お姫様達となら思い出すのが億劫な程度に何度か来ているが、よくよく思い返すと恋人とホテルに来るのは久し振りだった。もっとも、馬超は俺の恋人ではない。想い人、という方が相応しい。
 最近はずいぶん寛容になったと聞くが、女連れならともかく男同士で入って嫌がられない、もしくは黙認してくれる上で部屋にえげつない監視カメラがないところ、と言うとあまり心当たりがなかった。
 それで仕方なく、昔やっぱりホストだった先輩に連れ込まれたラブホに入ることにした。昔と変わってしまっているかもしれないけれど、当時建ったばかりだったあのラブホなら、部屋の作りなんかはそんなに変わらないような気がしたのだ。
 普通のホテルに入ってもいいんだろうが、壁の薄さと色気のない狭い部屋の作りで馬超が盛り下がってしまうのが怖かった。きっと馬超は気にしないと思うけれど、しかし俺はこの時細心の注意を払わざるを得なかった。
 こんなに抱きたい、抱かれたい、とにかく肌を合わせたいと思うことはあんまりなかった。どちらかというとそう思っていると告白される方だったから、今更ながら俺はあの人達に冷たかったんじゃないかとか素っ気無さ過ぎたんじゃないだろうかとうろたえた。
 動揺を何とか押し隠して無人フロントでキーを受け取り(もちろん意識して先輩が取った部屋とは違う部屋にした)、部屋に入ると念入りに鍵を掛ける。
 先に部屋の中程に進んだ馬超を追うと、広い部屋の壁際に大きなベッドが設えられていて、敷かれたシーツの異常なまでの白さに心臓が跳ねた。
 ここで、この上で馬超と抱き合うのだと思うと、それだけで股間が熱くなる気がした。
 馬超は口をへの字に曲げたまま、不機嫌そうに部屋を見て回っていた。何か気に入らないんだろうか、と俺は落ち着かなく馬超を目で追っていた。
 馬超が突然振り返り、俺の腕を引くとドアの中に突きこんだ。風呂場だった。
「洗って来い、ちゃんと、全部だ」
 そう言うなりドアを閉めて馬超は出て行ってしまった。
 馬超は、俺がお姫様と抱き合った体で触るつもりなのだと頭から信じ込んでいたらしい。清めてからでなければ触らせないという馬超の意思表示が感じられ、ついで、やっぱり馬超は俺が何処に
誘ったのか理解していたのだと言う事実に気がつき、顔が熱くなった。
 いいのだろうか、と熱いシャワーを頭から被りながら、自問自答した。
 馬超はきっと分かっていない。体を重ねるということは分かっているだろう、けれど、その意味は
きっと分かっていない。女とするのとは違う、男同士で抱き合うということが如何に無意味で空しいことなのか、絶対に分かっていない。
 繋がりたいだけなのだ。それは単なる侵略に過ぎない。犯して、誰も知らない『中』の一部を曝け出させる。それを、見る。本当にただの自己満足なのだ。何にもならない。
 だが、馬超を傷つけたくない、などとセンチメンタルに青臭い問答を繰り返す脳味噌とは違って、俺の愚息は『早く犯ろう』と言わんばかりに反り返っている。それを見ていると、あの、四つん這いで俺を睨み下ろす獣のようだった馬超の裸体や、風呂場で俺の手の中に放った時の艶やかな馬超の表情が思い起こされて、この妄想をオカズにしてもう今すぐこいてやろうか、などと馬鹿なことを考えた。
 傷つけたくないなんてよく言える、本当は犯りたくて犯りたくて仕方ないのだ、俺は。
 ガラスで覆われた風呂場は、外からロールカーテンで隠されているから、馬超が気付けば俺のオナニーショーを満喫できるだろう。
 うわ、それはちょっと勘弁願いたい。馬超でなくとも怒り出しそうだ。
 全身隈なく綺麗にして、それこそ自分が受けに回ることも想定してケツの穴まで綺麗にして、俺はのぼせる寸前で風呂場を出た。
「長かったな」
 馬超はベッドの端に腰掛けて、まだ怒っているというように俺を軽く睨んだ。
 対して、俺は何も言えずに黙って頷いた。所在無く頭から被ったタオルの端を引っ張っていると、馬超が立ち上がった。
 始めるのか、と思った俺は、動揺してしまった。体が数センチも跳ね上がったし、心臓はばくばくとうるさい音をたてていた。
 けれど、馬超は俺の横を通り過ぎて、風呂場へと姿を消してしまった。すぐにシャワーから勢い良く噴き出す湯の音が聞こえて、俺は仕方なく馬超が座っていた辺りに腰掛けた。尻の下から馬超の温もりが伝わってきて、何だか座りが悪くて場所をずらして座り直した。
 ただ待っていると、また風呂場で考えていた続きを考えてしまう。
 落ち着かなくなって、うろうろとその場を歩いてみたり、部屋の隅に置いてあった自販機からどきどきしながらジェルを買ってみたりした。
 ラブホに初めて入る童貞みたいだ。俺は、初めてホテルに入った時はもっとクソ生意気で落ち着いていて、本当に初めてなのかと詰られたりもした。あの時が嘘みたいだ。落ち着かない。
 風呂場の扉がばたんと空いた。
 馬超が、裸のまますたすたとこちらに歩いてくる。
 呆気に取られて見ていると、馬超の頬が僅かに赤く染まった。
「何だ」
 不貞腐れたような声に、俺は慌てて首を振った。否定の意図は分からない、ただ、何でもないと言いたかったのかもしれない。
 馬超は一瞬逡巡して、ベッドの上に上がりこんだ。振り返って俺を見る。来い、と言っている。
 ふらふらと、本当に引き寄せられるみたいに俺はベッドの上に上がりこんだ。
 馬超の皮膚はまだ熱く湿っていて、湯の匂いが体から立ち込めているみたいだった。
 俺は膝を曲げて座る馬超の体を倒して、上から何度も口付けた。触れたかった皮膚は細やかで、滑らかで、ぞっと鳥肌立つ程綺麗だった。
 頭の中が膿んで役に立たなくなっていく。
 朱色の唇から外れてシャープな顔の線を辿り、顎を伝って微かに浮き出た喉仏を舐め上げる。くすぐったいのか、馬超の体が震えた。鎖骨に口付けを落とし、美麗な筋が見えそうな胸の肉を辿って先端に辿り着く。尖ったそこを口に含むと、舌で嘗め回した。
 何処もかしこも綺麗だと思った。興奮して、息が荒くなる自分がとてもみっともなかった。
 顔を上げて、恐る恐る馬超に伺いを立てた。野暮だと思うが、俺達は男同士で、俺は本当にどちらでもいいのだから仕方ない。
「抱くのと、抱かれるのと、どっちがいい?」
 ある程度予想はしていたが、馬超は顔を逸らして『がしたいようにすればいい』としか言ってくれない。
 馬超はきっと男相手は初めてなのだろう、では、俺が馬超に抱かれる方がいいかもしれない。
 じゃあ、抱かれる方でいい、と言うと、馬超は困惑したように俺を見上げた。
「……は、それでいいのか?」
 本当にどちらでもいいから、黙って頷くと、馬超はますます困惑したようだった。思わぬ反応に俺が首を傾げると、馬超の目がゆらゆらと揺れ、顔を朱に染めた。
「俺は……良く分からん……が、してくれ……」
 俺がびっくりして馬超を見下ろすと、馬超はいつもの不貞腐れたような、けれどいつもと違う、初心な羞恥を織り交ぜた表情を見せた。
 上手く出来ないかもしれないと恐れて、敢えて苦痛を選んだのか。
 俺は、そんな童貞じみた馬超のプライドが可笑しく、でもどうしようもなく愛おしくなってしまって、突然馬超の唇を奪った。
 角度を変え、前歯がぶつかるのも気にせず、犯すように舌を前後に突きこんだ。呆れたことに、俺のその舌の動きに併せて腰が前後に揺れている。みっともない先走りの汁が馬超の腹に零れていた。
 馬超の喉からくぐもった声が漏れた。俺はその声さえも欲しくてたまらず、更に唇を深く重ねた。
 もう我慢が出来ない、この男を無茶苦茶にしてやりたい、猥らな悦に翻弄させて溺れさせてしまいたいと我を忘れた。
 馬超の足の間に顔を突っ込んで、馬超の分身を捕らえると舌と口とで荒っぽく愛撫を施す。
 食べてしまいたいなんて戯言を言うが、この時の俺は、許されるなら本当にこの固い、青筋の浮き出た肉を噛み千切ってしまいたいのをこらえていた。その代わり、丹念に舐め上げ、漏れ出す体液を啜り、音を立ててしゃぶった。馬超が堪えきれずに漏らす呻き声が時々耳に入ってきて、鼓膜を炙られるような感覚を覚えて尚更むきになって馬超のものを頬張った。
 指で支えていた根の方から、何かが競り上がってくるのが分かった。俺は口を離し、ソフトクリームを舐めるみたいに舌を広げてそれを待ち構えた。
 馬超が嫌がって首を大きく振った。俺は許さなかった。口に咥え込むと、舌で細かく突付いて刺激してやり、更に頬を窄めて吸い上げた。
 口の中いっぱいに、熟れた果物が弾けたみたいに汁気が広がった。青臭くてべたべたしていたけれど、俺はもう嬉しくて仕方なくて全部飲み干した。勢い良く放たれた為、口の端から少し零れていたものもすべて舐め取った。旨いとか旨くないとかの話じゃない、これが馬超の体から出たものだというだけで、俺にとっては全財産と引き換えにしても惜しくなかった。
 俺は興奮して、もう滅茶苦茶に浮かれてて、俺の肩に掛けられていた馬超の足を取ると、その甲に口付けた。指の股を舐め、指を口に含むと母親の乳首を吸う赤ん坊のように吸い上げた。
 この世で最も尊い、価値のあるものに触れているという思いが、俺を頭のイカれた狂信者のように駆り立てていた。

 突然……馬超の呼ぶ声に、我に返った。
 見上げた先に、困惑した馬超の目があった。何をしているんだ、という微かな侮蔑の色を見た気がして、俺は恥ずかしくて馬超の視線を避けた。
 馬超がおずおずと足を広げた。
「いいから……早く済ませてしまってくれ」
 わずかな嫌悪を滲ませるその声に、は、と短く息を飲む音がした。他ならぬ、俺自身のたてた音
だった。
 背中に氷水をぶちまけられたように、俺は唐突に冷静になった。それは、忘れていた単語を試験の後に思い出すような、苦い感覚だった。
 あ、そっか、と胸の内で呟く。
 舞い上がっていてすっかり忘れていた、というか、勝手に妄想働かせていただけかもしれないが、馬超は俺が好きで抱かれているわけじゃない。
 単に、この縁も所縁もない世界に放り出され、行き場のないところを拾った恩を返すために、俺と肌を合わせているにすぎない。
 ああ、そうだ。そうだった。
 何を一人で盛り上がって、ああ、そうだったそうだった。馬超は俺が好きなんじゃない、その体の他に何も差し出すものがなくて、だから俺に、ああそうだった。
「……?」
 動きの止まってしまった俺を訝しんで、馬超が俺を見上げた。
 俺は、にこりと笑って誤魔化して、動作を再開させた。
 ああ、馬鹿だなぁ、そうだった。
 買っておいたジェルを開けて、手の平で温める。それから、馬超の足を優しく広げさせて、後孔を探る。温めてはあるけれど、異質な感触と温度に馬超が眉を顰めるのを見ながら、ゆっくりとジェルを馴染ませる。
 馬超がノンケだということは十分承知していたはずなのに、馬超の綺麗な体と熱に当てられてし
まったんだろうか。お粗末な話だ。
 後孔が馴染んできたと見て、俺はそっと指を忍び込ませる。吐き出す器官に侵入される違和感に、馬超が唇を噛み締めた。けれど、後孔は指を受け入れないほどにはきつくない。慣らしていけば大丈夫そうだ。
 堪えた顔も綺麗だな、きっとオーナーが惜しがる。ホストにしたらきっとすぐにNo.1になれそうだ。馬超だから、それぐらいは当たり前だ。けれど、真面目な、本当に生真面目で恩を返す為には体を開くことも厭わない馬超が、ホストになんかなれそうもない。
 指を増やしても、後孔の締まり具合はほとんど変わらない。緩んできているんだろう。馬超の顔は相変わらず何かを堪えているようだったけれど、痛みに歪んでいるという感じでもなかった。腸壁を探り、柔々と撫で上げると、馬超の唇から熱い吐息が漏れ、目がとろりと蕩けた。股間のものが首をもたげている。
 何て卑猥で綺麗な生き物だろうか。体の線も、肉も、全てが整っていて、それでいて調和が取れている。綺麗過ぎて、とても捕まえられないと思った。
 挿れた指を広げると、それはやはり痛いのか馬超が眉を顰めた。けれど、馬超は自ら足を開き、俺を誘った。
「……もういい、。早く……」
 ああ、うん。早く、済ませてしまおう。



 梅雨前のじめっとした空気を孕んで、夜風はやたらと冷たかった。
 馬超は、口の端をきりっと引き結んだまま、黙って俺の後を着いてくる。俺が時々振り返ると、俺の視線を嫌ってそっぽを向いた。
 俺は、申し訳ないような、居た堪れないような悲しい気持ちになって、また歩き出す。
 勃たなかった。だから、馬超を犯すことはできなかった。
 焦れた馬超が、手で撫でたり擦ったりしてくれたけれど、俺のものはぴくりとも反応をしてくれな
かった。
 仕方なくホテルを引き払って、家に帰ることにした。
 謝ったけれど、馬超は返事もしてくれなかった。
 たぶん、もう馬超を抱くことはない。それどころか、肌を合わせることもないだろうな、と何となく思った。別に後悔はなかった。元々抱くつもりで家に引き入れたのではないのだから。
 勃たないのだから、仕方ない。馬超には、何か別の頼みごとを考えよう。いっそ、短期間でホストをやってもらうのがいいかもしれない。馬超もあの仕事の大変さは身に沁みただろうし、オーナーが気に入っているから大丈夫のような気がした。
 家のある薄暗い路地の角に辿り着くと、突然馬超が俺の体を後ろに引き込んだ。
「誰だ」
 馬超が誰何の問いを発する。厳しい、敵意の剥き出しになった声だった。
 誰かいるのかと俺は暗闇に目を凝らした。よくよく見ると、確かに誰かが立っている。ちょうど、馬超が警察に追われて身を伏せていた辺りだ。
 馬超が、はっと息を飲んだ。
「趙雲」
 その名前にも聞き覚えがある。1800年前に死んだ男の名前だ。
 暗闇から、槍の穂先が煌く。
 ああ、迎えが来たんだな、と俺は素直に思った。馬超は、帰るんだ。帰ることができるんだ。
 馬超、良かったな、お迎えだと声を掛けた。
 振り返った馬超の顔が、何故か強張って見えた。


  

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