休み前だからと言うわけでもないだろうが、指名が相次ぎ、俺は何人ものお姫様の相手をこなした。いい儲けにはなったろうが、結構クタクタになって、帰ってきた頃にはもう太陽が昇りきっていた。
 出迎えた馬超が何か言っていた気もしたが、起きてからにしてくれと泣きついて、キスして誤魔化して、さっさと寝床に潜り込んだ。
 体が妙に重くて目を覚ました俺の上に、馬超が四つん這いで圧し掛かっていた。
 重いわけだ。
 馬超は本当に生真面目らしく、早く抱くか抱かせるかして俺に借りを返そうと思っているらしい。多分、帰ってきた時にごちゃごちゃ言っていたのもこれだろう。
 おとなしく飼われててくれんかなぁ、と思った。目で確かめたわけではないが、馬超は男を受け入れたことはなさそうだった。かと言って、男を抱いた経験があるようにも見えなかった。単なる勘だが、十中八九は当たっていると思う。
 そんな馬超を犯すのも犯されるのも、何だか躊躇われるのだ。馬超が女だったら分からないが、少なくともこの男をそんな風に見たくないと思った。
「……俺はさ、馬超に仕えてるんだよ」
 寝惚けたような声だが、俺が唐突にしゃべり出したので、馬超は驚いたらしい。
「仕えているんだから、馬超に飯食わせたり、服買ってきたりすんの、当たり前じゃない? そういうことにしない?」
 馬超の顔がみるみる歪む。
 しないらしい。
 いきなり唇が降ってきて、口を塞がれた。
 懸命にやっているのは分かるが、昨日今日でいきなり上手くなるわけもない。下手糞なキスを黙って受けていると、馬超が突然俺を引き摺り上げた。
「寝るな」
 何時の間にか眠っていたらしい、欠伸を噛み殺すと、馬超が顔を赤くした。怒ったらしい。
 俺のベッドから飛び降りると、そのまま階段を降りていった。
 何だろうなぁ、と思って寝惚けていると、しばらくして物凄い勢いで階段を駆け上ってきた。
「本当に、出てくぞ!」
 怒っている。俺が慌てて引き留めてくれるのを待っていたらしい、けれど、寝惚けた俺の頭では馬超の意図が読めなかったのだ。
「駄目」
 とりあえず口で駄目出しすると、固まってしまった。しばらくすると、顔を赤くしてぶるぶると拳を震わせ始めた。
 怒っている。
 馬超の、色々な怒った顔を見ていたら、目が覚めてきた。
「今日、俺、休みだから、どっか行こうか」
 唐突な申し出に、毒気を抜かれた馬超がきょとんとしている。
 時計を見ると、もう午後をだいぶ回っていたが、車を出してドライブする程度なら別に構うまい。外で飯にして、馬超にもたまには外の空気を吸わせてやろう。
 しばらくむっとしたように俺を睨んでいた馬超も、渋々頷いた。
「……俺が外に出ても、大丈夫だろうか」
 自信無げに聞いてくる。警察に追っかけまわされたのがよっぽど懲りたらしい。
「槍持ってなきゃ大丈夫だろ。それに、俺もいるし」
 そうか、と頷き、いきなりキスしてきた。
 触れるだけのキスだったが、不意を突かれて驚く俺を見て、嬉しそうににやりと笑った。
 階段を下りていく後ろ姿が妙に機嫌よさげで、あまりに子供っぽい馬超に、俺は呆れ果てた。

 シャワーから出ると、携帯電話が鳴った。
 それほど大きい音でもないが、馬超はこの音がキライで、鳴るたびに眉を顰める。
 店用の携帯の液晶には、店の新人で結構仲良くなったJ(源氏名という奴で、俺は奴の本名は知らない)の名前があった。
 何の用だろうかと首を傾げて出ると、涙交じりの情けない声で『さぁ〜ん』と呼びかけられた。
 指名の成績が悪く、今日中に何とかしないとクビだとオーナーに申し渡されたらしい。
「つったって、俺に如何しろってよ」
 女を紹介してくれと言われ、いねぇよ、と切り替えしてやる。自分の商売の種を譲ってやる気はさらさらないし、かと言って何人かいる俺の『友人』の女はホスト買う程気楽な奴はいない。例え金出してやるから行ってやってくれと頼んだとしても、『ホスト買って遊んでる程暇じゃねぇよ』とか『行ってもいいけど、どうなっても知らないよ』などと実に頼もしいことを言ってくれるに相違ないのだ。だからこそ友人でいられるのだが。
 電話口でもう駄目だ、と泣き喚くので、受話器から耳を離した。離してもよく聞こえるくらい、うるさい声だった。
 街頭でキャッチしてくるくらいの気合はないのかと呆れるが、切る気配もなくただ泣き喚いている。
 俺はうんざりしながら、恐る恐る馬超を振り返った。
「……悪い、馬超」
 馬超の目が吊り上がって、俺は続けざまの災難にうんざりしていた。

さぁ〜ん!」
 嬉しそうに手を振って駆け寄ってくるJの顔が、おや、というように歪んだ。
 口をへの字にして仁王立ちする馬超に睨まれ、Jは肩を竦めた。俺の手を取り、小声で『誰なんですか』と聞いてくる。
「あ、こいつ、俺の男」
 えっ、と驚きの声を上げるJに、俺はげらげら笑った。Jには俺の嗜好は教えてないから、ごく普通の反応だ。普通過ぎて、何だかおかしかった。
「嘘嘘、弟。上京してきて、社会見学したいっつーから連れてきた」
 感心したように馬超をじろじろ見るJに、馬超はぎろりと目を向ける。ひぇ、と小声で悲鳴を上げ、俺を盾にした。馬超の目が、ますますきつくなる。
「お前、ひぇ、じゃないだろ。折角の水入らず邪魔したんだ、サービスしろよサービスゥ」
 軽く蹴り上げる真似をすると、Jは嬉しそうに、それは勿論、と笑った。
 馬超だけが、むっつりと黙り込んで俺達を睨んでいた。

 オーナーが渋い顔をしているのに、今日だけだからと拝み倒した。
「本当はさぁ、こんなの前例にされちゃたまんないんだけどさぁ」
 他ならぬの頼みだから、と了承してくれた。
 オーナーが正しい。店の、休みを取った先輩を同伴して出勤なんざ、やる方もやる方だが付き合う俺も相当駄目だ。
 けれど、俺はたまたまJが田舎に送金しているのを知っていたから、甘ちゃんだなと分かってはいたが、せめて後一月だけとオーナーに頼み込んだ。
もさぁ、ちょっと人が好過ぎるよね。ホストって、もっとギスギスしてるもんだろうに、お前ってホント変わってる」
 No.1とはいかないが、俺もそこそこ指名が多い。何より常連の上客がついているので、オーナーも俺には甘いのだ。
「でも俺、そのギスギスしてないところがいいって言われてるし」
 へらへら笑っていると、オーナーが耳打ちしてきた。
「ところで、お前の弟さ、ホストやる気とかないわけ」
 あれはいい玉だよ〜、なんて言ったって顔がいい、と、オーナーが興奮してしゃべる。
 コーナーのソファに居心地悪く腰掛けた馬超は、確かに店の明るくないライトの中でも際立って綺麗な顔をしていた。
「ああ、アレ。駄目、俺、あいつは真面目に育てんの。それにあいつも真面目で固いからさ、こういうの絶対駄目だね」
 Jがご機嫌取りしている横で、不機嫌そうに水割りを舐めている馬超と不意に目があった。
 怒っている。
 早く戻らなきゃまずいかな、と思っていると、突然横合いから抱きつかれた。
「いるじゃん、〜」
 常連まではいかない、上客にはほど遠い顔馴染みのお姫様が張り付いていた。
「あ、いらっしゃい」
「いらっしゃいじゃないよ〜、折角来たのに、休みだって言うんだもん」
 でも、いるじゃん、なんだぁと気さくに話しかけてくる。
「うわ、したら電話してくれればいいのに。俺、今日はホントに休みなんだよ。後輩に頼まれて、同伴しただけ」
 話を合わせてにっこり笑うと、お姫様は体を押し付けながら駄々こねに入る。
 ここに来れば、女の子達はみんなお姫様だ。お金さえあれば、ここにいる誰もが自分にひれ伏し、全てが思い通りになる。そんな夢を見る為の場所なのだ。
 逆を言えば、どんなにお金があっても満たされていない女の子が商売になるほど世に溢れているということで、それはそれで切ない話だ。
「何それ、カッコ悪ぅー! どいつどいつ?」
 黙ってJを指差すと、お姫様ははっと両手で口を押さえ、頭のてっぺんから甲高い声を出した。
「きゃあぁぁぁぁ、何あの子、めっさ可愛いっ!」
 言うなり、まるでバーゲンコーナーに突っ込むように走っていく。
 可愛いと言われ、俺は首を傾げた。Jは、可愛いというよりは愛嬌があるタイプで、芸をして女の子に楽しんでもらうタイプのホストだった。顔が不細工でもNo.1張るホストは結構いるが、そういうタイプでもない。
 突っ込んでいったお姫様が、馬超の腕に自分の胸を押し付けた辺りで、ようやく真相が判明した。
「あなた、見たことないね! 新人? あたし、指名しちゃう!」
 馬超は、突然現れた嵐みたいなお姫様に仰天して、次いで助けを求めるように俺を見た。
 Jが、ようやく我に返ってお姫様を宥めにかかる。
「ち、違います、この人、ホストじゃなくて」
 けれど、発情してしまったお姫様にはそんな説明、耳に入らないらしい。Jを無視して、馬超にア
ピールを怠らない。
「あたしね、結構この店長いんだよ! あなた名前なんて言うの? 年、いくつ? 顔、綺麗だよ
ねぇ」
 すごいすごいと興奮しながら馬超の体を撫で回している。
 馬超はともかく逃げようとしているようだが、コーナーの角に体を押し込まれ、にっちもさっちもいかなくなってしまったようだ。
「すごいねー、筋肉? 何やってるの? いい体してるよね〜、見たいなぁ。見てもいい?」
 いきなりボタンを外されて、馬超は小さく悲鳴を上げている。
 俺は苦笑して、仕方なく馬超を助けにいった。
 本来ならホストのJが仕切らなくちゃいけないのだが、このお姫様の発奮ぶりはちょっと度を越えていて、Jには無理だ。Jの肩を叩き、どかせるとお姫様の横に座る。
「ごめんね、こいつ、俺の弟なの。あんまり苛めないであげて」
 俺の顔を見て少し冷静になったのか、お姫様が馬超に圧し掛かっていた体を戻した。
 馬超は、慌てて反対側のソファに逃げる。第三ボタンまで外されてしまっていて、しかも一個取れかけていた。犯される寸前の態で、馬超が怯えている。こんな女を相手にするのは初めてなんだろう。仕方ない。
「あ、じゃあ今日は奮発しちゃって、と弟の二人指名しちゃう!」
 えへへ、と笑いながら腕を絡めてくる。俺は、オーナーが手を合わせて拝んでいるのを目の端に留めながら、お姫様に気付かれないようにO.Kのサインを送った。
「何、俺一人じゃ不満なの? 傷つく〜」
 唇を尖らすと、お姫様は大慌てですがり付いてきた。
が不満なんじゃないよ〜、分かってるくせに〜!」
「ホント?」
「ホント、ホント!」
 じゃあ、とお姫様の丸い顎のラインを撫でてやると、目を覗き込む。
「ちょっと、奥なんか行ってみない?」
 含み笑いして見下ろすと、一瞬で察知してとろんと欲情で潤む。
「い、いいの?」
 奥、つまり、トイレのことなのだが、通常のトイレとは別にもう一つトイレがあるのだ。身障者用ということにはなってるが、こんな店に車椅子の人が来ることはまずない。要するに、そこで気の合ったホストと客が、ラブホに行く前にちょっと盛り上がりましょうと入るところなのだ。
「駄目なの?」
 不貞腐れたように囁くと、お姫様はぶんぶんと首を振った。ウェーブのかかった細い髪が頬にぴしぴしと当たる。
「行く、となら、何処だって行っちゃう!」
 お姫様を連れ出し、Jとオーナーに目配せして、これ以上馬超が襲われないように控え室に連れ
てってやれと合図する。
 Jが慌てて馬超を引っ張り出し、カウンターの向こうに連れて行った。
 気のせいか、馬超の視線が背中に刺さってくる気がした。

 お姫様を見送って、店の控え室に入ると、馬超がこちらを凄い目で睨んできた。稼ぎ時だから、他に人はいない。Jも街頭へ女の子をキャッチしに行ったらしい。
「……悪かったって」
 色々な意味をこめて謝るのだが、馬超は口も開かずに俺を睨んでいる。いつも以上に殺気の篭った目に、俺は如何していいか分からず足を投げ出した。
 しばらく無言でいると、突然馬超が口を開いた。
「抱いたのか」
 あの、お姫様のことだろうか。
「うん、抱いた」
 仕方なかった。まさか馬超を放ったままラブホに行くわけにもいかないし、かと言ってあのお姫様の発情ぶりはただごとでなく、ハンカチ噛ませて声を殺させて、バックで犯った。時間はかからなかったはずだが、匂いでも残っていたのだろうか。
 馬超はまた押し黙ってしまった。
 何気なく手を伸ばすと、思い切り弾かれてしまった。
「触るな、汚い!」
 汚い、か。
「その汚い奴に飯食わせてもらってんの、何処のどいつだよ」
 言ってはいけないと分かっていたが、腹がたってつい口を滑らせてしまった。
 馬超は椅子を引っくり返して立ち上がると、『出てく』と呟いた。
「駄目だ」
 即座に却下すると、馬超の顔が歪み、憤りで顔を赤くした。
「……お前は気に食わないかもしれないけど、あの子達は俺の飯の種なんだよ。粗雑には扱えないし、ちゃんともてなしてやるのが俺の商売なんだ。汚いかもしれないけど、お前、嫌かもしれないけど、生きてく為には稼がなきゃ駄目なんだよ。これが俺の稼ぎ方なんだよ」
 だから、汚いなんて、思っていても言って欲しくなかった。
 馬超にだけは、言われたくなかった。
「……つって、連れてきた俺が悪いんだけどな。ごめん、悪かった」
 緊迫する空気に耐え切れなくなって、俺はおちゃらけて先に折れた。俺が謝って何とかなるなら、それでいいと思った。
 突然、馬超がぼろぼろと泣き始めて、俺はぎょっとした。
 何、泣いてんだ、こいつ。
 顔は相変わらず怒っている。でも、綺麗な顔だ。
 馬鹿だよなぁ、と思いつつ、思わずキスした。
 怒るかと思ったが、馬超は嫌がりもせず、おとなしく俺のさせたいようにしていた。
「……ホテル、行く?」
 無性に、馬超を抱きたくなった。抱かれるのでもいい。とにかく、馬超と肌を合わせて、キスして、いやらしいことがしたくなった。
 馬超は無言で頷いた。
 そうして外に出て夜風に当たってから、馬超にホテルの意味が通じたかどうだか急に心配になった。


  

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