キーボードがカタカタと鳴っている。
 あまり音を立てないように打つのが、俺の流儀と言うか基本だった。
 昼間の勤めにも、何とか慣れてきた。
 ランチの後は相変わらず眠くなるのだが、机に向かうとそれなり目が覚める。
 元々がお堅い仕事向きなのだ、と馬超に茶化されることもしばしばで、そのたび軽い諍いになる。もっとも、すぐに『夜のプロレス』に乱入してしまい、有耶無耶になってしまうのがほとんどだった。
 時間が合わないという拒否理由がなくなったのが、馬超には酷く嬉しいらしい。
 男喘がせて何が楽しいんだと思うのだが、俺自身が馬超を喘がせて愉しんでいる訳だから、そもそもが馬鹿な話だ。
 俺も、男の中では顔の造作は悪かないと思う方だが、馬超に比べれば霞んでしまう。
 如何にも特別製だとこれ見よがしな馬超の顔は、一言で言えば『美しい』。
 整っている上に薄い目の色は神秘的でさえあって、黙っていればの条件付だが、一流モデル並みの体躯と相まって人目を引く華やかな印象だ。
 それが何の因果か、同性の俺に惚れ込んでしまっていると言う。
 人の家に押しかけてきて、居座ったまま出て行こうともしない厚顔無恥な同居人と化していた。
 同居人という安穏とした言葉で称するような、居心地のいい関係とは決して言えないが、かと言って恋人だの愛人だのという関係ではないと俺は頑なに主張している。
 俺が好きなのは、三国志で言うところの錦馬超ただ一人だけだ。
 同じ馬超でも、あの『馬超』とこの馬超では雲泥の差がある。
 ところが、この馬超はそれが気に入らないらしく、ことあるごとに俺に絡んでは自分を一番にしろと喚き散らして聞かない。
 まぁ、平和に馴れ合っていると言っていいかもしれない。
 大手アパレルメーカー『K.A.N』、TEAM蜀に入って半年以上が過ぎた頃、俺は自分がホストをやっていたなんてことはまるで夢の中の出来事だったかのように真面目かつ勤勉で、かなり緩んでいた。

 倉庫代わりの部屋には、背の高い棚が並んでいる。
 それぞれの棚には乱雑に荷が詰まれ、その隙間から誰かに見られているのではないかという不安が過ぎる。
「……も、う」
 上がった息を抑え、押し留めようと腕を伸ばせば、その手を取られて指を吸われる。
 指の股に赤い舌が這う様を、見せ付けるようにされて目を逸らした。
 挑発的な視線が頬の辺りに突き刺さる。
 皮膚が粟立つような感触は続いており、俺をその気にさせようと躍起になっているかのようだ。
 馬超には秘密のまま、趙雲ともこうした関係を続けていた。
 何と言うか、趙雲は以前の『趙雲』のまま俺と過ごした記憶を持ち合わせているから始末が悪い。
 俺が二人を騙して元の世界に送り返し、ただ一人現世に残ったことを未だ許してくれてないのだ。
 もし俺に贖罪するつもりが少しでもあるなら、自分の蹂躙を黙って受け入れろと、毎回無言で訴えられている。
 股間辺りを弄られ、俺は歯を噛み締めて仰け反る。
「こんなになっているくせに」
 それは、俺の弱いところばかり責めていたのだから当たり前だと思う。
 趙雲は苛立ったように俺のベルトを乱暴に外し、いきり勃つものを引きずり出して直接扱いた。
 家では馬超が俺を放さないから、趙雲が俺を抱こうとすると会社に居る時間を狙うしかない。
 とは言え、会社で本番する訳にも行かず、ここのところの趙雲は少し荒れ気味だった。
 馬超と趙雲に共通する点はただ一つ。
 俺を、ずっと探していたということだ。
 その為に蓄積されてきた飢餓は尋常ではなく、俺の体がもつならば何度でも、というのがありありと分かる。
 この二人に関しては、俺はどちらかと言うと受身に徹していて、だから俺が受け入れる側になることの方が多かった。
 それで納まればまだ救いがあるが、むしろ俺が求めることこそが二人の飢えを満たすようで、俺が悩んでしまうのは正にその点からだ。
 どちらか一人だったら良かったのに、などと言おうものなら、文字通り血の雨が降りかねないから愚痴も軽口も口にすることが出来ない。
 慣れない仕事で四苦八苦していても、二人がそれを考慮してくれることはまるでない。
 馬超は俺と趙雲の関係を知らないからまだしも、趙雲などは馬超という目の上の瘤が目の前をちょろちょろしているから、余計に腹立たしいのだろう。何かに付けて俺を捕まえては、こうして刹那の情事を強いてくる。
「趙雲」
 逃げ出そうとしていると勘違いしたのか、趙雲の目が一瞬強張った。
 俺がその場に腰を下ろし、趙雲のジッパーを下ろすとようやく俺のしようとしていることを察したようだ。
 膝を緩く折り、俺が咥えやすいように高さを調整してくれた。
 趙雲のものをしゃぶり、あるいは含みながら、俺は自分のものにも指を絡ませて扱く。
「……あぁ、……っ!」
 切羽詰った声と舌に感じる味覚から、趙雲の限界を察した俺は、趙雲のものを深く咥えて強く吸い上げた。
「うぁ、あっ、あっ……くぅっ……!」
 俺の頬の内側と舌とで強く戒められた趙雲の肉が、びくびくと震えているのが鈍く伝わってくる。
 喉奥に注ぎこまれる生臭い精液を、俺は喉を鳴らして飲み干してやった。

 疲れ切った風な俺に、趙雲は小さく詫びた。
「でも、私は、本当はもっとちゃんと貴方を抱きたいのだ」
 救い難い宣言に、俺は苦笑せざるを得ない。
「そのうち、時間作って、な」
「そのうちとは、いつ?」
 今それが決められたら問題はない。
 分かっていながら駄々をこねる趙雲に、俺は渋面を作って立ち上がった。
「……趙雲」
 まだ剥き出しだった肉は、半勃ちのまま趙雲を見上げている。
 趙雲は俺の意を汲み、おとなしく膝を着いた。
 温い感触に包まれて、俺の腰がびくりと跳ね上がる。
 ぴちゃぴちゃと音を立てて舐め上げられて、俺は荒くなりそうな呼吸を押し殺した。
「気持ちいいですか、
 からかうような声音に、俺は無性に反抗したくなってしまった。
「あぁん、イッちゃうー……とでも言えば満足か?」
 途端、噛まれた。

 時間をずらして出ようということになり、趙雲が先に出た。
 ちゃちな恋愛ドラマの真似事をしているようで、甚だ尻の座りが悪かったが、脛に傷を持つ身としては何となくそうせざるを得なかったのだ。
 あいつは営業だという話だが、あれだけ忙しくしている癖に、よくこんなことをする暇がある。感心するくらいだ。
 とは言え、俺もそれほど呑気にしていられる身分でもなかった。時間にして20分足らずの逢瀬ではあったが、職場の他の人間から見れば怠惰に映るに相違ない。
 目当ての資料をさっさと探し出し、倉庫から出る。
 両手で抱えた資料の束に四苦八苦しながら鍵を掛けていると、あら、と女性特有の高い声が俺の背中を叩いて寄越した。
 何気なく振り返り、硬直する。
 そこには、以前の職場……ホストクラブで一度きり出会った誇り高い女性が、麗しい微笑みを浮かべて立っていた。
「その様子では、私のことは覚えていて下さっているようね?」
 忘れたかったとは言い難く、俺は不承不承頷いた。
 女性は鈴の音が鳴るように笑い、俺の顔をじっと見詰めた。
「同じ会社だというのに、気が付かなくてごめんなさい。もう、あちらは辞めてしまわれたのかしら?」
 あれからすぐに行ったのに、俺が辞めた後だったとさりげなく詰られる。
 程度はともかく、興味を持たれてしまったという事実に知らず悪寒を感じた。
「……あそこ辞めてから、ここに来たんで」
 とにかく早く離れてしまいたかった。けれど、このひとが俺を離してくれそうな気配は微塵もない。
 そうでしたの、と優雅に頷くと、俺の現在の所属を訊いてくる。
 俺が黙ったまま困惑していると、それが本性かと思わせるような冷たい微笑を浮かべた。
「今分かるか、後で分かるかの差ではないかしら。どうせ同じことなら、自分から従順に仰った方が貴方の為になるとは思わなくて?」
 脅迫ですらない。
 絶対的な命令を受け、俺は渋々ながら答えた。
「蜀? あそこにいらっしゃるの」
 少し驚いたように一瞬目を見開き、何か思案げに首を傾げている。
 もう戻らないとまずいから、と逃げるように足を踏み出した俺の胸ポケットに、素早く小さな紙片がねじ込まれた。
「後で電話なさい。人目につかないよう、注意して」
 取り繕うのもやめてしまった命令形に、俺は複雑な顔をして彼女を見返す。
 浮かべた微笑には、拒絶は許さないと書き記してあるかのようだ。
 ヒールの音も甲高く立ち去っていく後姿を見遣りながら、俺は自分の胸ポケットを情けない面持ちで見下ろした。


  

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