馬超が出て行くのを、俺は玄関口から見送った。
 向こうも振り返ることはなく、俺も声を掛けなかった。
 朝の煤けたような光の中を、肩を怒らせながら大股で立ち去るその背中は、俺がしばらく立ち尽くしていても戻ってくることはなかった。

 朝日が昇る前ぐらいに自宅に戻った俺は、眠らずに待っていたらしい馬超に出迎えられた。
 何処に行っていた、と怒鳴った直後、馬超はひくひくと鼻を蠢かせて唇を噛み締めた。
 テレビで見たような光景だなぁ、と俺が他人事のように考えていると(正直言えば俺も相当寝惚けていたのだが)、馬超は俺の襟首を掴んで居間に引き摺っていった。
「どういうことだ」
 相手が曹丕とは分からないまでも、俺が誰かと寝て、無神経にも家のとは違うボディソープを使ってシャワーを浴びてきたことは察したらしい。
 とは言え、どうもこうもなく、仕方ないので正直に話した。
 ついでに、今まで隠してきた趙雲との『遣り取り』も白状すると、馬超はむっつりと黙り込んで下を向いてしまった。俺とは、目も合わせようとしない。
 肌が引き攣れるような痛い沈黙が落ち、置時計の秒針だけがやかましく音を立てていた。
 不意に馬超が立ち上がり、廊下に出て行った。
 階段を上がっていく音がしたので、寝るのかな、と思っていると、しばらくしてがたごととやかましい音が聞こえてきた。
 朝っぱらからいい近所迷惑だと思っていると、馬超が下に降りてきた。居間には顔も出さず、どうやら玄関に向かっているらしかった。
 俺が何の気なしに顔を出すと、馬超は大きめのトランク(うちに荷物を運び入れる時に使った奴)を持って、靴を履いているところだった。
 出てくのか、と感慨もなく馬超の背を見詰めた。
 馬超は一言もなく、靴を履き終わると玄関を開けて出て行く。
 閉じかけたドアを押しやって、俺は馬超の後を追うようにゆっくりと外に出た。
 俺が家の中に入っている間に、薄暗かった外は白々とした光に満ち始めている。
 ホストをやっていた時分に戻ったような気がした。
 馬超が角を曲がる時、ちらっとだけその顔が見えた。
 泣いてはいないことに何となく安心して、ドアを支えた体勢のまま、俺は馬超を見送った。

 会社に出勤し、いつも通りに上司や同僚と挨拶を交わす。
 何事もない一日の始まりに、俺は不思議な違和感を感じた。
 俺と馬超が駄目になろうが何だろうが、会社にとっては何の変わりもない。
 当たり前のことだが、新鮮にも思えた。
 俺の荷物は馬超が持って帰ってくれていたから、本当に何事もなく俺の一日が始まってしまっていた。不思議だった。
 パソコンの電源を入れると、社内メールが届いていた。
 メールの差出人は、曹丕だった。
 何気なく開くと、今日会いたいという簡潔な内容だった。
 なので、俺も簡潔に『無理』と打って返した。
 用事があるわけではない。何となく会いたくなかった。
 曹丕だからでなく、今日は仕事が終わったらすぐに家に帰って、誰とも会わずにぼんやりしていたいと思ったのだ。
 寝不足が響いていたせいもあると思う。
 俺は、今日の分の打ち込みを預かってくると、後は眠くならないようにと一心不乱にキーボードを叩きまくった。

 何かあったのか。
 休憩している時にいきなり趙雲に切り出され、俺は目を瞬かせた。
「何で」
「あんな集中してたら、誰だっておかしいと思うでしょう」
 簡雍課長が昼飯に誘ってくれていたらしいが、俺が振り向きもしないのでけったいな顔をしていたと教えられた。
 俺でもそんなに集中することが出来るんだなぁ、と密かに感動を覚えていると、趙雲は呆れたように視線を投げ掛けてくる。
「何があったんです」
「いや、別に?」
 昨夜は昔の恋人(と言っていいのかどうか)と再会して、そのまま盛り上がって朝帰りしただけだと言うと、趙雲の口元が小さく引き攣った。
 話を横から聞いていたらしい張飛部長が、お安くねぇなと割り込んでくる。
 げらげら笑って、しかし詳細は話せないから有耶無耶に誤魔化していると、趙雲は何でもないようにすいっと話の輪から抜け出した。張飛部長は気が付かないようで、俺も敢えて気が付かない振りをした。
 その日の業務は、そのまま何事もなく終わった。

 狭い道をだらだら歩いての帰宅途中、そう言えば馬超はどうしただろうかと考える。
 休みだという話も聞かなかったから、多分出社はしていたのだろう。
 趙雲と同じ営業に配属になったというから、忙しさは俺の比ではあるまい。寝不足で辛い思いをしていないといいな、と考えていると、俺の隣に見慣れないスポーツカーが横付けになった。
 あれ、と思う間もなく肘の辺りを掴まれる。
 曹丕だった。
 左ハンドルなので、左を歩いていた俺は車に乗りながらでもとっ捕まえられるわけだ。
 歩行者は右側を歩くべきだったな、と今更後悔した。
「乗れ、
「嫌だって」
「乗れと言っている」
 曹丕は握り締めた手を離そうとしない。
 これじゃ乗るにも乗れないだろうと苦言を呈そうとした瞬間、俺の体は勢い良く後ろに引っ張られた。曹丕の爪が俺の腕に爪痕を残すほど、それは強引な力だった。
 俺を引っ張り寄せたのは、趙雲だった。
 見たこともないような殺気を孕んだ目で、曹丕を見下ろしている。
 曹丕も黙って趙雲を睨めつけていたが、後ろから他の車が寄ってきたのを見て諦めをつけたらしい。
、次は許さんぞ」
 何をだ、と俺が呟いたのを聞いてくれたかどうだか、曹丕は低いエンジン音を盛大に響かせて去って行った。
 ぎり、と絞り上げられるような痛みに眉を顰め、その痛みをもたらしている趙雲を振り返る。
 趙雲の目は、侮蔑としか言いようがないほど冷めていた。
「あれが、貴方の『昔の恋人』とやらですか」
 悩んだ挙句、俺は素直に頷いた。嘘を吐くのもどうかと考えてのことだが、なんとなれば悩むまでもない話だった。
 趙雲が俺に下すのは有罪判決の他なく、下される刑の内容も事前に決められていた。

 荒い息を吐くと、溜まっていた涙がシーツにぼとぼとと落ちて染みを作った。
 髪を緩く掴まれて、催促を受ける。
 再び口の中に含むと、舌での奉仕を再開させた。
 俺の尻からパステルピンクのバイブが覗いている。垂れ下がったコードの先にコントローラーが付いていて、それは趙雲の手に握られていた。
 振動が止むことなく響き、息が苦しくなって趙雲の肉を吐き出す。固く膨れ上がった肉は俺の喉を突かんばかりで、これだけでもとても長くは咥えていられない。
 けれど、趙雲は無言のまま奉仕を促す。
「……ちょ、ちょっと待てって」
「駄目です」
 見せ付けるようにコントローラーを掲げ、ゆっくりと目盛を押し上げる。
「あ、うぁ、馬鹿っ……!」
 押し込まれたバイブが唸りを上げ、俺の中で猛り狂う。
 男の肉とはまったく違う感触に、俺は身を固くして耐えるしかなかった。
「ちょ、うん、や、やめ、馬鹿、む……無理っ……」
「無理なものですか」
 ほら、と更に強い刺激を与えられ、俺は馬鹿みたいにのた打ち回った。
「ひっ……ちょ……趙、雲……頼むからっ……」
「早く」
 容赦のない趙雲に、俺は言うことを聞かない体を無理矢理引き起こした。
 肘も足も、がくがくして体を支えるのすら覚束ない。何とかしようと体に力を篭めれば咥えこんだ物を締め付けざるを得ず、却って体から力が抜けてしまう。
 咥える為に口を開くことさえ厄介で、俺は許しを請うように趙雲の肉に口付けを落とした。
 何度も口付けている内に、趙雲も許してくれる気になったのか、ようやく体を起こす。
 俺の後孔からバイブを引き抜いてくれたのだが、スイッチを切られないまま振動を続けるバイブは抜け落ちざま俺の過敏になった部分を刺激して、瞬間的に強烈な悦をもたらした。
「あっ、う、ぅっ……!」
 へたり込んだ姿勢のまま射精してしまった俺に、趙雲は薄笑いを浮かべた。
 その顔が、曹丕とダブって見える。
「……今、誰のことを考えてたんですか」
 嫌になるほど聡い。
 趙雲は、振動するバイブを今度は俺の萎えた肉に押し付けてきた。
 ローションと俺の体液で濡れたバイブは、ぬるぬるとした感触で俺の悦を呼び覚ましてしまう。
「も、勘弁……趙雲、俺、もう無理だ、から……!」
 泣き言を入れる俺に、趙雲はあくまですげない。
 俺を背中から倒すと、膝裏を抱え上げて自分のものを挿れてきた。
 息が詰まり、ひぃひぃもがいているのも構わず、ぐいぐいと押し込んでくる。
「こ、の、サディスト……!」
 詰った途端、趙雲の固いものが俺の中を大きくスライドした。背中がぐんと弓なりに反り返る。
 薄い尻肉にがつがつと勢い良く腰が打ち付けられ、体中の骨に響いた。
 本気で死ぬかと思った。

 馬超にも昨夜のことを告白し、ついでに趙雲とのことも白状したと告げると、趙雲は少し複雑そうな顔をしていた。
 俺は動くのも辛くて、考え込んでいるような趙雲の横顔をぼーっと見上げる。
 話の続きを促され、馬超が黙って出て行ったことを告げると、趙雲の複雑そうな横顔は更に複雑そうに顰められた。
「……何」
 言いたいことでもあるのかと、逆に趙雲に促すと、趙雲は俺の手を取り指を軽く噛んできた。
「そういうことは、早く言ってくれればいいのに」
 ホテル代が勿体なかった、と趙雲が笑う。
 取ってつけたような言葉に、作り笑い。趙雲の胸の内に、何がしかの感情の波が立っているのが手に取るようによく分かる。
「俺、趙雲が思ってるほどいい人間じゃないよ」
 何気ない言葉だったが、瞬時に趙雲は色めき立った。
「……私の心は、私のものです。いくらとは言え、故意に染めるのは許されない」
 趙雲が本気で腹を立て、傷ついたのが分かったので、俺は口を噤むしかなかった。
 けれど、俺が馬超を騙しとおす努力すらせずに傷付け、未練がましく引き留めるような醜態を晒すこともなかったのは事実なのだ。
 俺は俺が一番大事で、だから取り返しがつかなくなるまでお前達を傷付ける前に早々に捨ててくれたらいいと思っていることを、趙雲は聡く察して牽制してきた。
 険しい表情で俺を見ていた趙雲は、懲りない俺に刑の再執行を仕掛けてきた。
 緩く抗いながら、こんな遣り取りがいつまで続けられるだろうかと、俺は考え込んでいた。


  

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