何してんだ、とオーナーにどやしつけられた後、顔色の悪さと脂汗の酷さに流行の夏風邪でも引いたかと心配されて、俺は早引けを許された。
 明日も、何なら休んでいい、来るつもりなら、今日の二の舞はするな。
 きつく言い含められ、俺はオーナーに頭を下げ、本当に涙を堪えて店を後にした。
 今日は散々だった。
 指名はそこそこあったのだが、サービス業としてはまったくなっていなかった。
 楽しませようとすら思えなかった。
 ぐだぐだでぐちゃぐちゃだった。
 こんなことは初めてだった。
 馬超のことは、もう整理が着いたつもりだった。
 全然、そんなことはなかったのだ。
 たかが顔が似てるの声が似てるの(そんなレベルじゃないくらい瓜二つなのだが)に振り回され、俺は絶望感に似た焦燥に駆られた。
 一人でいたくない、けれど誰にも構われたくなくて、適当な店で安酒を煽った。
 そこは初めて入る店だったけれど、どんよりとした青黒いライトが俺の気持ちを深く深く沈めてくれるようで、居心地が良かった。
 女の子もいない、ただのバーだ。
 こんな気持ちでなければ一生入ることもなかったろう、陰気で寂れた、安っぽい店だった。
 しばらく呑んでいると店が看板となり、俺はスツールからよろけるように降りた。
 思ったより吹っかけられたが、どうでも良くて言い値で払った。どうせ酔っ払いだと思って舐めてかかったのだろう。
 実際酔っていたし、興奮して回っていた頭がかび臭く澱んでくれたのには心から感謝したかった。
 何も考えたくない、考えられない、このまま野垂れ死にできたらどんなにいいだろうか。
 俺は足を引き摺るようにして、それでも自分の家に向かった。
 薄暗い路地は相変わらず視界が利かず、黄泉平坂なんてところはこんな感じだろうかと俺はおどけて首を傾げた。
 地獄行きだ、上等じゃないか。
 俺は意気揚々と路地の一番奥にある俺の家を目指した。
 暗がりから、突然誰かが身を起こす。
 酔っていたから気がつかなかったのだ。
 俺は、その暗がりに居たのがこの世でもっとも会いたくない人間だと知って、反射的に逃げ出そうとした。
 酔って痺れた神経はそれを許容してくれなかった。
 俺は見事に転倒し、一回転して尻餅を着いた。
 足音がすぐさま駆けつけてきて、俺は恐怖に目を剥いた。

 呼び捨てにするな、俺はお前なんかに呼び捨てにされる覚えはない。
 差し伸べられる手を振り払うが、素面相手に酔っ払いが敵うわけがなかった。あっという間に捕らえられて、ゴミ屑みたいに軽々と持ち上げられる。
「鍵は」
 いい、いいと手を振り回すが、パンツのポケットに手を突っ込まれ、そこに入れてあった鍵を掻っ攫われる。
 ドアが開き、真っ暗な暗闇の中に押し出され、俺はよろめきながら廊下に転がった。
「靴」
 足を引っ張られたかと思うと、靴を脱がされる。結構歩いたのか、靴下越しに冷たい空気がじんわり滲みた。
「ほら」
 また引っ張り起こされて、無理やり奥に連れて行かれる。
「……俺が、分かるか?」
 心配そうな声音が耳をくすぐる。
 分かってる、お前は『馬超』だ。俺の馬超じゃない、全然知らない『馬超』だ。
 ソファの上に転がされて、遠くで冷蔵庫を開ける音、コップに液体が注がれる独特の音がした。
 顔の近くに冷たい感触がある。
「水」
 いらない。
 俺は顔を背けた。喉はからからだったが、馬超ではない『馬超』に何か施してもらう言われはない。
 『馬超』は、しばらく俺の顔を自分に向けさせようと頑張っていたが、不意に俺から離れた。
 諦めたか、早く帰れと心の内で零していると、顔をごつい手の平が覆い、口に濡れた感触が押し付けられた。
 冷たい、と思ったのは一瞬で、温い水が口の中に注ぎ込まれる。
 口移しで水を飲まされている、とようやく理解して、俺は呻き声を上げた。
 引き剥がそうと躍起になって指先に力を篭めるが、体勢の不利さからかびくともしない。
 わずかな水が喉を通過し、悪戯に渇きを強調する。
 口を塞ぐ柔らかな肉塊は一向に退こうとせず、嫌がらせのような熱心さで口腔を弄られる。
 どれくらいの時間が流れたのか、解放されて冷たい空気を肺一杯に吸い込むと、急激な温度差からか俺は激しくむせた。
 上から押さえられて、じっと見つめる視線を感じるが、俺は顔を背けたまま目を閉じていた。
「二階、上がるとすぐ、寝室のドアがあって、どん詰まりに物置にしている部屋があるだろう」
 突然『馬超』が語り出す。
 俺は目を閉じたまま、背筋に寒気を感じていた。
 何故、知っている。
「寝室はフローリングで、やたらとでかいベッドが一つ。奥にウォークインクローゼットがあって、洋服が山積みになっているんだ」
 俺は必死で自分を律した。動揺を覚られまいとする、が、俺の手は既に震えていた。『馬超』の手が、柔らかくその手を包み込む。鳥肌が立った。
「……俺は、ここを知っている。ここに、居たんだ」
「お前じゃない!」
 悲鳴のように俺は叫んだ。
「お前じゃない、ここに居たのは馬超で、お前じゃ……」
「俺だ」
 ひんやりと、冷たい空気を纏ったような声だった。
 酔いすらいっぺんに醒める気がした。
「……ずっとここを探してた。やっと見つけた……会いたかった」
 
 その熱に、どう反応すれば良いと言うのだろう。
 俺は、ただ必死に否定するしか出来なかった。
「お前じゃない、お前は馬超じゃ」
「俺だ」
 その否定すら一言の元に斬り捨てられ、俺は子供のように泣き喚いた。
「違う、お前じゃない、お前は」
「馬超だ」
 何時の間にか乗り上げられ、冷たい目で見下ろされる。
 馬超は、そんな目はしない。
 やっぱり違う。

 熱が篭った声は、馬超のそれとよく似ている。
 体を辿る指先も、おずおずとした手付きも、馬超のそれと本当によく似ている、だが、これが馬超のものではないのを俺は理解している。
 馬超以外に犯されるのは御免だと思った。俺は力いっぱい暴れた。怖かったから、いつも以上に力が出せているように思った。火事場の馬鹿力という奴だろうか。
 突然、がん、と火花が散るような衝撃があって、俺の意識は途絶えた。

 目が覚めると、煌々とした蛍光灯の灯りの下、俺はベッドに横たわっていた。
 夢を見たのだろうか、とも思ったが、目を擦ろうとしても腕が上がらない。
 きし、と布が引っ張られ擦られる音に一気に覚醒する。
 全裸だった。何も、それこそ下着すらつけていなかった。腕は背中に回されて拘束されている。
 ベッドの陰にしゃがんでいた『馬超』が俺に気付き、ベッドの、俺の上に乗り上げてきた。
 足首に紐みたいなものが繋がれて、大きく開かされている。足を動かしてもびくともしない。
 心臓がばくばくと鳴り響き、体中を冷や汗が濡らした。

 名を呼ばれ、顔を背けるが、無理やり引き戻されて口付けられた。
 唇が離れると、『馬超』は厭わしげに眉を寄せた。
「思い出させてやる」
 股間にある肉塊に、熱くて滑った感触が触れ、包み込まれる。
 口淫されていると分かったが、如何にもしようがなくてただ涙を堪えた。
 煽るように水音が響くが、歯を噛み締めて無視する。
 怒りにも似た感情が胸の中を掻き回して、熱の奔流が視界の奥を焼いた。
 久し振りの他人の熱に、固く筋張った俺のものは天を向いてそそり立った。『馬超』は、口の端に溢れた唾液を指で拭い、改めて俺の顔を見つめてきた。
 顔を逸らす。
「……セックスすれば、伝わるのだろう?」
 耳だって、塞げるものなら塞いでしまいたかった。
 あの日俺が馬超に言った言葉を、どうしてお前が知ってるんだ。馬超じゃないお前が、何故。
 お前じゃない、俺が抱きたいと、抱かれたいと、肌を合わせたいと思っているのはお前じゃない、馬超なんだ。
 ついに堰を切って溢れた涙を、熱い舌がこそぐように奪っていく。
「俺が、馬超だ」
 馬超は自らの服を脱ぎ捨てた。
 記憶の中の一部と重なる。滑らかな肌や鍛え上げられた腹筋のなだらかな窪み。
 それが嫌で目を逸らすのを、『馬超』が引き戻す。
「俺は、馬超だ……お前の……拾った男だ」
 腕の中に抱き込まれ、蘇る感触に肌が粟立つ。
「もう一度、言ってくれ。最後に、お前が言ってた言葉」
 好きだ、と。
 耐え切れなくなって、俺は意識を手放した。


  

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