「興じよう、ぞ」
 信長の目に火が灯る。
 黒い瞳に映る炎は、瞳の黒を吸い取って漆黒の業火と化していた。
 綺麗。
 だけど、これは滅びの炎。
 見てはならないし、魅入られてはならない。
 は剣を構えた。
 一軍を率いた父が、反乱軍の一味として捕らえられたのはつい先日のことだ。
 同じく戦人として剣を取っていたは、父の身柄と引き換えに、その剣を遠呂智に捧げなければならなくなった。
 自分はまだ、いい。
 剣を握らずに生きてきた家臣の妻や娘達は、皆人、遠呂智やその手下共の慰み者に供された。
 この世の終わりのように泣き叫ぶ声が、今もの耳に焼き付いている。
 負ければ父の命はない。
 けれど、父もこのまま幽閉されて潔しとしているようには思えない。
 父に会うどころか、文も差し入れの着物も、送っても送っても返事がなかった。
 つい先日、遠呂智の手下がの書いた文と差し入れた帯を焼いているのを偶然見掛けた時、父が命を絶つ可能性にようやく気付いた。
 確かめる方法はない。
 だから、戦うしかなかった。勝てば父が生かされていると妄信し、負ければまま、戦場の露と成り果てる。それだけのことだ。
 永遠に続くかもしれない宙ぶらりんな立ち位置に、いつか限界まで追い詰められて壊れるまで、は剣を振るうしかなかった。
「……うぬが迷い、この信長が打ち払おう、ぞ」
 はっとする間もなく、の体は吹き飛ばされた。
 信長が手にした蛇之麁正がを斬ったのではなく、そこから放たれる妖気がの体を弾き飛ばしていた。
 運悪く吹き飛ばされた方向にあった大木にぶち当たり、の体は鞠のように跳ねて落ちる。
 死にこそしなかったものの、受身も取れずに地面に放り出されてしまった。
「……くっ……」
 世界がたわんで、立ち上がろうにも立ち上がれない。
 膝をがくがくと揺らしながらもがくの前に、信長が立ち塞がった。
 死ぬ。でも、これで終わりになる。
 痛い程の静寂とそれに伴う恐怖が、の体を縛り心安らかにした。
 がっ、と腕を取られ、引き摺られる。
 抗う術もなく引き摺られるを顧みることもなく、信長は背後に控えていた秀吉をちらりと見遣る。
「サル。この戦を始末せよ。誰も近寄せるでない」
「は……ははぁっ!」
 平伏せんばかりに頭を下げた秀吉は、に同情したような目を向けた。
 の目に理性が戻る。
「い……いや……嫌っ!」
 激痛を訴える体を制し、何とか信長の手から逃れようともがくも、微々たる物でしかない。『魔王』と呼ばれる信長を退けるには及ばなかった。
 投げ出され、体を擦り付けるように大地を滑ったの柔肌を、剥き出しの岩や木の根が傷付ける。逃げようともがく足が引き摺られ、持ち上げられ、その先に信長が哂っているのが見えた。
「嫌ぁっ!」
 世界が色を失い、名も知らぬ鳥は象徴のように飛び去っていった。

 信長が居住まいを正し立ち上がるのを、の目がぼんやりと映し出す。
 映しているだけだ。見てはいない。
「選べ」
 信長の声は虚ろに響き、には届かない。
「この信長に降るか、死か。好きにせよ」
 の唇が戦慄く。
「……殺して、やる……」
 掠れた、吐息のような声だった。
 信長の目に歓喜が沸き立つ。
 提示したどちらをも聞かず選ばず、信長の首にその牙を突き立てることをのみ欲するに、達してしまいそうな悦を感じていた。
「……ならば、良し。信長が首、討ちに参れ」
 勢い良く身を翻し立ち去るその背を、の目はただ映す。
 映して、刻み込む。
――あの背を鮮血に染める為、大地に屈服させ惨たらしい死を与える為、どうか私に剣を。
 父の存在も泣き喚く娘達の声も、一切が掻き消えた。
 迷いは既になく、は今、己が為にのみ一振りの剣を求める。

  終

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