警察の類は嫌いだった。
 家は繁華街のそばにあって、夜中までやかましいわりに朝方は静かなもんだ。ご多分に漏れず俺も夜の商売だったから、居心地は大層良かった。作りは古かったけれど、この立地でテラスハウスというのも良かったし、何よりビルに挟まれて日照権こそなかったものの、死角になっているから恋人と別れのキスをするのにも気兼ねがなかった。
 サイレンや無線の鳴る音があんまりうるさいもんで、半分寝こけていた頭を無理やり覚醒させ、ドアから外の通りを伺った。また警察が何処かの店に手入れをかけて、逃げ出した不法入国の女の子を追っかけまわしているのかと思ったのだ。と、表に出しておいた青いポリバケツが、がたがたっと音を立てて倒れた。
 やっぱりか、可愛ければかくまってあげてもいいなと思ったが、当てが外れた。
 男が、呆然と俺を見上げている。
 二十歳そこそこといった態の、若い男だ。顔は綺麗だが、それより着ているものが物凄くて、追いかけられていたのはこいつだな、とすぐに知れた。
 半身をずらしてドアの中を指す。
 男は驚いたように目を見開いた。
「入るなら、早くしてくれないか。俺も、いい加減眠いんだ」
 男は警戒していたようだが、表の通りを不安そうに見遣ると、小走りに駆け込んできた。
 その手に長い槍がある。
 ホントに、何処から来たんだか。俺は欠伸をしながら、中に入って俺を伺っている男の背中を玄関の中に押しやった。槍が邪魔でドアが閉められなかったのだ。

 家の中を物珍しそうに見回している。
 今時、鎧兜なんて着てうろうろしてたら、警察官じゃなくったって追っかけまわしてくるだろう。
 目が覚めてしまって、二度寝する気分でもなくなった。
 コーヒーを淹れて、オーブントースターに厚切りの食パンを放り込んだ。IHヒーターのスイッチを入れてスクランブルエッグを作る。サラダは簡単にレタスとアルファルファ、おまけでトマトを適当に切って乗せる。野菜ジュースをコップに注ぎ、こちらを凝視している男の目に気がついた。
「腹減ってるなら、食う?」
 男は頬を赤らめて俯いたが、都合よく腹の虫が鳴った。
 俺が野菜ジュースのコップを差し出すと、繁々と眺めてから恐る恐る口に含む。
「甘い」
 びっくりしたような口振りに、こいつは本物だ、と俺は呆れ返っていた。

 その名前の男なら、1800年くらい前に死んでいると思った。
 前の前の恋人が歴史が好きだとかで、俺にも読めといって山ほど本を持ってきたことがあった。
 俺も本は嫌いじゃなかったし、どんないい男が出てくるのかねなどと減らず口を叩いたのも覚えている。別れた時に本も持っていかれたけれど、その本に出てくる大袈裟な異名が印象深くて、俺は未だに覚えていたのだ。
 錦馬超。
 確かに、そう呼ばれるに相応しい、色気のある男だった。顔付きとは裏腹に、何処か幼い、無垢な感じがする。
 俺が知っている馬超の話をしてやると、男は顔を真っ青にして意味もなく立ち上がった。
 まぁ、いきなりお前は1800年も前に死んでるよ、と言われたら、俺でもひっくり返るわな。ちょっとした浦島太郎の気分だろう。
 俺が冷静なもんだから、釣られて頭が冷えてくれたのか、馬超は腰が抜けたようにすとんとソファに腰掛けた。
「ちょっと寝るか、熱い風呂にでも入って落ち着けば。俺が嘘言ってないの、何となくでも分かるだろ」
 薄気味悪そうに俺を見つめる馬超は、だが強張った顔をしたまま首を横に振った。
 まぁいいや、と俺は立ち上がった。
 馬超が驚いたように俺を見つめる。まるで捨てられた犬か猫のように縋ってくる目を見て、苦笑した。
 そんなにすぐ人を信じてていいのかよ。あの頃の話って、結構騙し騙されが多い気がすんだけど。
「俺も仕事があるから、シャワー浴びて支度しないといけないからさ。居たいんだったら居ればいいし、嫌だったら出てきなよ」
 突き放すように聞こえたのか、視線がうろうろと彷徨う。
 困ったな、ホントに捨て猫でも拾った気分になってきた。
「……風呂の入り方、教えてやろうか。一緒に入る?」
 鎧を脱げというと、顔がまた強張った。しょうがねーな、と服を脱いだ。パンツまで全部脱ぐと、馬超は俺以上にうろたえて動揺しているようだった。
「な、何にも武器持ってねぇだろ?」
 何もしないよ、とソファに腰掛けると、馬超はしばらく逡巡していたが、おずおずと鎧を外し始めた。
 まとめて部屋の隅に置かせると、俺は全裸のまますたすたと風呂場へ向かう。馬超も慌ててついて来る。
「恥ずかしく、ないのか」
 おろおろとして、まるで自分が裸に剥かれているかのような口振りだ。
「別に。商売道具だし」
 鸚鵡返しに聞き返してくるので、ホストやってんだ、と告白した。
 けれど、案の定馬超には通じなくて、俺は昔の中国でホストに当たる言葉を思いつくのに非常に難儀させられた。
 シャワーの湯温を調整しながら、馬超の体に湯を掛けてやる。
 びっくりして、為すがままになっている馬超をいいことに、俺は勝手に馬超の体に触りまくった。
 毎日戦いに明け暮れているだけあって、見た目よりも遥かに筋肉質な体は、綺麗な逆三角形をしていた。ボディシャンプーをつけたスポンジで、丁寧に洗ってやる。白い泡が珍しいのか、馬超は自分の体に擦り付けられる泡を、じっと見ていた。
 自分の方は軽く洗って、シャワーで同時に流す。
 シャンプーは後ででいいや、と取りあえず馬超を連れ出し、二階の寝室に連れて行った。
 俺の服だと入らないかもしれないけど、と着替えを渡すと、呆然とその着替えを見ている。
 ああ、そうか着方も分からないか。
 本格的に捨て猫を拾った気分になって、俺はいっそ楽しくなってきた。

 仕事に出て、ちょっと年を食ったお姫様たちの相手をして、夜が明ける前に帰る。
 いつもの生活だ。
 それに馬超が加わるだけで、面白いほどに生活が変わった。
 貯金の額は少し減ったが、そんなに金がかかるわけでもない。俺が面白がってブランド物の服を着せようとすると嫌な顔をするが、後はそれなりに付き合ってくれた。
 俺としては捨て猫を飼っている感覚だから、馬超が嫌だといえばそれは猫が機嫌を悪くしてそっぽを向くのと同じことで、たいして気にもならなかった。
 けれど、馬超にはそうではなかったらしい。
 日に日に、俺を見る目が険しくなっていった。
 働きたいという。
 しかし、こればかりは俺にもどうにもできないことなのだ。身元不明で働かせてくれる店などまずない。俺が保証人になったとしても、それで紹介できるのはせいぜい水商売の店だけで、生真面目な馬超に勤められる仕事とは到底思えなかった。
 俺は何度もそう説明したのだが、馬超は口篭るばかりで、しばらくすると同じことを言い出して俺を困らせるのだ。
「これでは、飼われているのと何も代わらん。何か、俺に出来ることはないのか」
 代わらないも何も、飼っているつもりでいる俺にはどう言っていいのかわからない。
 家事でもできればいいのだろうが、何故か馬超は家事を仕事と見なさず、何かやらせろ、働かせろと言って聞かない。確かに、現代の家事など、昔のそれに比べたら遊んでいるようなものかもしれない。重労働の代表格、水汲みは水道の普及でなくなったし、薪割りはガスの普及でなくなった。食糧は狩をせずともスーパーで簡単に手に入るし、かといって敵討ちしてもらうような相手も俺にはいない。
 馬超が家にいれば、泥棒避けになるからと言って宥めても、置物同然の扱いに焦れて怒り出す始末だ。
 俺もいい加減うんざりして、けれど馬超を追い出すわけにもいかず、どうしたものかと頭を悩ませた。
「じゃあさぁ、俺に犯られてみる? もしくは犯してみる?」
 それは、もう本当に困り果てた上での戯言だった。
 体を売れと言われては、馬超も怒るだろう。だが、どうにも出来ないお強請りを延々と繰り返されるよりは、癇癪起こす馬超のご機嫌取りの方が、終わりが見えるだけまだマシなのだ。
 馬超は、眉間に皺を寄せて俺を睨んでいた。
 さて、次は癇癪か、不貞腐れて寝室にでも閉じこもるか、どちらだろう。
「……どっちだ」
 押し殺したような静かな声は、俺が初めて聞く声だった。
は、どっちがいいんだ」
 俺がきょとんとしているのが面白くないのか、馬超の声が焦れたように早口になった。
「……あん?」
 訳が分からない、と困惑する俺の前で、馬超は俺が買ってやった服を脱ぎ捨てた。
 ソファで寝転がっている俺に圧し掛かって来るので、俺は体勢を崩してひっくり返った。毛足の長い絨毯を引いていたけれど、背中からモロに落ちたせいか、痛みはちっとも緩和されなかった。
「痛ぇ、馬超、馬鹿すんな」
 冗談めかして詰って、笑い話にしてしまおうと思ったのに、馬超は俺の口に無理やり自分の口を合わせて、舌を突き込んできた。下手糞なキスだった。
 馬超の気が済むまでまさぐらせてやっていると、何時までも何時までもやっている。馬鹿たれ、と腹が立ってきて、後頭部に手をかけてやると、こちらから馬超の舌を吸ってやった。
 驚いた馬超が後退ろうとするのだが、しっかりと後頭部を押さえ込んでやっているからそんな真似は許されない。
 舌を絡ませ、馬超の唾液を音をたてて啜ってやると、馬超の眉がきりりと引き上がった。
 こちらが目を開けているのも知らぬ気で、顔を真っ赤にしている。
 唇を離すと、互いの口から唾液が糸を引いた。それぐらい激しいキスだった。
「はいはい、これでチャラな」
 こちらも息が上がって、下が固くなってしまった。
 ホントの話、俺は両刀だから、馬超みたいな綺麗な男とこんなに激しいキスをしたら、愚息も真正直に発情してくれる。このまま続けると、ホントにやばい。
 馬超も息が上がって肩が揺れていたが、俺の言葉に腹を立てたようにまた圧し掛かってきた。
 鍛え方が違うから、馬超が本気を出したら俺なんかじゃ絶対敵わない。ジムに通って鍛えた程度の筋肉じゃ、馬超の本物の筋肉には敵わないのだ。
「……あー、もう、なんだよ、たまってるならそういう店連れてってやるから」
「それでは、意味がない!」
 怒鳴っている馬超の顔が歪む。まるで泣き出しそうな顔に、俺はこれまでで一番最高に困った。
「分かった、分かったから馬超」
 俺の言葉をどう受け止めたのか、馬超は下半身に着けていたものも取り去ってしまった。
 鍛え上げられた綺麗な体で、四つん這いになって俺を見ている。そうしていると、本当に綺麗な獣のように見えた。その足の間で鋭く弧を描く物がこちらを睨んでいる。
 畜生、やっぱりたまってるんじゃねぇか。
「……ここじゃ何だな」
 馬超の手を引いて、俺は風呂場へ向かった。

 俺が服を脱ぎ捨てると、馬超はいきなりおたつきだした。
「……やめるか?」
 俺はどちらでも構わないと思ったのだが、馬超は挑発されているととったらしく、怒ったような顔をして風呂場に入っていった。
 やれやれ、と後を追い、風呂場の薄ら寒さに鳥肌を立てる。
 シャワーを出して、湯が風呂場を暖め出すと、馬超は改めて俺に向き直ってきた。
「どちらだ」
 どうにも昔の人間らしく義理堅い。キリスト教がこんなに布教されるようになる前は、衆道はごく当たり前だったというから、馬超にとっては案外なんでもないことなのかもしれない。
「とりあえず、触って」
 馬超の手が、口とは裏腹におずおずと俺のものに触れてくる。俺が馬超のものを握ると、びくりと肩が撥ねた。
 ホントにいいのか、こいつ。
 手を回し、固い尻の表面をさわさわと撫で回すと、くすぐったいのかそれとも心地よいのか、肩にすがりついて目を閉じた。
「手、動かして」
 そうして、二人で互いに互いのものを追い詰める。
 シャワーの熱が思ったより高いのか、浴室はあっという間に靄がかって、ちょっと猥褻な感じだった。
 馬超の息が徐々に熱く濁っていき、俺は俺で、馬超の不器用な指遣いにどうしようもなく昂ぶってきた。
 ふと、悪戯心を起こして、馬超の指の動きを真似てみた。馬超が動かすのと同じように、しかし半テンポずらして擦ってやる。
 しばらくして、そのことに気がついたのか馬超が唸り声を上げて悪態をついた。
 突然強く俺のものを握りこんだので、俺も痛みを堪えて握り締めてやった。
「うぁっ」
 痛みに腰が引けて倒れそうになる馬超を、タイルの壁に押し付けた。
「お前が先に仕掛けてきたんだ、最後まで責任取れ」
 馬超の目が薄く開き、陶然と潤むその瞳の奥に、憎憎しげな光が点った。指が、俺を達かせようと懸命に踊る。俺も馬超に合わせて、馬超を達かせようと指を踊らせる。
 馬超の呼吸が浅く早く吐かれ、それに合わせて小さく嬌声が漏れた。
「……出る、出る……!」
 うわ言のように呟くと、馬超の体が急に強張った。
 指の間に熱の奔流が駆け抜け、釣られるようにして俺も馬超の手の中に放った。
 一度抜いただけだというのに、二人ともぐったりとしてタイルの床にうずくまった。
 俺はシャワーのヘッドを持って、二人の手についた精液を流す。粘る感触はすぐに熱い湯に剥ぎ取られ、排水溝から流れていった。
 馬超は壁に背を預けたまま、不機嫌そうにこちらを睨んでいる。
「何だよ」
 久し振りに本気で達っただるさに、シャワーヘッドをぶらぶらさせながら浸っていると、馬超がまた圧し掛かってきた。
「止めろ止めろ、もう疲れたって。今日も仕事なんだよ、俺は」
 馬超は裸の腰に跨ったまま、不服気に見下ろしていた。と言って、俺の愚息は力を失ってぐんにゃりと腑抜けているし、馬超のものもすっかり力を失って項垂れている。
 何でこうなるかなぁ、と半ば呆然と二人の愚息を見つめる。
 馬超が好きだったし、一緒に暮らす生活も悪くないと思っていた。俺は両刀だけど、馬超はそうではないだろう。別に体を繋ぐ必要はないはずだ。
 ああ、でも、そうか。
「ここにいる、理由が欲しかったのか?」
 思い付きを口にすると、馬超は一瞬目を見開いたが、すぐに頬を朱に染めた。
 この男は、求められて生きてきたはずだ。正史は知らないが、少なくとも演義では、西涼の錦として、乱の御旗として、蜀の義の刃として、ずっと求められ駆けてきた男だったはずだ。
 俺みたいに、居たければ居れば、なんて扱い、されたことなかったんだろうなぁ。
 気を使わないようにしたつもりだったが、却って気遣いさせてしまったのか。
「まぁ、いいや」
 今日仕事に行って、帰ってきたら明日はオフだ。考えるのは明日でいいだろう。
「とりあえず、退いて。そんで、俺が帰ってくるまでに腹筋と背筋とスクワットを千回ずつやっといて」
 体を動かさないから、余計なことを考えるんだろうから。
 馬超が、それは何だと聞いてくるのをあしらいながら、俺は、今度馬超が迫ってきた時にどちらが上になるか下になるか、そんな下世話なことを考えていた。


  

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