半蔵が無口なのは誰もが知り及ぶところだ。とて、饒舌な半蔵というものを見たことなどない。
 何かしらの好悪の感情ですら、持ち合わせがないように見える。
 それはそれでいいのかもしれない。
 半蔵は忍者だ。
 忍びたる者、好悪の持ち合わせなどない方が仕事がやりやすいに違いない。時に人を騙し、偽り、必要な情報を得ることこそが忍びの最たる役目だった。
 そんな風に考えて、しかしそれは半蔵には当てはまらないようにも感じた。
 半蔵の場合、なるほど確かに情報を奪いに敵地へ赴くこともあるが、それは赤の他人に化けたり演じて見せたりといった策でなく、闇伝いとは言え堂々と乗り込んで堂々と帰ってくる。人目を忍んでいる風には見えない。
 それに、敵のみならず味方にもその存在を秘密にする忍びこそが普通なのだ。
 顔を隠したりするのは、自らの顔を晒して記憶されぬようにする用心の為であると聞く。
 半蔵は、顔は隠しているけれどもと話をすることもある。気さくとは言い難いが、の身分(家老の又従弟の娘)を鑑みれば言葉を交わすこと自体、社交的と言っても良いのではないだろうか。
 お世辞を言う相手ではないし、おべっかを使うような男でもない。
 第一、侍女として城に勤めるに胡麻をすっても何の得にもならないではないか。
 箒を掃く手を止め、額に浮いた汗を拭う。
 落ち葉の季節の比ではないが、雨の多いこの時期、何だかんだで庭も荒れ易い。晴れ間を縫って手入れをするよう心掛けている。
 そのの足元に、ぽとりと木の実が転げ落ちた。
 まだ熟する時期ではなかろうにと顔を上げると、高い木の枝に半蔵が『留まって』いた。
「……御無礼」
「どういたしまして」
 頭を下げ木の実を拾うと、袂にしのばせる。
 半蔵が見ているので、何か、というように小首を傾げた。
「……如何なさるおつもりか」
 如何、と言われて目を見張る。
「……えぇと。特に、如何しようと言う訳では……何となく、綺麗な実だと思ったものですから」
 何かまずかったろうか。断りもなく懐に収めたのがいけなかったのだろうか。
 かと言って今更わざわざ取り出して、はいどうぞと返していいものか分からない。
 半蔵は、一人うろたえるをしばし黙して見詰めていたが、不意に一礼して消えた。
 動きが素早くて目で追えないだけだとは分かっていたが、実際目の前でやられるとどうしても消えたように見える。
 あの人のお嫁さんになる方は大変だろうなぁと考えていたところへ、今度は家康が通り掛かった。
「これは、殿」
 慌てて膝を付くと、家康は笑っていなした。
「良い良い、儂もこれこの通り隠密の身じゃ。そのように改まるでない」
 家康の言う通り、その周りには家臣の姿はなかった。城の中とは言え一人で出歩いている家康の豪胆に呆れる。
「まぁ、殿。無用心にございます」
 歯に衣着せないの物言いに、家康はからからと声を立てて笑った。
「そう言うな、。そなたこそ、このような場所で何をしていたのじゃ。庭師共の仕事を、取ってしまうつもりか?」
「こんな広いお庭ですもの、ここだけ私がお手伝いしたとて、庭師殿のお仕事がなくなるとは思えませぬ。……そう言えば、殿。先程、半蔵殿がお見えでしたよ」
 つい今しがたあったことを家康に話して聞かせると、家康は少しばかり不思議そうな顔を見せた。
「……嘘ではありませんよ。ホラ、ここにその木の実が」
 袂から出して見せると、家康の顔はますます不思議そうになる。
「そなた、何故その実を拾うたのじゃ」
 問われて、の頬がわずかに染まる。
 内緒にして下さいませと念押しして、更に用心深く辺りを見回す。
「あのぅ、実は私、半蔵様がこれを投げられたのかと思ったのです。本当は偶々、枝を揺らした弾みに落ちたとか、そんなことだったのかもしれませんけど……あの半蔵様が子供みたいなことをなさると思って、おかしくてつい拾ってしまいました」
 特に意味はなく、半蔵が仕掛けてきたかもしれない悪戯の証として取っておこうと思ったのだと、は恥ずかしそうに答えた。
 家康はしばし考え込んで、おもむろに口を開く。
、そなた、半蔵の嫁になるつもりはないか」

 半蔵が本当にそんな悪戯を仕掛けたのかどうか、家康とて判然としない。
 けれど、半蔵を密かに呼び寄せたのは他ならぬ家康自身だった。が会ったのは、話からして家康から密命を帯びた後だと容易に想像できる。
 半蔵に与える命は、半蔵でなくては到底叶わぬと思うもの、つまり半蔵をして命を落としかねない危険な任務だ。
 その任務の前にに会いに行ったというのなら、一目その顔を見たいと、声を聞きたいと思ったと言うのなら、半蔵の胸の内は手に取るように明らかだった。
 そして、家康の唐突な問い掛けに顔を真っ赤にして俯いてしまったの様もまた、語るに落ちたも同然なのだった。

  終

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