男は、俺達の様子を訝しんでいるようだった。
 それもそうだろう、こんな広い部屋に居て、これまた大きなソファに膝を突き合わせそうな距離で腰掛けているのだ。
 男のきょとんとした顔から言って、おかしいとは感じていても、何がおかしいのかまでは良く分かってないらしい。
 俺は、男の無垢さにどう対応すべきか悩んでいた。
 奇妙な緊張感が生まれ、場を支配する。
 結局、真っ先に動いたのは凌統だった。
 すくっと立ち上がり、一直線に男の方へと歩いていく。
 そして、男の手前二メートル弱のところで止まった。
 ちょうど、俺と男の間くらいの位置だ。
「何、勝手に上がって来てんだっての」
 凌統の口調には怒りが滲んでいる。
「何って、お前ぇ、いつも……」
「いつも?」
 男の言葉が凌統の神経に障ったのか、凌統の口調はますます荒れていった。
「いつもって、何だよ。俺がいつ、あんたを家ん中に招き入れた。あんた、他の奴に紛れてぬけぬけと入り込んでくるだけじゃないか。良く、その面下げてウチの敷居跨げるな」
 鋭い舌鋒に、男の顔も不服げに歪む。
 他人事ながら、否、他人事だからこそ凄まじく息苦しい。
 何だって俺はこんなとこに居合わせているのか、不思議にさえなってしまう。
 ぴりぴりした空気が凌統と男の間から生成され、俺の肌に鳥肌を立てる。
 正に一触即発だと思った瞬間、凌統の肩から力が抜けた。
 拍子抜けした。
 男も多分そうなのだろう、下唇が下がってややだらしない顔付きになっている。
「……やめた。あんたと揉めてる暇はないんだよ」
 凌統が、俺にちらりと視線を送ってくる。
 何を言おうとしているのかまでは分からなかったが、異様に嫌な予感がした。
「……俺、今、ようやく念願叶いそうなとこだからさ。悪いけど、マジで帰ってくんないか」
「念願……?」
 凌統の視線を追うように、男が俺に視線を投げる。
 あぁ、やっぱり。
 予感が的中した。
「鈍いな。アレが女だったらって言えば、さすがに分かるんじゃないの」
 凌統の指が、ひょいと俺を指す。
「……はぁ?」
 如何にもそういう世界とは縁遠そうな男が、凌統の言っていることを何とか理解しようとしてか、くるくる視線を走らせる。
 針の筵のような心持ちになって、俺は思わず肩をすくめた。
「……お前ぇ、何言って……」
「ずっと、好きだったんだよ」
 男の言葉を、凌統は鋭く遮る。
 凌統の気迫に押されて、男は黙り込んだ。
「ずっと、ずっと好きだったんだ。ホントに、本気で、なっさけないくらいに、泣きたいぐらい好きだったんだ」
 だから、と凌統は床に目線を落とした。
「……帰ってくれよ……邪魔、しないでくれ。どう思おうとあんたの勝手だ。だけど、今は帰ってくれ」
 頼むから、という末尾の言葉は、ほとんど聞き取れないくらい小さかった。
 男は、何か言おうとして、言えなくて、もう一度言おうとして、とうとう口を噤む。
 俺を睨むように一瞥すると、踵を返して出て行った。
 階段を急ぎ足で駆け下りていく音が響き、重い音ともに玄関のドアが閉まる。
 凌統は、黙ったまま立ち尽くしていた。
 ぽた、と小さな音がして、凌統が目元を拭っているのが分かる。
 どうしていいか分からない。
「……鍵、掛け忘れてたな」
 勢い、どうでもいいことを口走る。
 凌統は黙ったままだ。
 沈黙の重さに耐えかねる。
 けれど、何を言っていいか分からない。
 何を言うのも、慮られる。
 口の中がむずがゆくなって、下唇を無闇に甘噛みする。
 凌統がこちらを向いた。
 薄く笑ってはいるが、その目は真っ赤だ。
「……何、黙ってんだっての」
 それでも、俺には何も言えなかった。
 凌統がゆっくり近付いてくる。
「分かってんだろ? 分かったんだろ? 俺の、好きな奴」
 容赦がない。
 俺の逃げ場を確実に潰し、絶対に逃げられないように追い立てている。
 例え俺が口を開こうとも、その口上を足掛かりに更に俺を追い詰めるつもりだろう。
 逃がすつもりがないのは、俺を逃がせば凌統が追い詰められるからだ。
 誰にも打ち明けられず、愚痴一つ吐き出せぬまま、平静を装って想い人と面を突き合わせる日々は、地獄そのものと言って差し支えなかったろう。
 だから、凌統は俺を逃がせない。
 そして、俺がそう見切っていることも、凌統には恐らく筒抜けなのだ。
 クソ意地悪い顔が、俺の間近でにこやかに微笑んでいる。
 来い、と誘うように薄く唇が開き、ちらりと赤い舌が覗く。グロスを塗りたくったような艶やかな色が、毒々しくて目に痛い。
「しろよ」
 凌統が、冷徹に命じる。
「……してくれよ」
 切なげに請う。
 目の奥がしょっぱくなるような衝動を堪えて、俺は凌統の実に三センチ手前の距離で喚いた。
「お前、俺がお前の言うこと絶対聞くと思ってやってんだろ!」
 凌統の目が丸く歪む。
 今更何だ、とあざ笑う目だ。
 確かに、ホントに今更だったし、何の意味もない、子供が悔し紛れに駄々をこねるのと変わらないような真似をした。
 でも、そうやってせめて『お前の企んでいることは、俺にも読めてるんだ』と証してみせなければ、俺の方が煮詰まって爆発してしまいそうだったのだ。
 俺は、全てを見越した上で尚冷徹には振る舞えないし、上手く誤魔化して流せもしない。ましてや、本気で何も理解できずにきょとんとしていられる訳がないのだ。
 俺は、唇を尖らせるようにして、ちょんと凌統の口をつついた。
 凌統の目が一瞬驚きに見開かれ、次いでにやりと不敵に笑う。
 慣れてんだか慣れてないんだか、せめてそこんとこだけでもはっきりしたらいい。
 俺は凌統の頭に腕を回し、舌を差し出してその唇を割る。
 唐突な侵入に、凌統の体が強張った。
 構わず舌で咥内を愛撫していると、凌統の舌がおずおずしながら差し出される。
 吸ったり絡めたりしながら、俺は凌統を引き寄せ、ソファに導いた。
 俺が上になる形になって、凌統が怯えたように俺を見上げてくる。
「大丈夫だよ、別に、そこまでしないから」
 知識だけはあるのだろう、俺の言葉に凌統はますます縮こまる。
 股間に手を伸ばすと、既に熱の兆しが現れていた。
 ホックを外し、ジッパーを下ろすと、凌統の不安は急速に濃度を増していったようだ。
 俺が無造作に握り込むと、凌統の体が大きく跳ね上がる。
 顔が真っ青だ。鳥肌を立てているようにも見える。
「……気持ち悪い? ここで止めておくか?」
 頭の中ではどうであれ、同性の体に欲情できるかどうか。こんな情交を想像することもなかったノンケであれば、触れられるだけで酷い嫌悪感を覚える筈だ。
 凌統は一瞬逡巡し、しかし力強く頭を振った。
「いいのか? ここで止めないんなら、俺、この手でお前イかせるよ?」
 オブラートにも包まない直接的な言葉で煽るのだが、心から決意を固めたらしい凌統は、逆に俺に向けて足を開いて見せた。
 もう、止めようがない。
 俺も覚悟を決めて、凌統の下着を剥いだ。
 グレイのボクサーパンツの下から、それなり立派なものが勢い良く飛び出してくる。
 俺の言葉に刺激されたのか、脈打つように熱く、大きく震えていた。
 俺は、そんな凌統のものをひとまず置いておいて、自分のものを曝しに掛かる。
 低いジッパーの擦れる音に、凌統は少し顔を引きつらせた。
「俺のも、して」
 凌統の手を引くと、ぐっと抵抗される。
 やっぱり、駄目か。
 止めると、今度は凌統の方から手を伸ばしてきた。
 触れる直前、凌統の手が止まる。
 完全に止まったという訳ではなく、ぱっと見では分からないぐらいゆっくりと、恐る恐るで俺のものに指を伸ばしていた。
 触れられた瞬間、そこから弱い電流が走ったようになって、眉をしかめる。
 凌統は気付かなかったのか、俺のものをまじまじと見ながら探るように指を這わせた。
「……あんた……、だったよな」
 それこそ、今更過ぎるだろう。
 俺が頷くと、凌統は身を起こして俺の手を引いた。
「……俺のも、してくれよ……あの…………」
 熱く囁かれ、俺は素直に従った。
 凌統の体がびくびくと痙攣し、その手は俺のものを不器用に擦り始める。
 俺も、凌統のを指で挟んだり手のひらで包むようにしてやると、凌統の頬が濃く色付いていく。
 呼吸が荒くなって、喘ぎ声らしきものも漏れ始めた。
「……ヤバイ……何だこれ、凄い……気持ちいいっての……」
 まぁ、生まれた時から同じもん下げてはいるからな。扱い方も、それなり以上には心得ている。
 凌統の辿々しい指使いより、俺の耳に吹き込まれる熱を帯びた吐息の方が、よりリアルで心地よい。
 うっとりと微睡むような快感を楽しみながら、俺は凌統のものをやや乱暴にしごき上げた。
「うっ……ちょ、まず……出ちま、う……!」
 イかせる為にしごいているのだから、当たり前だ。
 さっさとイかせようと力を込めるのだが、凌統は何故か最後の一線を頑なに拒んでいる。
「あ、あんたも……あんたも、イけよ……!」
 一人で達するのは嫌らしい。
 薄いプライドにこだわる凌統は、滑稽ではあろうが気持ちは察せられた。
 無言で凌統の手を掴み、その指を俺の尿道に押し当てさせる。ぬるりとした感触にぞっとしたか、凌統は眉を険しくした。
 それでも、慣れない手付きで俺の先端を擦り始める。
 煙が上ってくるようなもどかしい快楽が生まれ、俺は苦笑を押し殺しながら凌統のものを責めに掛かった。
「……くっ……いい加減に……」
 凌統は懸命に俺を追い立てようとしているが、ただでさえ未熟な手管に加え、俺の指に翻弄されて力が入らないようだった。
 自然、弱々しい力加減となって俺をイかせるに至らない。
 俺は凌統の事情など構うことなく、凌統のものを追い詰めた。
「……く、うぅ……っ……!」
 顎を反らせるようにして、俺の手の中に全部吐き出した凌統は、長いこと痙攣していた。『凄い』という感想は嘘偽りではなかったらしく、茫洋とした眼には涙さえ浮いて、荒い息を吐く唇は涎に濡れていた。
「……ズルイだろ」
 俺が一緒に達しなかったことを責めているのだとは思うが、凌統は自分がイくと同時に完全に手を離してしまっていたのだから、俺を責めるのは筋違いというものだ。
 凌統は、不意に体を起こすと俺のものを口に含んだ。
 前置きもなく、止める間がなかった。
「ちょ……」
 突き抜ける快感よりも、戸惑いの方が大きい。
「……こういうことだって、するんだろ……?」
「そりゃ、するけど……」
 見るからに悪戦苦闘している凌統の様に、俺は苦笑いして止めに入った。
 凌統は不服そうで、俺の手を押し退けながら行為を続けようとする。
 俺は、ふと気が向いて、自分の指をくわえて十分に濡らすと凌統の後ろに触れた。
「う、わ」
 凌統が飛び上がる。
 俺は構わず、浮いた腰をいいことに、より深いところに指を這わせた。
「ちょ、やめ、汚……く、くすぐったいっての!」
 触っているだけだ。
 余程敏感なのか、あるいは。
 俺は凌統の肩を掴んで、その後孔に指を這わせ続けた。
「……っ……ん、んく……ん、ん、んっ……」
 凌統の体の震えが、微妙に変化したような気がした。
 俺はほんのわずか、指の先端を凌統の中に沈める。
 つぷ、と小さな音がして、爪の先が柔らかな内側に触れた。
「ぁはっ!」
 瞬間、凌統が俺にしがみついてきた。
 それで、さっき解放されて萎えていた肉がもう元の勢いを取り戻しつつあるのが分かった。
 凌統は俺にしがみついて、その肉を押し付けてくる。
 指を沈ませた腰が微妙に揺れていた。
「……凌統、気持ちいい?」
「わ……わかんないっての……!」
 気持ち、更に沈めると、凌統の腕に更に力が篭もる。
 指を抜いた。
 凌統の体から力が抜け、崩れ落ちるようにぺたりと腰を落とす。
 指先は俺の服を握り締め、かたかたと震えている。
 初めて知る感覚に、神経が鋭敏になっているのだろう。
 俺はできる限りゆっくり凌統の指をはぎ取って、その手を握り締める。
 なだめるように唇を合わせるだけのキスを落とすが、それもよく分かっていないようだ。
 俺は調子に乗って、頭を下げる。
 固くなり掛けの凌統のものを舌先で突くと、凌統が高らかに鳴いた。声の大きさに自分でも驚いたのか、凌統がはっと我に返る。
「ちょっ……な、何してんだよ、あんた……」
 引き剥がされる前に口に含むと、凌統が腰砕けになって崩れ落ちる。
「ちょっと……マジで、止め……」
 口では嫌がっているが、凌統が俺を引き剥がそうとすることはなかった。
 どころか、気が付けば俺の頭を抱え込み、逃さないように固定さえしている。
 緩く引けば強請るように髪をかきむしり、強くすれば堪えることなく声を上げる。
 片手を後ろに回せば、痴態は更に激しくあられもなくなった。
「……気持ち、いい?」
 俺の問い掛けに、凌統はこくこくと激しく頷く。
「っと……も、と……!」
 今まで苛烈にセーブしてきた分、凌統の欲は果てをなくしていたのかもしれない。
 それが、例え俺相手だったとしてもだ。
 凌統の奥から何かせり上がってくる気配を感じ、俺は顔を上げようとした。
 それが、ぐっと押し付けられる。
 目と鼻の先に凌統の肉が据えられ、俺はとっさに目を閉じた。
 熱く滑った感触が額の辺りに叩き付けられ、たらりと流れ落ちていく。独特の感触と匂いが、滑り気を帯びた液体の正体を物語っている。
「顔射」
 くつくつと愉快に笑う凌統の声に、腹を立てるより呆れてしまって怒鳴る気も失せた。
 ろくに目も開けられない状態でハンカチを取り出し、用心しいしい精液を拭う。
 迂闊に目に入れるととんでもなく痛むから、本気でしゃれにならない。
「……怒った?」
 顔を拭って身支度を整え始めた俺に、凌統の声が惑う。
 ベルトを締めて凌統を振り返ると、凌統も慌てて身支度を始めた。
「なぁ、怒ったのか?」
「怒ってはないよ」
 俺の返事に、凌統は半ばほっとし、半ば怯える。
「顔洗わせるくらいの気遣いないのが、正直イラッときてるけどな」
 凌統が慌ててソファから立ち上がろうとして、よろける。
 辛うじて転ばなかったが、それに近いくらいの醜態だった。
 笑いはしなかったが、手を差し伸べて支えてやった時に見せた凌統の赤面顔が、少し可愛いなと思った。

 

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