馬超がヘマをした。
 事が済んだ後、俺は趙雲に毛布の一枚も渡していなかったことを思い出し、慌てて飛び起きた。馬超は『いいから放っておけ』と嘯き、引き留めようとした。
 さすがにそうもいかないと馬超を押し退けたのだが、馬超は俺を追ってベッドから降り、ついでコケたのだ。俺を引きとめようと腕を伸ばしていたから、体勢もちょっとおかしかったろう。一番大きいのは、初めて男と寝たということだと思うけど。
 馬超が俺から搾り出した精液は、乾かぬままフローリングにこびりついていて、それに足を取られたのだ。
 何とも間抜けだが、腰を強打して呻く馬超も可愛いと思ってしまって、俺は自身の症状の重さに呆れた。

 趙雲が此処に来た時の場所を確認したいと言うので、馬超を家に残して俺が同行することになった。
 腰が痛いから嫌だとわがままを言って、馬超は布団にくるまったまま出てこようとしなかったのだ。
 仕方のない奴だ。
 ついでに趙雲の服を何枚か買うことにして、街へと繰り出した。
 繁華街を抜けると駅前に出る。駅ビルが幾つか並んでいて、趙雲は無表情に行きかう人々ややたらと背の高い四角い建物に目を向けていた。内心は驚いているのだろうけど、顔に出すようなことはしない。何だかよくわからないが、きっと趙雲のプライドみたいなものが、驚く顔を見せたがらないのだろう。
 ここは、趙雲にとっては敵陣のようなものなのかもしれない。
 俺は何となく、エレベーターやエスカレーターを避け、階段を登った。
 馴染みの店を選び、趙雲に似合いそうな服を三四枚見繕うと、値札も確認しないでとっとと会計を済ました。下着と靴下、それから靴も一応買った。
 俺が会計を済ませていると、趙雲がショーウィンドーを覗き込んでいる。後ろから覗き込むと、シルバーのアクセサリーを見ていた。
「何、何か気に入ったのあった?」
 俺が声をかけると、いや、と小さく苦笑をして離れようとする。
「これなんか、良くない?」
 趙雲を引き留め、銀のリングを指す。飾りの少ない、太い指輪で、刻まれた黒のラインがいい感じで趙雲ぽかった。
 店の人間が出てきて、お出ししましょうかと言うなりウィンドーを開けた。
 リングを差し出されて、趙雲は戸惑ったようにそっと取り上げ、左手の薬指にはめた。ぴったりだった。
 何で左手の薬指かな、と笑いながら、店の人に会計を求める。
 趙雲は俺の言葉の意味が分からないようだった。けれど、慌ててリングを外し、店の人間に返そうとする。俺は逆に、そのまま付けていくからタグを外してくれと店の人間に頼んだ。
 どちらの言うことを聞くかなど、分かりきっていることだ。
「いや、そんなことをしてもらうわけには」
「いいよ、別に。似合ってるじゃん」
 軽く押し問答して、結局俺が押し切った。
 タグを外したリングは、まるで趙雲の為にあしらわれたみたいに良く似合っていた。
 荷物を手に提げて、趙雲の言う場所に向かう。
「何で薬指なの?」
 会話が途切れて、ネタに困った俺は趙雲に尋ねてみた。
 趙雲はいつもの苦笑を浮かべ、リングを少し外して見せてくれた。白っぽい、何か浮き上がったような跡があった。
「手綱を持つ手を狙われて」
 趙雲の言葉に、ああ、傷跡かとやっと理解した。綺麗にまっすぐについた白い跡は、ちょっと見た感じでは極々細いリングに見えたのだ。
 趙雲は、リングを付け直した。少し恥ずかしそうに見えるのは、傷を恥じてなのだろうか。

 一度俺の家の前まで戻り、荷物を置きに寄ろうとするのを趙雲に引き止められた。馬超が嫌がるから、一度で済ませてしまおうと言われ、それもそうかと納得した。馬超は、何故か趙雲を嫌っている。嫌っている、というと少し語弊があるかもしれない。意識し過ぎている感じなのだ。それを言えば、趙雲もそうなのだが。
 口に出すのは躊躇われて、俺は黙ったまま趙雲の隣を歩いた。
 趙雲は、迷うことなく道を進んでいく。賑やかな路地から隠れるように、少し外れた裏道を行く。夜なら、もっと人気がなかっただろう。
 しばらく歩いていくと、小さな公園に出た。狭い敷地に大きな木が一本生えている。ベンチと小さなブランコ、使い物にならなくなった固い砂場しかない公園だった。
「ここ?」
 趙雲を振り返ると、黙って頷く。もっと曰くありげな場所を想像していた俺は、意外さに面食らっていた。
「ちょ」
 振り返ろうとして、趙雲が何時の間にか俺の傍らに立っていることに驚いて息を飲む。
「貴方を抱きたいのだが」
 此処で構わないだろうか?
 普通に、本当に自然な声で、俺は言葉の中身との違和感に眉を顰めた。趙雲が何をしたいのかが分からない。
 趙雲は、同じ言葉を繰り返した。
「……何で?」
 理解しないまま、俺は趙雲の目を見つめた。
「さぁ」
 趙雲も、俺の目を見つめ返す。
「如何してだろう」
 趙雲の長い前髪が、風に煽られてゆらりと揺れた。

 俺は、趙雲を連れてホテルに入った。昨夜、馬超と一緒に入ったホテルだ。ここしか思いつかな
かった。
 どうしてもする、ときっぱりと言い切る趙雲に、俺は首を傾げて、じゃあ、場所を移ろうと言った。道路に挟まれた公園で本番をするわけにもいかない。
 もっとも、趙雲の言葉があまりに現実味なくて、ホテルに入ってからも本当に『する』とは思えなかったのだが。
 荷物を壁際に下ろして、ベッドに上がりこむ。趙雲も同じように上がってきた。俺達は、ベッドの上で胡坐をかき、対面に腰掛けた。
「あのさ……何で?」
 公園での問いを繰り返す。趙雲は、真面目に思い悩んでいるようだった。
「たぶん」
 唇に指を寄せて、趙雲は物憂げに言葉を綴った。
「たぶん、貴方が指輪をくれたからだと」
 俺は首を傾げた。理屈が全然分からない。
 趙雲が馬超を恋焦がれていて、想いが叶わず、その代用として馬超と寝た俺に目をつけた、というなら話はまだ分かるのだ。馬鹿馬鹿しいけど。
 けれど、趙雲はそうではない。馬超のことなんか嫌いだと言い放った。変な話、それは本当だと思えた。
 趙雲は、馬超が嫌いなのだ。
「俺、馬超と寝たよ」
 普通は、嫌いな人間が触れたものに触れようと思わないだろう。
「知っています」
 声が聞こえていたからと何でもないように答える。聞こえてたんだ、と俺の方が恥ずかしくなった。
 趙雲の顔はあくまで静かで穏やかで、とても発情しているようには思えない。普通、こうじゃないよなぁと俺は頭が痛かった。
 何でだろう。
 俺は、趙雲をじっと見つめた。綺麗な顔をしている。麗人といっていい。
 何で俺を抱きたいと思うんだろう。
「あのさ……間違ってたらごめん。趙雲、ひょっとして、馬超のこと、嫌いじゃないんじゃないか」
 趙雲が、意外そうに目を見開いた。
「嫌いなんじゃなくて、分からないんじゃないか」
 趙雲は、びっくりした顔のまま俺を見ている。ビルにも、行きかう人にも驚かなかったのに、俺の言葉にびっくりしている。
 惑ったように目を瞬かせ、小さく唸った。
「……殿が、私に……お命じになったのですよ、彼は、まだ蜀には慣れぬから、力になってやって欲しい、と……」
 趙雲は素直に命令を受け、馬超の元に向かったのだという。
 だが、馬超はただ尊大だった。慣れていないとは到底思えないほど、何処にも怯むものもなく、
堂々としていた。次第に趙雲は馬鹿らしくなる。まるで、君主に次ぐ(次ぐ、というならまだマシかとも思ったそうだが)権力を治めているが如くの横柄さに、他の将との軋轢は増すばかりで、趙雲のとりなしもまったく意に解さない。
 半ば放り出し、けれど命に背くわけにもいかず、そんな日々がだらだらと続いていたある日、馬超が趙雲達の目の前で消えた。
 後ろめたさもあって、趙雲は軍師の怪しげな文言に従い此処に来たのだ。
 俺は、趙雲の話を聞いて、唖然とした。趙雲が嫌って当たり前だと思った。
 でも、と俺は思った。
「趙雲は、やっぱり馬超が好きなんだな」
 趙雲の目が鋭く吊り上がる。
「誰が」
 吐き捨てるような口振りに、俺は微かに笑った。
「だってさ、すげぇ気にしてるじゃないか。馬超のこと、気になるんだろ?」
 それは、恋だ。
 別に恥ずかしいことじゃない。馬超はあんなに苛烈で、脆くて、綺麗なのだから。
「馬超に優しくしてやってよ。あいつ、わがままでどうしようもないけど、でもたぶん甘えてるだけだから」
 二人に感じた空気は、たぶん本物なのだろう。意識している者同士の、何処か張り詰めた空気。俺が嫉妬するくらい、それは濃密なものだった。
「本当に馬超が嫌がってたら、絶対言うことなんか聞かないよ」
 趙雲が現れた時、家に入るのを駄々っ子みたいに嫌がっていた馬超は、けれど趙雲に促されてとぼとぼと玄関に向かった。
 馬超は、趙雲に甘えているだけだ。趙雲は、そんな風に甘えられたことがないから、きっと分からないだけだ。
 俺は昨日、馬超と寝た。
 体を繋いで、満たされたから、俺は冷静に二人を見られるのだと思う。
「構ってやって。俺も、あいつに言って聞かすから。な」
 趙雲の顔が歪んだ。泣きそうに見えた。
「……如何して、貴方はそんな、あんな奴に……」
 馬超に構うのか、趙雲には不思議なのだろうか。趙雲は、馬超を認めたくないのかもしれない。認めたら、歯止めが効かなくなる。趙雲にとっては、それは敗北のような屈辱なのかもしれない。
 勝つとか負けるとか、つまんないな、と俺は思った。
 だって、馬超はあんなに苛烈で脆くて綺麗で、趙雲もこんなに綺麗なんだから。
「こっち、来な」
 俺が呼びかけると、趙雲は食いしばっていた歯を緩めて、俺を見上げた。
「来な、趙雲」
 おいでおいでをすると、趙雲は困ったように前髪を微かに震わせた。
「しよう」
 馬超を知りたいのだろう。だったら教えてやるまでだ。馬超がどんなに綺麗か、趙雲がどれだけ馬超に相応しいのか、俺が全部、俺の全部で教えてやろうと思った。
 趙雲は戸惑っている。抱きたいと言ったくせに、今更怖気づいたというように俺を見ている。
「怖くないから」
 俺が笑うと、趙雲は怒ったように眉を吊り上げ、頬を染めた。
 覆いかぶさってくる趙雲に、怒り方が馬超に似ている、と告げると、また嫌そうに眉を顰めた。
 おかしくて笑っていたら、口を塞がれた。


  

拾い武将シリーズINDEXへ→