携帯の着信音が虚空に響いた。
「あ、ごめ」
 腕を伸ばそうとするのを、馬岱は何気無く引き戻した。
 が携帯を切ることはまずない。
 例え事の最中であっても、その習性は変わることがなかった。
 仕事用とプライベート用と、二つある携帯を常に持ち歩いているは、しかしそのどちらの電源も決して切ろうとはしない。
 曰く、プライベート用であっても仕事関連の情報が入ることが多々あって、切るに切れないし居留守を使うことも許されないらしい。
 プライベートにわざわざ仕事関連の連絡を寄越すということは、相手がに対して信頼または好意を抱いてくれているからであって、そうしたものをむげにすることは今までの友好な関係をむげにするのも同じと言うのである。
 事情は納得している。
 ならば、それを敢えて引き戻す馬岱の『事情』も察して欲しいところではあった。
 は馬岱の腕を押し遣ると、それを支え代わりにして携帯を掴む。
 馬岱の方も、邪魔したのは一瞬のことで、すぐさま携帯に出るのを邪魔したとは微塵も感じさせないような取り澄ました顔に戻った。
「……あー、いいや」
 ディスプレイに映った名前なり番号なりを見た途端、は携帯を枕元に置いた。
「鳴ってますよ」
 一度は切れた携帯は、間を置かず再び鳴り響き始める。
 出たら、と薦める馬岱の肉は、しかしを串刺しにしたままだ。
「後で掛け直すから」
 腰を揺すって続きを促すに、馬岱は無言で覆い被さった。
「……また鳴ってますけど」
「うん」
 目を閉じ、唇を半開きにしたの表情は何処か追い詰められているようにも見える。
 馬岱は腰を揺らめかしながら、の手に握り締められた携帯を盗み見た。
 先程と同じ表示がそこに映っている。
「切ろうか」
 いつの間にか目を開けていたが、馬岱の顔を見上げていた。
「切らなくてもいいですけど」
 気になるのは確かだ。
 は起き上がり、自ら馬岱の肉を抜き取った。
 萎えたのか、常の硬度は保てていない。
 それを見遣りながら、少し逡巡してマナーモードに切り替える。
 床に置かれたクッションを引き寄せると、その上に携帯を置いた。
「ん?」
「……いえ、いい眺めだったもので」
 ベッドの端から身を乗り出したの尻を掴み、馬岱は再び挿入を試みる。
「ん……」
 緩々と緩慢に侵入してくる猛々しい肉槍に、馬岱の言う『いい眺め』の度合いが知れる。
 上半身を乗り出した不安定な体勢は、馬岱が手で支えていて尚、の下半身の緊張を誘う。
「……きつ」
 飲み込もうとしない膣壁に焦れたか、馬岱はの体を軽く揺さ振った。
 剥き出しの乳房がぶるっと揺れ、振動がと馬岱の両方を責める。
「動いて」
 の要望に応え、馬岱は腰を振る。
 激しく深い挿入に、はベッドの枠に手を掛け落ち掛ける体を制した。
 クッションの上では、携帯が細かに震えている。
 目を閉ざしても、微かなバイブレーション音とチカチカ光る緑色のランプが存在をアピールして止まなかった。

 がシャワーを浴びて出てくると、先に出た馬岱は既に服を着込んでいた。
「どっか行くの」
「貴女も行くんですよ」
 早く着替えて下さいと言われても、は外に出かける気にはなれなかった。年末ぎりぎりまで職場に立て篭もっていたから、休みの間は寝倒したかったのだ。
 今年は暦の都合上、年末年始の休みが長い。
 にも関わらず、上司たる董卓や袁紹達は残務を放置して普通に休みに突入してしまったものだから、年始に大惨事になることは目に見えていた。
 やむなく他有志の者が自主的に会社に出てきて、残務と休み明けの業務の備えに奔走していたのである。
 いい加減に疲れていた。
「初詣ぐらい行っても罰は当たりませんよ」
「仕事始めの日にどうせ行くもの」
「アレは会社の連中とでしょう。お参りではなく酒飲みに行くだけじゃないですか」
 同じ会社だけあって、馬岱にはお見通しのようだ。
 昨年など、神社に行くのも面倒だと言い出して途中で呑み屋に入ってしまった。お使い代わりに破魔矢を買いに行かされた者はまだしも、以下女性社員は全員ホステス紛いの接待を要求され、かなり憤慨したものだ。
 例年に倣って除夜の鐘を聞きながら家路を辿る途中、馬岱に拾われてそのまま馬岱のマンションで正月を過ごしている。
 当然着替えがないから、は馬岱同伴で一度自分のマンションに戻った。
 が、馬岱はが正月支度を何も済ませていないと見るや、を連れてまた馬岱のマンションへとUターンしたのだった。
 馬岱もも実家に戻る予定はなく、ならばうちに居たらいいと言うのが馬岱の主張だ。お節も雑煮も揃っていて、仕度もすべて馬岱が用意してくれる。
 至れり尽くせりの歓待に、お陰でが今日まで外に出ることはほとんどなかった。
「んー……」
 三が日も既に過ぎた。
 ならば、少しは空いているかもしれない。
 結局、はお世話してくれる馬岱の顔を立て、申し出に乗ることにした。

 三が日を過ぎても、人の賑わいはほぼ変わらなかった。
 もっとも、三が日の賑わいを目で見た訳ではないから、ひょっとしたらこれを遥かに上回る賑わいだったのかもしれない。
 屋台も並ぶような広い境内に、破魔矢や厄除けの札、縁日で買い込んだと思しき焼きそばやフランクフルトを手にした人々が行き交っている。
 行列の出来た石段を昇りきると、そこが本殿だ。
 賽銭箱に五円玉を投げ入れ、二礼二拍手して願い事を思い浮かべる。
 ぽっと沸いて出た顔に、は瞑っていた目を開いて眉を顰めた。
「どうかしましたか」
 早々に願い事を済ませたらしい馬岱に見られ、は投げ遣りに頭を振る。
 いい加減、自分もしつこい性質だと思った。
「おみくじでも引いていきましょうか。ここのは当たるって話なんですよ」
 否応なく連れて行かれる。
 おみくじは本殿の脇にあった。金属製の缶の中に納められた棒を振り出し、書いてある数字と同じ番号の引き出しから結果の記された用紙を取り出すという、至ってシンプルなものだ。
「こんなの、結局確率の問題でしょ」
「確率がどうあれ、さんが引いた数字の結果がすべてな訳でしょう」
 高確率で1が出るとして、ではいざ引いた時に1が出るかどうかは定かでない。それも、高確率で出るということさえ確かではないのだ。
 問題は確率ではなく、自身が引いた数字が幾つになるかだ。
 馬岱の主張は正しかろうが、は占いの類は好きではない。どうとでも取りようがあるからだ。
 悪いことが起きてもいいことが起きても『やっぱり、占いでそう出てた』で済んでしまうのであれば、傾向と対策もへったくれもない。
 占いの結果と次回に備えて分析しておこうというアグレッシブさは肩を並べない。自分のせいにすることもなく、簡単に占いのせいで済んでしまいがちなのがには気に入らないのだ。
「だから、それはさんの周りの人間がおかしいんですって。普通、占いは占いであって、それ以上でもそれ以下でもないんですから」
 馬岱の周りには、占いで出ていた等と言う人間は皆無だった。
 まだ年若い星彩でさえ、占いにその日の気分を左右されるのは馬鹿馬鹿しいことだと言い切っているそうだ。
「馬鹿馬鹿しいって言うなら、やらなきゃいいじゃない」
「ですから、ね、占いは占いなんですよ。結果の内容ではなくて、出た結果に対して自分を振り返ることが重要なんですって」
 己を顧みることは普段の生活でもあまりない。
 おみくじを引くことで、自分が考えてこなかったことを改めて考えるというのが本来の趣旨だろうと馬岱は力説した。
「でなかったら、別に薀蓄書いておく必要なんかないでしょう。大吉なら大吉、大凶なら大凶って、それだけ書いておけばいい訳ですから」
「……あー、成る程ね」
 同じ大吉でも、数字が変わればそこに記された薀蓄の内容は変わる。結果のみを重視するなら、確かに薀蓄を記す必要も番号ごとに内容を変える必要もない。
 より詳細にすることで現実味を増し、信心を煽ろうという手立てに取れなくもなかったが、あまりに疑り深いのもどうだという気がする。
 ともかくも順番が回ってきて、もくじを引いてみた。
「八番」
 末広がりだなと思いつつ、それもまた勝手な思い込みに過ぎないことに気が付く。
 要は気の持ちようで、捉え方次第なのだと思いながら木で出来た引き出しを開けた。
 目に飛び込む『凶』の文字に、は一瞬怯んでいた。
「……おや、珍しい」
 覗きこんだ馬岱の声に、は次の人間に場所を譲りつつも唇を尖らせた。
 早速結んでしまおうとするのを、ひょいと伸びてきた馬岱の手が奪ってしまう。
「内容は悪くないですよ」
 結果だけ見るなと言われたばかりだっただけに、は妙に恥ずかしくなってしまった。
 馬岱は気付かぬように、ほら、とにおみくじを見せる。
 待ち人来る、の文字が目に飛び込んできた。
?」
 偶然だと思う。
 けれど、偶然の一言で済ませるにはあまりにも謀ったようなタイミング過ぎた。
 振り返らずとも声だけで分かる、何かに付け思い出しては虚ろな気分にさせられる能天気な男がそこに居る。
 声も出ず、ただ身を強張らせて立ち尽くすの肩が強い力で引き寄せられた。
さん、TEAM呉の孫策常務ですよ」
 ほら、と無理矢理体の向きを変えられる。
 ぐるりと回った視界の中に孫策の姿がぽっと現れ、固定された。
 相変わらず間の抜けた、底なしに明るい笑顔だった。
「どうしたんだよ、お前が初詣なんて珍しいな」
 が孫策と付き合っていた頃、初詣に出掛けることはまずなかった。
 大概年末まで休み返上で働いて疲れていたし、人ごみはうざったいし、初詣と言う行為に意義を見出せなかったからだ。
 今日出てきたのは、単に馬岱に付き合ってのことだった。
さん、甘酒飲むでしょう」
 呆然としていたの耳元に、馬岱が何の気なしに話し掛けてくる。
「あ、うん」
 釣られるように頷いたに、馬岱は微笑みながら近場にある甘酒の出店へと歩き出す。
 一緒に着いて行こうとしただったが、その前を猫のように横切る人影が立ち塞がった。
「私が」
 孫策が連れて来たらしい大喬だった。
 あるいは、大喬が孫策を連れて来たのかもしれない。
 取り残された二人は、視線を向き合わせることもなく屋台に向かう互いの連れを見詰める。
「お前、甘酒なんて好きだったっけか」
 ぽつりと漏らされた孫策の言葉は、まるで一人言のようだった。
「……好きだよ」
 どう答えていいか、どう話していいのか逡巡して結局昔のままのタメ口に落ち着いた。
 甘酒は好物の一つだった。
 水を加えて温めればいいという手軽さも手伝って、も一人の時は家でよく飲んでいた。
 屋台となると、正月の初詣ぐらいでしか見かけないものだから、孫策の前で飲んだことはたぶんなかったろう。
 馬岱の前でもなかった筈だが、どうして知っていたのだろう。
 疑問は考え込む暇もなく、孫策の次の言葉で遮られてしまった。
「あいつ」
 が孫策の方を振り返ると、孫策はこれまで見たこともないような渋い顔をしていた。
「あいつと今、付き合ってんのか」
 誰のことかと一瞬考えたが、孫策の視線を辿りその『あいつ』が馬岱のことだとようやく理解した。
「……うん」
 奇妙な間を空けて頷いたが、は我がことながら今の間はないなと反省した。
「うん、付き合ってる」
 言い直してみたものの、実感を伴わない言葉はまったくもって胡散臭くて、を辟易とさせた。
「そうか」
 孫策の返事はすぐに返ってきた。とは、目を合わす気配もない。
「……そうか」
 わずかな間を挟んで繰り返された言葉は、何か異なる意味を含んでいるようにも感じられた。
 だが、は敢えて聞き返すこともなく、そのまま口を噤んだ。
 孫策もそれ以上は何も問うてこなかった。
 二人並んで、立ち尽くしている。
 ああ、遠いな。
 そう思った。
「ただいま」
 声は唐突に、真上から落ちてきた。
 見上げた先に馬岱の笑みがあり、優しく見詰める目があった。
「……では、常務。私達はこれで」
 の手に甘酒の入った紙コップを握らせると、馬岱はの肩を抱いて歩き出す。
「あぁ」
 小さな、掠れた遠い声がの耳にも届く。
 だが、それだけだった。
 それきりと孫策の距離は遠く離れた。一瞬と言っていい、刹那の再会だった。
 しばらくして、孫策の影も形も見えなくなった頃、馬岱はの前に回りこみ寒さで冷たく凍えた頬を温かな手で包んだ。
「泣く程、好きですか。まだ」
 馬岱の手のひらに、風にさらされ冷え切った頬と、濡れた感触があった。
 水気の原因は、の目から後から後から溢れてくる。温かいはずのそれは、すぐさま冷たく凍えていくのだ。
「……あんたは?」
「……はい?」
 は両手で包み込むように持った甘酒のカップを馬岱に差し出した。
「私は」
 馬岱は少しばかり苦笑を漏らした。
「俺は、のを一口もらうから」
 の涙を唇で拭う馬岱に、何も知らない参拝客がじろじろと不躾に視線をぶつけていく。
 馬岱は、それでも甘い労わりを止めようとはしなかった。
 はただじっとして、馬岱のしたいようにさせていた。

  

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