押入れ扱いしている部屋にある、嵌め殺しの窓。
そこから馬超は入り込んだらしい。
よくもまぁ、通報されなかったものだと思う。最も、この街の犯罪発生率は都市の中でも群を抜いているそうだから、近所に無関心な人間が如何に多いかの証明なのかも知れない。
ワイヤーが入っているから丈夫だと信じ込んでいたが、全然そんなこともないらしい。
ネットで検索して呼びつけた修理工は、そんなことを言ってペアガラスにしたらどうかとか色々勧めてくれたが、工事が必要だろうからと断った。
人が入るのが嫌だと言うより、人が入ることで奴がこの家の住人だと勘違いされることが嫌だった。
住人でないというなら何だと思われるだろう。
友人、知人、親戚、色々誤魔化しようはあるだろうが、鍵を渡すほど親しい仲だと思われるのは願い下げだ。
玄関の鍵を変えてしまおうかと思ったこともある。
けれど、鍵を変えることで今度は何を仕出かすのかと考えるとうんざりした。
割られにくいようにと何だか言う透明のシートを貼り付けてもらった窓は、胡散臭いくらいに透き
通っていた。
馬超は、勝手にコピーした鍵で勝手に出入りしていた。
俺が帰ると、居間のソファに陣取って転寝してたり、パンと牛乳で朝飯を食ってたりした。
相当なお坊ちゃんらしい、着替えなどは流石に一人でやるが、料理や掃除をしているのを見たことがない。
買い物は好きなのか、食材を買い込んできては人の冷蔵庫の中に詰め込んでいく。
整理されていた冷蔵庫の中は、見る間にぎゅうぎゅう詰めにされて、電力のムダも甚だしい。
部屋のあちこちに馬超の脱ぎ散らかしたものや私物があって、俺は自分の家にも関わらず、家政夫にでもなったような気になった。
馬超とは、ほとんど口を聞かない。
話しかけられたりすることもあったが、俺は無視した。
無視すれば馬超は怒り出し、そのままセックスに雪崩れこむことしばしば、という有様だった。
若いのか、一度事が始まると一回では済まされない。二回、三回と休む間もなく犯され、大抵は中に、そうでなければまるで匂いでもつけるかのように、腹や背中に撒き散らされては手の平で擦り込まれた。
男、それも年上相手にご苦労なことだ。
事が終われば、俺は馬超の手を振り切って風呂場に立て篭もる。
鍵を掛け、念入りに体を洗い、馬超の痕跡を消しにかかる。
むきになってつけて寄越す赤い痣も、虫刺されだとでも思えばたいしたことはない。
一度、風呂上りに待ち構えられて再戦を挑まれたこともあったが、仕事前だと怒鳴りつけて押し退けた。
学生は気楽でいいな、と吐き捨てると、馬超は唇を噛み締めて俯いた。
子供なのだ、そも、何もかもが。
俺は今の仕事以上に俺に向いている仕事はないと思っているし、小銭でも貯めたら本当は何処か田舎にでも行こうかと考えている。
本気の人付き合いが苦手だ。
なぁなぁで済むところはなぁなぁで済ませたい。
人の心の中に入り込もうと足掻かれれば足掻かれるだけ、鬱陶しく思ってしまう。
馬超は、その典型だ。
俺の苦手なタイプの人間が、『馬超』と声も顔もそっくりだなんて、何の冗談なのだろう。
それとも、俺が『馬超』を分かっていなかっただけで、本当は『馬超』もこんなだったのだろうか。
あの趙雲を怒らせたのだから、そうであってもおかしくないような気もした。
であっても、俺の馬超に対する評価には何の関係もないのだが。
いつものように仕事場に出向き、用意して客を待ち受ける。
俺は同伴出勤という奴はほとんどしなかった。それで成績は悪くないので、オーナーからは時々、同伴出勤すればいいのにと勧められたが、気乗りせずほとんど受け流していた。
同伴ということは店に入る前からホストでいなければならないということで、切り替えが正直難しい。
まだ照明入れる前の薄暗い店に入ると、それがスイッチなのだというように仕事に集中できる。オンとオフの切り替えは、俺にとっては大事なのだ。
ホストという仕事で金を稼ごうというのに、なかなか気合の入らないことだと俺自身反省はしている。
ただ、がっついていない俺に固定客が多いのも事実で、如何したらいいのか俺にも分からない。
店が始まってしばらく、同伴出勤してくるホストを出迎えたり、始まってすぐの時間帯を狙って飛び込んでくる常連のお姫様達を出迎える声で賑やかになった。
俺の指名はなかったけれど、とりあえずヘルプで入ったり何だりで忙しくしていた。
入口の方が少しざわめいている。
皆より少し遅れて俺がそちらに目をやると、偉そうに肩をそびやかせた馬超が立っていた。
オーナーが何か話をしていて、俺の方を振り返る。
俺は見るからに苦い顔を浮かべているだろうことを自覚しながら、オーナーの手招きに従って席を立った。
「……何だよ」
「客に対して、その口の聞き方はないんじゃないか」
何が客だ。
ホストクラブに男一人で乗り込んできて、何を威張り散らしてんだかさっぱり理解が出来ない。
周りの人間が、興味津々でこちらを伺っているのが分かる。
「オーナー」
助けを求めるように呼ぶと、オーナーは大袈裟に肩を竦めて見せた。
「お前がいいって言うんだから、仕方ないだろ。目立たない席に入れてやるから、そこで話するなりしろ。事情はよく分かんないけど、この間の休暇と関係あるんだろ?」
こういう商売のせいか、オーナーはよく分かってる。
歯噛みしたいのを堪えて、俺は馬超の前から半身を反した。
「こちらへどうぞ」
お姫様を案内するように営業スマイルを浮かべると、馬超の顔がやや引き攣ったような気がする。
ざまを見ろ、くらいにしか思わなかった。腹の底で何かが煮え滾っている。
ここは、俺の職場で、プライベートを持ち込むような場所ではない。
急に真面目ぶるのは、ここだけは俺が唯一馬超を忘れられる場所だったのにも関わらず、のうのうと顔を出されてしまったことに対する憤りの表れだろう。
それがいい証拠に、『馬超』は俺自らがここに連れて来ていたからだ。
柱の影、俺たち従業員の間ではおこもり場等と呼ばれている小さな二人用の席がある。
店の構造上出来た死角なのだが、楽しみに来ているお姫様方を座らせるには薄暗く、発情したお姫様を座らせるには今一つ死角になり切れず、ヘルプの一人も座れないとあってほとんど使われることはない。
席を失くしてしまえばいいようなものだが、退かしてしまえば退かしてしまったで間抜けなスペースが出来るからお飾り状態なのだ。
オーナーやホストの友人、面接に来た奴などを座らせたり、訳有りの客を応対する時にだけこの席を使っている。
馬超は腰掛けるなり、ボトルを入れろと抜かした。
「……ボトルって、何入れる気だお前」
何でもいい、適当にと嘯くので、腹が立ってロマネコンティでも入れてやろうかと吐き捨てた。
「じゃ、それでいい」
呆気に取られる俺を見て、勝手に自分で注文しようとするので慌てて引き留める。
「幾らするのか、分かってんのかお前!」
「……幾らって……五万とか十万とかだろ」
高く言っているつもりなのだろうが眩暈がした。桁が一桁違う。無論、少ない方にだ。
頭を軽く張り飛ばして、俺はカウンターに向かった。カウンター担当の顔馴染みのバーテンダーに、適当に安い酒入れてやってくれと耳打ちする。
「……じゃ、無名だけど白ワインでも入れとこうか。安いし、味も悪かないよ」
頼むと頭を下げると、バーテンダーは気遣わしげに俺を見た。オーナーもそうだが、俺の性癖を
知っている数少ない友人みたいな人だ。年は、俺よりずいぶん上なのだが、よく相談に乗ってもらっている。
「、お前、少しむきになってないか」
大丈夫かと揶揄され、俺は自嘲した。
むきになっている、そうかもしれない。
でもそれは馬超のせいだ。馬超は全身全霊をかけて俺をむきにさせようとしている。
今日、店に来たのだってそうだろうし、無理やり俺の感情を引っ張り出そうとしているとしか思えない。
希っている。
何を希っているのかも分かっている。
けれど、俺はどうしてもその願いを聞き入れられずに、闇雲に自分の中へ逃げ込もうとするのだ。
堂々巡りだ。
何時まで続くのだろう。
馬超が諦めるまでか。
俺が諦めるまでか。
それは、どちらも未来永劫来ないような気がした。
ワインのボトルとグラスを手に戻ると、馬超は俺をじっと見つめていた。
「……何だよ」
言いながらソムリエナイフでキャップシールを切り剥がし、コルクにスクリューを立てる。突き入れ、コルクを軽く浮かせ、浮き上がる寸前で指で押し遣ると、小気味いい音を立ててコルクが外れた。外れたコルクがソムリエナイフごとくらりと揺れるのを、指先でくるりと回して受け取める。コルクを外してソムリエナイフごとテーブルの隅に押し遣る。
俺には単なる手馴れた流れ作業に過ぎない。
テーブルに置いたグラスにワインを注ぎ、ボトルを置いて腰掛ける。
ここに来て、何故か馬超が急におどおどしはじめた。
何だと言うのだ。
「乾杯でもするか?」
皮肉交じりに言うと、馬超は顔を歪めて目を逸らした。
本当に、何だと言うのだろう。
逸らした目に、涙がにじんでいるのを見て、俺はぎょっとして馬超を凝視した。
唇を強く噛み締めている。
悔しい、と顔に出ているのを、俺は為す術なく見守ることしか出来なかった。
「……どうしたんだよ」
訳が分からない。
馬超は、一気にグラスを煽った。
とてもワインの飲み方とは思えない。居酒屋で焼酎一気するのと何ら変わらない呑み方だった。
若いワインの酸味が喉を刺したのか、馬超は軽くむせた。
咳込みが収まり、上気した頬で馬超は不貞腐れる。
「……どうせ、俺は子供だ」
分かってるのか。
俺は呆れて頬杖をついた。
分かってて、人の職場に乗り込んで、駄々をこねて不貞腐れる。
いい迷惑だと思った。
空になったグラスにワインを注ぐと、また一気に飲み干す。
「馬鹿か、お前。そんな変な呑み方しやがって」
俺を束縛したくてボトル入れさせたんだろうに、こうぐいぐい空けていくのでは話にならないだろう。
「そうしたら、もう一本入れる」
ガキ、と吐き捨てると、馬超の顔が歪む。
「……俺は、客だろう。少しは客扱いしろ」
客扱いと言われても、俺には馬超が客としてやってきたようにはどうしても見えない。
「どうしろって言うんだよ」
焦れたように声音が荒くなる。
馬超の唇が、微かに動き、また噛み締められた。
一瞬漏れでた空気が馬超の本音を紡ぎ、音もないその言葉は何故か俺には聞こえてしまった。
予想外に俺は慌てた。
うろたえて、思わず席を立った。
馬超が俺を見ているのが分かる。目は横に逸らされたままだったけれど、馬超の全神経は俺に向いているのが分かった。
オーナーの元に向かうと、オーナーは苦笑いして俺を見た。
「いい加減にしろよ、お前……」
言葉は詰っていたが、笑みが含まれていた。
「……すいません」
頭を下げると、オーナーはまた苦笑いした。
「謝ったってしょうがないし、まぁお前の給金が減るだけだしさ。いいけど。明日から、ちゃんと身ぃ入れて働けよ」
仕事なんだからさ、と言われ、俺はもう一度詫びて頭を下げた。
席に戻ると、馬超は捨てられた犬のようにしょんぼりとしていた。
ああ、もう、アホかこいつは。
頭を軽く張り飛ばし、会計済ませて外で待っているように言うと、馬超の顔が訝しげに俺を見上げた。
「早引けすんだよ、早引け。お前のお陰で、今月の給料どうなるか考えたらぞっとする」
言うだけ言って、俺は着替えにスタッフルームに向かう。
今更、優しくしてくれって言われたって、出来るわけがないのだ。
続