馬岱が苦手だ。
 人のいい、爽やかな笑顔がイイと評判の男である。
 見た目も性格も派手派手しい(と言うと語弊はあるが)馬超の影で、地味ではあるが常に高い好感度を維持している人である。
 彼が苦手というだけで、男女の別なくいぶかしげな顔をされかねなかった。
 けれど、は馬岱が苦手だ。
 爽やか過ぎる。
 また、非の打ちどころがなさ過ぎる。
 これだけで嫌われるのではあまりに馬岱が哀れと取られかねないが、それらの性質を鑑みるに、どうにも『仮面を被っている』ようにしか思えなかったのだ。
 ふと気が付けば、誰に対しても親切な代わり、誰に対しても距離を取っている。
 嫌な顔を見せない代わり、特別親しい人が居るようにも思えない。
 馬超だけは別だが、それだからこそ馬岱は馬超の為に『善人』ぶっているようにしか見えなくなってしまっていた。
 さして害がある訳でもない、ただ何となく引っ掛かるものを感じる程度なのだが、は馬岱と親しくしたいとは思えなくなっていた。
 自然に距離を置くようになり、しかし部署の違いから、困ることもなくやり過ごしてきている。
 先日までは、だが。
 蜀でも腕っこき(あらゆる意味で)の張飛が理由は判然としないが家庭内で何やら揉めたとかで、TEAMでクリスマスパーティーを開くことになってしまったのだ。
 パーティーそのものが嫌なのではない。
 職場の面子は皆仲が良く、も親しくさせてもらっている。良く一緒に飲みに行く仲間も多く、独身有志中心とはいえほとんどの者が参加する楽しいパーティーになりそうだ。
 問題は、その準備役にと馬岱が指名されたということだった。
 しかも、張飛が最初に指名したのは馬岱のみであり、は馬岱に指名されての任命である。
 一人では嫌だという馬岱の主張は正当で、もう一人は女性でという主張も決して間違いではない。
 けれどは、その女性幹事に何故自分が指名されなければならないのか、理解できなかった。
 馬岱と親しい者(見掛けだけでも)は、他にごまんといる。
 何故自分なのか。
 理由は、馬岱の方からあっさり告白された。
殿、私が嫌いでしょう」
 例え本当のことであっても、なかなかこうは言えないものだ。
 人は、嫌われるという行為を厭う。
 然したるいざこざもない相手に嫌われて嬉しい、という人間はなかなか居ない。
「そんなこと、ないけど……」
 ないと言いつつ言葉尻を濁してしまう自らの不手際を、は胸の内で呪った。
 嫌いではないが苦手です、など、冗談でも言えたものではない。
 終業後、打ち合わせと称して訪れたコーヒーショップには、それなりの人が押し寄せている。
 年の瀬に入り、徐々に厳しくなってきた寒さから逃れようと、さっきから仕事を終えたらしいスーツ姿の人々が飛び込んで来ていた。
 彼らの目に自分達はどう映っているのだろう。ありきたりなカップルか、取引先の社員同士か。
 あるいは、そこに居ることもうっかり忘れ去ってしまいそうな、単なる風景として捉えられているのだろうか。
「目が泳いでますよ」
 的を射た指摘に、は視線を馬岱に戻さざるを得なくなった。
 無理やり固定した視界の中心で、馬岱は口の端を上げてにやりと笑っている。
「最初は、そうでもなかったでしょう? 私が何か不愉快なことをしてしまいましたか」
 気になっていたのだと言う馬岱に、は思わず顔を赤らめた。
 そこまでバレバレだったとは、まさか夢にも思わない。
「いや……何か、馬岱君て……」
 どう言ったらいいのだろう。
 何となく嫌なのだ。
「結構、モテるでしょ。その割に長続きしないし、それは個人の勝手だとは思うけど、何となく、どうも苦手で」
 『何となく』で嫌われたら堪らない。
 それが分かるから、はそれらしき理由を手繰り寄せて前後にこじ付け、体裁を整えた。
「長続きしないと言うか、続けてもらえないだけですよ。振られているのは、どちらかと言えば私の方です」
 え、とは目を丸くする。
 馬岱と付き合った女性達は、馬岱を悪く言わない。むしろ、悪いのは自分だと言っていて、まさか馬岱が振られているとは思わなかった。
 表情からそれと察したのか、馬岱は苦笑いを浮かべる。
殿はその手の話はお好きでないようですしね。詳細、聞いてないんでしょう」
 確かにその通りだ。
 あぁ、と小さく呟いたを、馬岱は静かに見詰める。
 数瞬の沈黙の後、馬岱はおもむろに口を開いた。
「……理由はその度違いますけど……そうですね、その度上手く振られるようにしてしまっている、というべきですかね」
 の目が再び丸くなる。
 時折慇懃無礼を地で行く馬岱であるが、こんな風に吐き捨てる様を見るのは初めてだ。
 驚いているを見てか、馬岱の表情は不意に柔らかく緩んだ。
「少し詳しくお話しさせていただきますとね。彼女達、それはもう厳しく束縛したがるのですよ。仕事より、友人より、家族より自分を優先して欲しい、して当たり前だという具合にね」
 そういうの、疲れるでしょう。だから、上手く別れてもらえるように画策する。こちらから無理に別れようとすれば揉める、揉めれば拗れて後腐れになる、だからある程度調整して画策するのだ。
 馬岱は笑っているが、その顔には『うんざり』の四文字が刻み込まれたような疲労感があった。
 だが、どれだけ馬岱が嫌な思いをしていようが、結局は自業自得なのではないだろうか。
 納得しかねているを見て、馬岱はうーん、と小さく唸ると、辺りをはばかるように見回してから、の耳元に囁きかけた。
「それに、私は淡白なものですから。正直、その気もないのにその気になるのは辛いんですよ」
 タンパク。
 一瞬意味を捉えかねて、は首を傾げる。
 蛋白質かと思ってしまったのだが、それでは馬岱が病気ということになってしまう。さすがにそうではあるまい。
「最近の女性は、なかなか大胆な方が多いようですね」
 続けられた言葉で、ようやく思い当たった。
 思わず赤面するに、馬岱は小さく笑う。
「……こんな話をすると、『誘われている』と受け止める方も居られましてね。そんな訳で、割と女性不信です」
 別れ方が上手い(言い方はおかしいが)から、悪評立てられることはない。
 馬岱は営業だから、そうした悪評が困ると言うのも分からないではない。
 けれど、別れてすぐ何処からともなく次の相手が現われて、嫌いではないからという理由でお付き合いをしてしまう、というのはどうなのだろう。
 それで駄目になり、また新しい人と……を繰り返しているらしいが、それではどちらが悪いか知れたものではない。
 どうにも不純ではないだろうか、と考えてしまう。
 嫌いではないから付き合うのではなく、好きになったから付き合うことにすればいい、とは考えてしまう。
 古いタイプと嘲笑われるのは分かっていたが、馬岱の遣り様はいい加減過ぎる。
「最近は、そういうお付き合いは控えてますよ?」
 先回りする馬岱の聡さが、あざとさに感じられて仕方がない。
 むっつり黙り込むに、馬岱は遠慮なくくすくすと笑っていた。
「だって、しょうがないでしょう? 好きな人が居ないなら付き合ってくれてもいいでしょって言われたら、言い返しようがないんですよ。下手に正論なだけにね」
 正論だろうか。
 馬岱に関しては、疑問だらけだ。
「……馬岱君て、良く分からないね」
 の予想通り、馬岱は仮面を被っていた。
 元よりそうだろうなと想像していたせいか、然したるショックはないものの、わざわざこんな話をしてくれなくてもいいのに、という不快感めいたものを感じる。
 同じ女として、馬岱にむげに思われている女性達に同情する……ということも実はなく、何故こんなに居心地の悪い思いをしているのか、自身にも良く分からなかった。
「興味、ありますか?」
「え」
 馬岱を振り返れば、妙ににこにこと笑っている。
 何の話かと冷汗が出た。
「私は、興味ありますよ」
「え」
 馬岱は意味ありげにの目の奥を覗き込んでくる。
 伏せて逸らしても、肌で感じるような強い視線だった。
「私のことを敬遠する方、というのが珍しくて。一体どういう人なんだろうと考えていたら、目で追うようになって。第六感が鋭いのかとも思ったんですけど、その割には私が見ていることに全然気が付かないな、とか、分からなくって段々気になるようになって……だから、折角の機会ということで、思い切って貴女を指名してみました」
 何だかとんでもないことを話されているような気がする。
 目に見えない網に絡まって身動き取れなくなるような、そんな不安でいっぱいになる。
「……クリスマスの打ち合わせでしょ、クリスマスの打ち合わせしようよ」
 話題を切り換えようと、はばさばさと音を立ててレポート用紙を広げた。
 馬岱もおとなしくに同意して、ボールペンをくるりと回す。
「だからクリスマスは、自分が好きになった人と一緒に過ごそうと思ったんですよ」
 が黙り込み、馬岱も黙った。
 しばしの沈黙の後、は眉間に皺を寄せて馬岱を睨め付ける。
「……クリスマスの打ち合わせって言ってるでしょ」
「クリスマスの話でしょう?」
 まったく動じない馬岱をじと目で見ていたの顔が、一瞬で紅に染まった。
「ワケ分かんないよ、馬岱君」
 顔を隠すように、また冷ますように広げた手のひらで覆うを、馬岱は微笑みながら見詰める。
「興味、出ましたか?」
 答えないに、馬岱はねぇねぇと妙にしつこく食い下がっている。
 興味がなかったら、最初から馬岱が仮面を被っていることに気が付いてなんかないだろう。
 分かりそうなものだが、そしてきっと分かっているのだろうが、にこやかに答えを促す馬岱をどうしていいか分からず、はひたすら困惑していた。

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