が好きだ。
 それを見る為だったら、多少の手間隙は厭わない。
 太公望は一しきり笑い続け、気が済むと同時にその笑みを引っ込めた。常に柔和な笑みを浮かべる彼が、人前で本当の笑みを見せることは少なかった。
 今日辺り、は必ず残業になるだろう。そうしたら、一段楽した頃を見計らって改めて誘えばいい。疲れたは何を欲するだろうか。豪華なディナーでは気疲れしようし、けれど適当に酒類が出される店が良い。
 そんなことを考えながら歩く太公望の口元に常とは違う笑みが浮いていることを、太公望自身は気付いてなかった。

  終

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