触れるだけのキスに、凌統は異常なくらい体を強張らせていた。
 まるきり、ファーストキスを体験する女の子のような有様だ。
 男相手は初めてだろうから、一応『初めてのキス』にはなるのだろうか。
 別にそんな戯事を本気にした訳じゃなかったが、凌統を傷付けないよう細心の注意を払って唇を合わせ、そっと離した。
 途端、凌統の顔が不服げに歪む。
 それを見て、俺は、凌統は意外に『慣れ』ているんだと気が付いた。
 男には全然慣れてないんだろうが、たぶん、女の子には俺の想像以上に慣れている。
 だからこその戸惑いで、不安だったのだと思う。
 俺は自分の椅子に戻り、確かめるように口元を撫で回している凌統を見守った。
「……どうだった?」
 俺の問い掛けに、凌統はやや赤面して動揺を示したが、後は元のシニカルな冷静さを取り戻して居住まいを正す。
「うん……、割と、普通だったかな」
「そっか。まぁ、こればっかしは男も女も同じだもんな」
 やや下品な物言いも、今の凌統には届かないようだ。
 しきりに口元を撫で回し、何事か確かめているらしい。
 ただ、眉を顰めたりの口をひん曲げたりのはしてないから、嫌だったという訳ではないのだろう。
 生理的嫌悪がないと言うのであれば、凌統にはそれなり『素質』がありそうだ。
 本当のノンケなら、触れた瞬間に悪寒と鳥肌で吐き気くらいは催すんじゃなかろうか。
 もっとも、俺はノンケでないし、ノンケとして同性からキスされたこともない訳だから、確とは言えなかったが。
 凌統も似たようなことを考えていたらしく、口元を撫で回していた手を下ろした後は、ある意味開き直ったようなさっぱりした顔をしていた。
「……なぁ」
「ん?」
 凌統が言い出し難そうに口篭もる。
 俺はしばし『ホモとノンケのキスに対する反応の差』という愚にも付かない題目で考え込んでいたもので、凌統の言わんとするところがよく分からないで居た。
 その俺の視界が一変する。
 俺が呆けた一瞬の隙に、凌統は座った俺に覆い被さるようにして間を詰めていたのだ。
 椅子の背もたれに腕を掛けられ、逃げられないようにさりげなく閉じ込められる。
 上手いなぁ。
 女の子が好きな男にやられたら、堪らないシチュエーションではあろう。
 だが、俺は勿論女の子じゃないし、凌統が好きな訳でもなかったので、ちっともときめかない。
 いっそ不審だ。
「……もう一回、試してみてもいいかい?」
「何を」
 試すというならもう試したろう。
 男相手でも嫌ではないか、という確認なら、もう済んでいる。
 これ以上は、『確認』の為の『試し』ではない。
 試しは試しでも、『腕試し』の方の『試し』だ。
 つまり、凌統のテクニックが、女のみならず男(俺)に通じるかどうか試してみたいと、そういうことなのだ。
「ヤだよ」
 自分から『何を』と訊ねておいてなんだが、俺は以上の思考をコンマ三秒でまとめると、即座に拒絶した。
 凌統が俺の顎を捉える。
 同時に、凌統の口が俺の口に重なった。
 嫌がって見せる暇もない。冗談抜きで慣れている。
 俺が本気で嫌がってないのを覚ったか、凌統は舌を忍ばせてきた。
 噛まれるのを恐れてか、歯の表面や歯茎を撫で回すようにくすぐっている。
 焦らすような絶妙の力加減は、生半かな相手では堪え切れまい。馬超なんかが相手だったら、もう陥落しているんじゃないだろうか(もっとも、馬超の腕っ節ならここまで持ち込ませもしまいが)。
 生憎俺は、少々性根のひん曲がったホスト上がりだったもんで、凌統のテクに耐えるだけの経験は積んでいる。
 好きなようにさせて反応しなければ、凌統も飽きるだろうと思って、かなり気楽に構えていた。
 が、凌統は俺の思惑の遙か斜め上を堂々まかり通った。
「!?」
 股間をまさぐられる感触に、俺はぎょっとして閉じていた目を開けた。
 凌統が目を開けているのが間近に見えて、更にぎょっとする。
 冷たく醒めた目は、俺の反応を従容として分析している。
 恥辱というのはこういうことを言うのだろう。
 俺はカッとして、衝動のままに凌統を突き飛ばそうとした。
 けれど、やはり凌統の方が一枚上手だった。
 足を俺の膝の上に乗り上げ、背もたれに掴まることで俺の反撃を封じる。
 振り上げた手は即座に囚われ、いなされた。
 ヤバイ、と背筋が寒くなる。
 凌統は、洒落にならないくらい慣れていた。
 それこそ、『嫌がる相手を上手に籠絡する方法』にすら精通しているようだ。
 俺が『男と女の差は意外とない』等と余計な知識を与えてしまった為に、凌統は実に気楽に、落ち着いて事を進めていた。
 俺の股間を丹念にまさぐる凌統の指に、嫌が応にも煽られる。
 口はともかく、これを平気で触って来るってことは、凌統は完全に理解して、その上で俺にちょっかい出しているのだろう。
 戸惑いがなくなった凌統は、恐ろしい程冷酷だった。
 感情を爆発させてのことでない分、押し留めるのも難しい。
 口を合わせるよりも純粋に刺激の強い行為に耐えるのは、かなり骨が要った。
 同性であるが故のきめ細やかな愛撫は、男を相手にしたことが一度もないとは信じられないぐらいに、躊躇いも容赦もない。
 次第次第に追い詰められて、抗いきれなくなった自分のものが、固くなっていくのが分かる。
 この際、数学の方程式も難解な法令の構文も、何の役にも立たないったらない。
「……凌統!」
 最後通牒として名を叫んだにも関わらず、凌統は皮肉な笑みを口の端に浮かべて俺を見下す。
「どう? 気持ちいい? イけそう?」
「ふざけんな」
 今なら許してやろう、と思っていた気持ちが、一気に引いた。
 本気で拳を固めて殴り掛かろうとしたのを、逆にかわされ引き寄せられて、勢い良くソファに投げ落とされる。
「駄目だな、あんた。キスはまあまあ上手いけど、喧嘩の方はまるっきりだね」
 くつくつ笑う凌統の顔からは、先程までの恥ずかしそうな純真な色が完全に消えていた。
 今の凌統は、捕らえた獲物を如何にして痛ぶるかを舐めずりして考え込む猫、そのものだった。
 あるいは、実験結果を求めて、ケージからマウスを掴み出す学者の顔か。
 何にせよ、俺が人間扱いされていないことは間違いない。
 この想像は、直後凌統の口から事実として証される。
「後で金払えばいいだろ?」
 マジ切れしそうになった。
 そんな上から妄言吐き捨てられなければならない覚えは、まったくない。
 俺の体が大きくしなり、凌統を振り落としに掛かる。
 後少しで成功しそうだったのに、凌統は相当運動神経が良かったらしく、寸でのところで踏み留まられた。
「……っ、危ない危ない。ってーか、何怒ってんだよ。あんた、ホストなんだろ?」
「現役続行させてるつもりはないね」
 吐き捨てた俺に、凌統は訝しげに眉を顰める。
「……怒ってんのか?」
 当たり前だ。
 元だろうが現役だろうが、ホストだってだけで強姦されちゃ堪らない。
 怒り心頭のあまり言葉にならない俺は、ひたすら凌統を睨み付けるしか出来なかった。
 確かに俺は軽い、気が向けば尻を貸すような下種かもしれないが、それでもこんな目に遭わされる理由にはならないだろう。
 俺はいつだって、俺の意志でシャツを脱ぎ、ジッパーを下ろす。
 相手が誰であれ、それは変わらない。
 凌統の手から、力が抜けた。
 と、体がいきなり軽くなる。
 俺を戒めていた筈の凌統の体は、床の上に吹っ飛んでいた。
「下種」
 俺のことを言ってるのかと振り仰ぐと、いつの間に入って来たのか、趙雲が立っていた。
 目が合うと、心底情けなさそうに眉尻を下げる。
「……貴方もいったい、何をしているのか」
 何って、何だろう。
 俺は、寸前まで爆発しそうだった感情を見失い、素に戻って凌統を見遣った。
 凌統は、如何にも痛そうに頬を押さえながら、のたくたと起き上がっていたところだった。
 趙雲も凌統に目を向け、俺と凌統の間に立ち塞がる。
「下種」
 再度吐き捨てられた言葉に、俺は趙雲を見る。
 趙雲は呆れたように俺に視線を向け、『のことじゃないですよ』とだけ呟いた。
 俺も俺のことではなかろうとは思うのだが、何となく反応してしまうのだ。
 表情から察したものか、趙雲の溜息はとかく深い。
 気を取り直して、趙雲が凌統に向き直る。
 こちらがショートコントを展開する間に立ち直ったか、凌統は既に立ち上がっていて、俺と趙雲の顔を見比べている。
「……あんた、何人男がいるんだっての」
 痛みが引かないのか、顔をひん曲げてぼそぼそ話す凌統に、俺は答えることが出来ない。
 正直、ここで答えたらそれこそ馬鹿だろう。
「出て行け」
 趙雲の声には、凄絶な怒りが込められている。
 俺に向けられた言葉ではないと分かっていても、肝が冷えそうな凄みがあった。
 凌統は、自分のコートを手に取ると、ばつ悪そうに頭を下げ、小声で俺に囁いた。
 聞いていたのかいないのか、趙雲はさっきと同じ言葉をまんま繰り返す。
 凌統が出て行ってから、ドアが閉まる音がした。
 趙雲は、その音がしてからきっかり五秒後、鍵を掛けに向かう。
 当たり前だが趙雲一人で戻ってきて、しかし凌統と同じように俺に跨った。
、今のは誰です」
「えっと……凌統って言って、TEAM呉の……」
 話途中の俺の口を、趙雲が勢い良く塞ぐ。
 解放されても目の前から離れずに居る趙雲の笑みが、物凄くおっかない。
「……そんなことを訊いているのではないと、分かっているでしょう」
「つったって、俺……」
 また塞がれた。
 顎を掴まれて、半ば無理矢理開けられた口の中に、趙雲の舌が勢い良く突っ込まれて、滅茶苦茶に引っ掻き回す。
 その後、趙雲の指が俺のあそこに触ってきた。
 顰めても整った顔が、ずいっと押し出されてくる。
「……あの男にも、こんなだったんですか」
 素直に首を横に振ると、趙雲はひどく疑わしげな顔をして考え込み、けれど眉間の皺を解いて俺に軽くキスを落とした。
「信じてあげますよ」
 上から目線もいいところだ。
「信じてくれたんなら、退いてくれよ」
 重い。
 後、少し困っている。
 趙雲はくすりと小さく笑みを零し、俺を困らせている原因を擦り付けて寄越した。
「それとこれとは、別でしょう」
 同性の、本来なら異性の中に納めるべき部分を布越しに擦り合っている。
 そんなことでこんなに興奮するのが、不思議と言えば不思議だった。
 本当は、女の子に対してだけ、こうなるんだろうに。
 俺は、スーツのしなやかな生地を持ち上げる趙雲の膨らみをまじまじと見詰めた。
「……何ですか」
 趙雲の機嫌が再び傾いでいく。
 俺は宥める代わりにキスをして、趙雲のあそこに手を伸ばした。
「趙雲、女の子にもちゃんとこうなるのか?」
「何です、……いきなり」
 趙雲は荒い息を弾ませながら、詰るように俺の髪を掻き乱した。
「なる?」
 しつこい俺に根負けしたか、それとも解放の欲が勝ったのか、趙雲は面倒そうに吐き捨てる。
「なりませんね……最近は。貴方を思い出しては、抜いてますから」
「ふぅん」
 おざなりに流した俺に、趙雲の眉間に皺が戻る。
「ふぅん、て、それだけですか、
 それ以上、何を言えと言うんだ。初な女の子よろしく、顔を赤らめたらいいとでも言うのか。
 冗談だろうと密かに考えていたつもりが、趙雲には丸分かりだったらしい。
 いきなり俺のスーツ下に手を掛けてきて、あっと言う間にボタンとジッパーを外されてしまった。
「ちょ、おい」
 さすがに慌て出した俺に、趙雲はさもおかしげに笑う。
 趙雲は、こういうちょっとした意地悪で、俺に対する鬱憤を晴らしているようなところがあった。
 から、俺もあんまり強く言ってやれない。
 俺が趙雲にしていることも、大概酷いという自覚はあるのだ。
「馬超が……」
 濡れ場の最中なんか見られた日には、またぞろ血を見る乱闘騒ぎになりそうだ。
「大丈夫ですよ、帰ってくるのは相当遅くなりますから」
 何でそんなことが断言できる。
 趙雲を見遣ると、芝居掛かった仕草で肩をすくめる。
「張飛部長に捕まって、姜維も一緒に呑みに行ったようですから」
「……あー」
 美波さん絡みで、張飛部長と姜維主任はそこそこ仲が良いらしい。
 特に、姜維主任が美波さん絡みで凹んだりすると、張飛部長は張り切って呑みに連れ出しているようだ。
 世話好きな美波さんと、張飛部長の娘さんだという星彩も意外に(というのは何だが)仲が良いと言うから、そういう関連もあるのかもしれない。
「……じゃあ、しばらく帰ってこないかもなぁ」
 俺の一人言に趙雲はにっこり笑って頷く。
 こいつは、きっと上手く逃げ出して来たのだ。馬超一人に上手く押し付け、鬼の居ぬ間にとばかり俺のとこに来たのだろう。
 何だ、元からヤるつもりだったんじゃないか。
 俺は、何だか物凄く馬鹿馬鹿しくなった。
 助けてもらって少しは感謝してたのが、すっかり消えてなくなってしまう。
 下着を潜って直接触れてくる指に、俺は熱い息を吐き出した。
「風呂。せめて、シャワー」
 踵で趙雲の脇腹を小突くのだが、趙雲は手に力を込めただけだった。
「スーツの替えくらい、あるでしょう?」
 このまま、をご所望らしい。
 いい趣味だなぁと思いながら、趙雲が手を動かしやすいように足を広げる。
 趙雲の目に、ねっとりとした欲望が滲んでいた。
 下着ごと腿の半ばまでズボンを引き下ろされ、完全に露呈したそこを弄り回される。
「ん、ん……そ、こ……」
 強請ると、趙雲の指が素直に応じる。
 シャツをたくし上げられ、薄く腹筋の浮いた腹を余すところなく曝け出した。
「出して、いいですよ……ここに」
 剥き出しの腹を冷たい手で撫でられ、鳥肌が浮く。
 それが刺激になって、一気に吐き出した。
――ごめん。
 耳に残る凌統の囁きが、何故かいきなり蘇る。
 罪悪感に駆られたような、打ちのめされた声だった。
 体の最奥が引き攣れて出ていくものが、何だか凌統を穢してしまったような気がして、酷くうんざりした。

 

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